-サニーデイサービス・続-
ぼくの人生は終わりなのかな。
そう考えることもやむなし、という時期がありました。
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19才の冬のことでした。
まだ若かったし、ちょっとした精神の崩壊が引き金となり、ぼくの人生はもう終わりなのかな、と考えていました。
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しかし、その次の春から夏には、もう次の人生の希望を持てるようになり、人生とは分からないものだな、と感じました。
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そんな冬の間に、ぼくはサニーデイサービスの音楽を聴いていました。
そのとき、聴いていたのは、「MUGEN」というアルバムでした。
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あれから、20年以上の歳月が流れました。
今でも、ぼくは、たまに、もう自分の人生は終わりなのかな、と考えることがあります。
しかし、あのときから、もういい加減、色んな顛末をくり返してきましたから、そこから、一歩、再び、歩み始める、ということを、何度も、何度も、くり返してきました。
そして、そうは言っても、支えてくれる方もいる、ということも、多少は、分かるようになってきました。
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バトンを回す、とか、バトンを手渡す、ということが、もしも、人生にあるのならば、こうした顛末をくり返してきた、わたしが、手渡せるバトンも、少しはあるのかな、とも思います。
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昨今の暮らしにおいて、不安な日々、というと、ありきたりな表現の、ありきたりな話になってしまいますが、人生は、続いて参ります。
「つづきはつづく」というホフディランの歌があります。
せっかくなので、こちらもご紹介します。
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ホフディランも、10代の終わりから、20代の始めにかけて、よく聴いていた音楽でした。
希望を感じる音楽、その音楽に、小さな希望を感じていました。
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先の見えない不安な日々。
未来も、将来も。
或いは、現在もままならない日々。
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そうした日々に、サニーデイサービスやホフディランの音楽は、やさしく寄り添ってくれる。
もしよかったら、聴いてみてください。
時代の変わり目に、好みの変わる瞬間がある。
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決して、饒舌ではない。
控えめな語り口で、憂鬱を抑えてくれる。
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無理して、笑うことはない。
頑張って、誰かを蹴落とすこともない。
自分ばかりが、幸せになろう、なんて、出し抜こうとしてばかりでは、疲れてしまう。
「行き先違いの列車に揺られ走る それならそれでいいじゃないか」
やさしい歌がある。
やさしい人がいる。
いいじゃないか。いいじゃないか。
俺の腹は、これを求めていたんだ。
孤独な人生、あり、大あり、オオアリクイだ。
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