女子サッカー [2] der Frauenfußball(デア フrラオエン・フースバル)[2]

  女子サッカー [1] については、筆者の22年9月19日の、同名の投稿を読まれたい。そこでは、der Frauenfußballという言葉自体の説明と発音の仕方も書いてあるので、本稿の最初では、まず、これからの説明にも関係してくる言葉、DM、EM、WMを説明しておく。    

 まず、共通部分である「M」である。これは、Meisterschaftマイスターシャフトという言葉である。この言葉については、筆者が既に21年9月27日に投稿した「師匠連」という記事で詳しく書いてあるので、ご興味のある方は、そちらを読まれたい。ここでは、この言葉は、意訳して「大会、カップ」と訳しておく。

 それでは、M字の前にある「Dデー」、「Eエー」、「Wヴェー」がそれぞれ何であるかと言うと、ドイツ、ヨーロッパ、ワールドと説明しておくと、なるほどと理解できるであろうが、本ブログは、ドイツ語に関わるブログなので、それぞれが、ドイツ語で何であるかも簡単に説明しよう。因みに、「エー」の発音は、日本語の「えー」と異なり、両唇をしっかり左右に引っ張って発音する母音である。

 「W」は、die Weltディー ヴェルトという女性名詞から来ている。W字は、英語でのVに当たる言葉であり、自動車会社名のVolkswagenも「フォルクス・ヴァーゲン」と読む。正に、WとV、そしてFは、ドイツ語では「微妙な」関係にあるのである。という訳で、Weltmeisterschaftとは、「ワールド・カップ」のことを指す。であれば、「E」は、Europaオイrローパで、「ヨーロッパ・カップ」であろうことは、直ぐに、想像が付くであろう。

 「D」は、「ドイツ」の形容詞deutschドイチュから来ている。複母音euを「オイ」と、また、綴り字tschを「チュ」と発音することには気を付けたいが、Deutsche Meisterschaftとは、基本的には、その年度のリーグ(Bundesliga:ブンデスリーガ、「連邦リーグ」)での最多ポイント獲得チームを意味する。一方、ドイツ全国のサッカーチームを巻き込んだ大会を、サッカー界ではDFBドイツサッカー連盟が開催しているので、これを、DFB-Pokalポカール、つまり、DFB杯と呼んでいる。故に、ドイツ国内では、シーズン毎に、少なくも二つのタイトルが与えられることになる。

 前置きは以上として、前回の投稿では、1989年にドイツ・女子ナショナルチームがEMで、初めて優勝杯を手にしたところまでを述べた。1989年と言えば、日本では、平成の世が始まる年であり、日本経済も未だ順調であった頃である。ドイツでは、同年の11月9日にベルリンの壁が崩れ、翌年には、長年の希いであった東西ドイツの統一がなる時期である。旧東ドイツの人間にとっては、それまでのDDRドイツ民主主義共和国での生活が倒壊し、旧東ドイツが旧西ドイツの経済のために「併呑」されるという、ネガティブな側面を東西ドイツ「統一」が持っているとしても、全ドイツ、とりわけ、西ドイツにとっては、東西ドイツの統一によりドイツが益々発展する可能性が出来た、ポジティブな時代が始まったのであった。この時代の、上昇気分の波を先取りするかのように、ドイツ・女子ナショナルチームがヨーロッパ・チャンピオンとなる。そして、ドイツ・男子ナショナルチームは、翌年、ワールド・チャンピオンになる。

 女子サッカーのヨーロッパ・カップは、1984年に第一回目が開催されると、第二回目が、三年後の87年に、第3回目が、その二年後の89年に行なわれた。それ以降は、1997年までは、二年毎に、1997年から2017年までは、四年毎となり、本来なら2021年に開かれるべきところを、コロナ禍のせいで、翌年に開催が延期されたという経緯がある。という訳で、2022年の大会を入れて、これまで合計13回行なわれたヨーロッパ・カップでは、ドイツは、1989年に(西ドイツとして)初めての、91年に統一ドイツのチームとして二回目の優勝を飾る。一回間(あいだ)を空けた後(この時は準決勝で敗退)、1995年から2013年までは、6回続けてチャンピオンシップをものにする。ヨーロッパ女子サッカーの強豪の一つが、ノールウェーであり、対ノールウェーとの決勝戦でドイツは4回とも勝っている。

