-とまを伝記、的な日記をば、をば-
まぁ、生きてると色々ありますよね。
まぁ色々ありますよね、みたいな言葉が、昨今の目ぼしき流行語とさえ思える今日この頃です。
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もう、6〜7年くらい前ですかね、何気ない会話の際に、「プラは、〜」という言葉を聞いて、そのプラというのは、Plastic Treeというバンドの、今時の略称だと分かり。
そのPlastic Treeというバンドがデビューしたのは、わたしが高校生の年齢の頃なので、そのバンドの話を、若い子から聞いて、感慨もひとしおだったわけですが。
高校は早々にリタイヤしたので、年齢だけの高校生の年齢の頃ではありますけれども。
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Plastic Treeは、オンタイムで「絶望の丘」とか「トレモロ」とか聴いてた世代だから、古参を気取りたい夜も、まぁ、たまにはあったりしますけど。
とはいえ、日一日と、年に一日と、その音楽性も少しずつ時代に寄り添いつつも、躍進を続けているのは、シンプルに嬉しいと思います。
新宿の絵画予備校に通いながら、あまり友人もできずに、夜な夜な絵画を制作しながら、いつもアパートの部屋でひとりその「トレモロ」を聞くともなしに聞いていた思い出が蘇ります。
中でも、夏休みの課題を、えっさこらと夜な夜な深夜帯に制作しながら、その「トレモロ」と、あとSixpence None the Richerばかりをリピートしていた記憶は、未だに脳内にこびりついております。
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あまりblogやnoteには記してしなかったので、高校や受験など、もう少しその辺りのことを、分かりやすく話すと、高校を辞めたあと、既存のバンドに加わってみたりとかしつつも、早々に少し人生の諸々のことを考え直して、通信制の高校に通いながら、大検を取得し、現役の年齢で、美大受験をすることになったわけです。
なので、普通に同い年の方々と大学を受験して、翌年もありきたりな美大浪人などをしておりました。
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そのあとは、ありきたりな挫折の味を噛みしめることになるわけですが、その翌々年には、地元の音楽学校に通い始め、二年遅れで、入学卒業をして、その音楽学校の友人たちは、今でも連絡を取り合える友人も多々おりまして、ありがたい限りでございます。
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何の話をしているか、わかりませんね。
まぁ、トーマス氏の人生をば、記してみた感じになってしまいました。
少しちょいちょい話題に出る辻褄の合わない話の流れ、ん、はてな、なぜに高校を辞めたのに、大学とか専門学校とか、よくわからんな、という声なき声にお応えしてみたところであります。
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それからも、まぁ、ありきたりな挫折を、何度も何度も、くり返すことになるわけですが、その辺りの話は、また後日、気が向いたら、ということで。
あまり直近の話をすると、方々に迷惑もかかりますし、よくないですね、えぇ、まぁ。
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とはいえ、そんなことをつらつらと語っても、三十代を迎えてからの日々は、この云々年のあいだ、それなりに色んな人たちに夢を見させてもらえていたような気もします。
とんだ間抜けの妄想や錯覚かもしれないけど、今も進行形でそこそこ夢を見させてもらえている気もします。
ばかみたいに、くさい話ですし、阿呆な話ですよね、この話は。
でも、そういう風に考えると、日々の鬼火のような誹謗中傷や不平不満も、仕方ないよね、とやっと腹に落とせるような心持ちになれるのかもしれません。
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そんなこんなで、つらつら、うだうだと、語り相手もいない、わたしの戯れ言に、お付き合い頂き、ありがとうございます。
また、明くる日に、語らせて頂くことになるかもしれません。
その折には、どうぞ気長にお付き合いください。
それでは、また佳き日に。
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