「夜蝋燭」 Nachtkerze(ナハト・ケアツェ)
夜は、die Nachtという女性名詞で、発音としては、いつもの通り、ch音に気を付けたい。「ハ」音を、喉の奥の方で、「擦る」ようにして発音する。Gute Nacht!(グーテ・ナハト)という挨拶語は、聞いたことがあるかもしれないが、「よき夜を!」ということで、日本語の「お休みなさい」に対応する言葉である。日本語では、午後8時以降が、「夜」であり、その前の、夕方からを「晩」と表現する。この「晩」に対応するドイツ語が「Abendアーベント」であり、それ故に、Guten Abend!(Abendは、男性名詞なので、目的語用の語尾変化で、gutがgutenとなる)も挨拶語になるが、ベッドに入ることを前提にする時だけ、Gute Nacht!と言うので、寝る訳ではなく、例えば、一次会が終わり、二次会、三次会にさらに行くと言う時には、いくら午後10時、11時になっていても、Guten Abend!と言う。
「蝋燭」が、die Kerzeで、これも女性名詞であるが、音節の〆となるr字は「ア」で表記した方が、原語に近い。また、z字は、「ツ」と発音する。故に、zeの綴り字は、「ツェ」と発音する。ドイツの日常生活では、ロウソクは、よく使われている。日本であると、停電と何か関係のあるような、そんなイメージの強いロウソクは、例えば、教会で灯すロウソク、高級レストランで燭台に飾られてあるロウソク、また、知人・友人を自宅に招いて、晩餐を振舞う時などには、ロウソクは付き物であると思われるほど、よく使われる。
では、「夜蠟燭」とは何か。これは、植物の名前であり、その黄色い、4つの花弁を持った花がぱっと開く時間帯から言うと、それが夕方の暗くなり始めることから、むしろ、「晩蝋燭」と呼びたい植物である。6月下旬から7月に掛けて咲き始め、一晩に数本の花を咲かせては、この咲いた花が、翌日に日が上るに連れて、萎んでしまう。言わば、「一日花」とでも言える訳であるが、蕾がいくつも付いているので、一本の「夜蝋燭」の花でも、数週間、その「淑やかさ」を愛でることが出来るのである。夕闇に包まれて黄色い花を付けて、ぼーっと立っている「夜蠟燭」とは、日本語で言う「メ・マツヨイグサ」で、学名が、oenothera biennisである。ドイツ語の植物体系学によると、Nachtkerzeという言葉一つで、下の「種」から数えて、次の「属」へ行って、三つ目の「科」まで分類することが出来る。
Nachtkerzeは、元々は北アメリカ大陸が原生地で、17世紀にヨーロッパ大陸にもたらされ、ヨーロッパ大陸各地に広まった帰化植物である。メ・マツヨイグサ(雌待宵草)は、日本では、ウィキペディアによると、明治時代に広まった植物であると言う。生命力が強い「雑草」であることから、ヨーロッパ大陸でも日本でも、またたく間に広まったのである。
さて、日本語で「マツヨイグサ」というと、必ずしも「メ・マツヨイグサ」だけを指すものではなく、アカバナ科マツヨイグサ属の一つの種である、Oenothera stricta をも言い、こちらは、19世紀半ばに観賞用に日本に持ってこられたものであると言う。同じく黄色の花弁を付けるが、翌日に花が萎むと、萎んだ花は赤味を帯びる点が特徴的である。
一方、「オオ・マツヨイグサ」という種もあり、学名がOenothera erythrosepalaというが、マツヨイグサに較べて丈が若干高く、葉が太いことから、両者を区別できるようで、黄色の花は、萎むと赤色を帯びるマツヨイグサと異なり、黄色のままであると言う。
黄色の花を付けるこの種を日常語的に「マツヨイグサ」と呼ぶのに対して、白い花を付けるものを「ツキミソウ」(月見草) と一般的に言う。学名は、Oenothera tetrapteraといい、こちらはメキシコ原産である。
「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」の歌詞で有名な、竹久夢二作詞の歌曲には、「宵待」と、「待ち宵」が逆になって出てはいるが、それが誤記であったのか、あるいは、意図的なものであったのかは分からないにしても、実際、楽譜の表記には、この二つのバージョンがあると言う。
ところで、「宵待ち」ということになると、連想されるのが、「十五夜」以降の下弦の半月までの月の呼び名が思い出される。月齢16日目が、「十六夜(いざよい)」という。「いざよい」とは、「いざよう」から来ていると言われ、「ためらう」の意味であるそうである。十五夜より、少々遅れて月の出になるからである。
さらに、月齢17日目が、「立待月」、月齢18日目が、「居待月」、そして、月齢19日目が、「寝待月」と、月の出が遅くなるのに従って、昔の人は、実に風流に、月の変化ぶりを名付けたものである。
ドイツ語ではこれ程、風流には行かず、極めて即物的に、新月、半月、満月と呼んで終わりであるが、一つ「上弦」、「下弦」の月について、ドイツ語の面白いエピソードがある。
問題は、日本語で「上弦」、「下弦」と言われても、それが、満月の前なのか、後なのか、区別しにくいことである。そこで、ドイツ人は、と言うと、月が「太る」か、「痩せる」かで考える。
この「太る」か、「痩せる」かの説明の前に、ドイツ語の動詞の面白い現象を一度説明しておく必要がある。まず、動詞gehenゲーエンがある。「行く、歩く」という意味である。(その三人称単数の形は、gehtである。)この日常的な動詞に、元々は前置詞であったaufアウフ(「上に、上で」の意)という部分を付け足すと、aufgehenとなる。面白のは、これを現在形で使うと、aufとgehenとが分離して、使われることである。例えば、der Mondデア・モーント(「月」の意)で文を作ると、Der Mond geht auf. となる。「月が上に行く」、つまり、「月が上る」という訳(わけ)である。aufの代わりに、unterウンター(「下に、下で」の意)を入れると、Der Mond geht unter. となり、「月が沈む」ということになる訳である。
この、いわゆる「分離動詞」を使って、ドイツ語でも「太る」と「痩せる」が言い表せるのである。nehmenネーメンとは、「取る」を基本的な意味とする動詞であり、その三人称単数形は、nimmtである。これに、元々前置詞であるzuツー(「ある所、ある者の所に向かって」の意)と、abアップ(「~から取って」の意)を付け足すと、zunehmenとabnehmenの二つの動詞が出来る。zunehmenは、「増える、太る」の意であり、abnehmenは、「減る、痩せる」の意である。こうして、Der Mond nimmt zu. 「月が(満月に向けて)太っていく/大きくなっていく」と、Der Mond nimmt ab. 「月が(満月の状態から)痩せていく/小さくなっていく」という文が出来る。
そして、である。abnehmenのab、さらにa字をよく見ると、この文字の左下が丸くなっているのである。ゆえに、月が小さくなる方向、つまり、下弦であることが分かる。一方、zunehmenのzu、z字を筆記体で書くと、ドイツ語では、3の数字を上下に引き延ばしたように書くのである。ゆえに、右上が丸くなっており、つまり、月が大きくなる出発点、つまり、上弦であることが分かるという次第である。筆者は、実際ドイツ人の知人にそう教えられて以来、「下弦」、「上弦」の区別が問題なく出来るようになり、その知人には未だに感謝している。
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