 この間、1991年より四年毎に開催されている女子のWMワールドカップでは、今まで8回開かれた内で、USAが四回、日本が一回(「運命」の2011年に)であるのに対して、ドイツは、2003年と07年の二回優勝している。という訳で、女子選手のトリコットの胸には、男子が四つ星(1954年、74年、90年、そして、2014年、なぜか、4の付く年がドイツにはラッキーな年になるようである)であるのに対して、二つ星が付いている。なお、男女ともワールド・チャンピオンになった国はドイツのみである。

 さらに、オリンピック大会の、ドイツ女子サッカー・ナショナルチームの成績をこれに加えれば、2016年までのドイツ女子サッカーがいかにその「黄金時代」を築いたかは、歴然であろう。女子サッカーのオリンピック大会は、1996年のアトランタ五輪がその最初であり、2021年の東京五輪まで、7回開催されている。2000年のシドニー五輪、2004年のアテナ五輪、2008年の北京五輪では、ドイツは銅メダルの「ハットトリック」をやってのけ、2012年のロンドン五輪を空けて、2016年のリオデジャネイロ五輪で、対スウェーデン戦に勝って、金メダルを獲得する。

 事程左様に、EM及びWM、さらにオリンピック大会で成功を遂げてきたドイツ・女子サッカー・ナショナルチームであるが、2016年以降、若干鳴りを潜める。1989年でのヨーロッパ・カップ優勝を受けて、翌年には女子ブンデスリーガが、20チームを以って、作られるが、プロではないチームが入るリーグでは、やはり、プロチームの優位が否めなくなる。結局は、1997年には、ブンデスリーガを12チームに縮小せざるを得なくなる。さらに、2016年の金メダル獲得を以って、長年成功裡に女子サッカー・ナショナルチームを率いた名トレーナー、Silvia Neidズィルヴィア・ナイトが引退すると、それまでのシステムの変更が起こる。たかがトレーナー一人と言うのではあるが、やはり、ナイト女史がトレーナーとして果たした役割がいかに大きかったかが、その後の事態の展開でよく分かることになる。こうして、2016年以降、22年までの六年間は、ドイツ女子サッカーは、対外的にいわば、「臥薪嘗胆」の時期を過ごすのである。

 2018年、現監督のMartina Voss-Tecklenburgマrルティーナ・フォス=テクレンブrルクが女子サッカー・ナショナルチームの監督に就任する。現役の選手時代には、ナショナルチームに1985年から2000年までミッドフィールダーとして所属し、125試合に起用されて、27点の得点を上げる。ヨーロッパ・カップでは、1989年、91年、95年、そして97年の優勝に寄与する。WMでは、1995年に準優勝を飾り、ドイツ国内では、DMを6回、DFBポカールを4回勝ち取っているという、輝かしい経歴の持ち主であり、監督としては、二度のDFBポカール優勝を経験し、2015年から17年にはスイスのナショナルチームをWM及びEMで予選通過まで持っていったという具合である。

 因みに、Voss-Tecklenburgという、二重の苗字は、結婚した二人が合意して、それぞれの婚姻前の苗字を合わせて名乗るというものであり、ドイツでは、婚姻に際しては、1.結婚する二人のどちらかの苗字を名乗る、または、2.それぞれの婚姻前の苗字を合わせて名乗る、或いは、3.それぞれがそれぞれの苗字を婚姻後も名乗るという(いわゆる、「夫婦別姓」)、三つの可能性があるのである。

 何れにせよ、このフォス=テクレンブrルク監督の差配の下、2022年夏の、イギリスで開催された女子サッカーのEMでは、ドイツは、Sommermärchen 「ゾマー・メルヘン:夏のメルヘン」を味わうことになるが、この話は、それでは、次回に回そう。

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