「霜月の九日」der neunte November デア ノインテ ノヴェムバー
ドイツ語で数字の9は、neunノインという。複母音euは、「オイ」と発音する。数字の1以外は、例外もあるが、大体、語尾に-tを付けると、序数になる。故に、neuntとすると、「九番」になる。
ドイツに絡んで「九番」と言うと、すぐに、ベートーヴェンの交響曲第九番を思い出す方もいられると思うが、die Neunteとすると、第九番を意味するのであるが、ここで、何故、dieが付いているかと言うと、交響曲がdie Symphonieディー ズィムフォニーと女性名詞であり、それに対応しているからである。(因みに、「ベートーヴェン」であるが、ドイツ語風には、西部ドイツの大学町Bonnボンで生まれたBeethovenは、「ベートホーフェン」と発音することを言い添えておく。)
これとのパラレルで言うと、 表題の「der neunte November」は、Novemberが男性名詞なので、derとなる訳で、「Novemberの第九番」ということになる。Novemberは、英語からの連想ですぐに「11月」と分かる言葉であるが、日本の古文の表現では、「何々月の何日」という言い方がされるので、それで、これに対応させて、「霜月の九日」と訳してみたのである。現代語風に言えば、季節的には太陰暦と太陽暦で日にち的には、「ずれる」のであるが、何のことはない、「11月9日」である。
さて、この投稿を書いているのが、11月の初頭であるが、まもなく、近代ドイツ史にとって「運命の日付け」とでも言ってよい「11月9日」が来るので、何故、この日が「運命的」なのかに付いて書いてみよう。
何を以って「近代」が始まるかと言うと、一般には「産業革命」と「市民革命」とがその指標になる。イギリスの産業革命は、18世紀のことであり、「市民革命」と言えば、フランス大革命のことで、それは、1789年に始まった。ドイツはこの点で、1840年代に産業革命が、1848年革命が、成功はしなかったが、最初の市民革命の様相を呈したのであった。つまり、19世紀半ばにドイツは「近代」に入ったと言っていい訳である。
こうして、ドイツ第二帝政は、1914年に第一次世界大戦に突入することになり、四年間の総力戦を戦う中で国力が疲弊し、1918年の11月9日に、いわゆる「ドイツ十一月革命」が起こって、この革命の嵐の中で、ドイツ史上初めての共和国樹立がベルリンで宣言される。
このヴァイマール共和国に反対して、A.ヒトラーがミュンヘンで一揆を起こしたのが、やはり、1923年の11月9日であり、ナチス政権下、ユダヤ人への迫害が、ユダヤ人商店の略奪、シナゴーグの焼き払い、そしてユダヤ人への暴行・殺害へと過激化した、いわゆる「水晶の夜」が起こったのも、ミュンヘン一揆から15年経った同日であった。
そして、四つ目の「11月9日」がドイツ国民の共通意識として記憶に刻まれるのが、東西ドイツ間にあった「壁」が落ちた日としてである。それが、1989年11月9日であり、東西ドイツ統一までには、約一年間が掛かることになる。1989年と言うと、日本史で言うと、平成元年であり、東西統一後のドイツの歴史は、日本史的に言うと、「平成の歴史」とでも言える訳である。
ここで1989年という年が出たので、今度は、9日という日付けではなく、年の9年ということで見ると、これまた、興味深い。1989年にベルリンの壁が「落ちた」が、東西ドイツの成立年が、1949年のことであった。即ち、西ドイツは、現在も「BRDドイツ連邦共和国」として存在するが、東ドイツ、つまり、「DDRドイツ民主共和国」は40年間しか存在しなかったことになる。何れにしても「BRDベー・エア・デー」が、ドイツ史上の第二共和制であるとすると、第一共和制たるヴァイマール共和国が誕生したのが、BRDが成立する、その30年前の1919年であった。という訳で、ドイツ近・現代史は、30年、40年と極めて区切りのよい、覚えやすい年代区分になっていると言える。
さて、2024年11月9日をまもなく迎えるに当たり、今年は、ベルリンの壁が落ちてから35年が過ぎた年になる。ドイツの現連立政権の首相Scholzショルツ(SPDドイツ社会民主党)は、ロシアによるウクライナ侵攻の前後のヨーロッパの事態を指して、「Zeitenwendeツァイテン・ヴェンデ(時代の転機)」と呼んだ。新しい世界状況の下、現「信号色」連立政権の存立も危ぶまれる中、一体、ドイツはどこに向かうことになるのであろうか。
(補足:上の投稿を書き上げたのが、11月6日のことであった。本日の7日にNoteに上げるつもりでいたが、6日の夜遅くに、世界の、そしてドイツの政治状況が変わっていた。6日の昼頃にはUSAの大統領選挙の結果が確定したことが大西洋を越えてドイツにも報じられていたが、一方、6日の夜遅くには、ドイツの現連立政権が解消されたことをScholz連邦首相が発表したのである。本日7日を以って、三党連立政権が解消されて、SPDと緑の党による少数連立政権が成立し、恐らく来年三月まで、ドイツの政局の舵取りをするということである。)