女子サッカー [4] der Frauenfußball(デア フrラオエン・フースバル)[4]
2015年のWMでは、ドイツ女子ナショナルチームは、この年に決勝戦で日本に勝って優勝するUSAに準決勝で0対2で負け、さらに、日本に準決勝で負けたイングランドに、三位決定戦で、延長の末0対1で負けて4位止まりであった。その二年後の2017年のEMでは、グループ戦では一位になったものの、トーナメント戦では、別のグループ戦二位のデンマークに1対2で敗退するという番狂わせで、ベスト8止まりとなり、2019年のWMでも、対スウェーデン戦に1対2で負けて、同様のベスト8止まりという具合に、WM二つ星のサッカー「女王」国ドイツとしては、満足すべき結果を、2016年のオリンピック金メダル獲得以来、出していなかったのである。しかも、この2019年のWMの結果により、20/21年のオリンピック東京大会行きの「チケット」も取れない有様であった。
こういう中、コロナ禍で一年遅れで22年に開催されたEMイングランド大会では、予選は無事に通過したのは当然としても、ここ数年の国際大会の結果から、余りいい結果が出ないのではないかと想像されていたのである。
まず、名女性監督S.Neidナイト女史が引退した後の三人目の、現監督のMartina Voss-Tecklenburgマrルティーナ・フォス=テクレンブrルクが、女子サッカー・ナショナルチームの監督に就任したのが2018年であり、監督就任以来未だ比較的時間が浅く、しかもコロナ禍のせいで対外試合も余りままならない状況であった。さらに、大会参加国16ヶ国中、ドイツ・ナショナルチームの構成員の平均年齢が約26歳と、参加国中、下から5番目の若さで、また、対外試合参加回数が34回と、平均年齢最年長、対外試合参加平均回数最多のスェーデンと、それぞれ約3歳、36回も数値が異なっていたのである。とりわけ、対外試合参加回数の多寡がディフェンスの質に大きく出ることから、この点が心配であることが否めない。
こうした、余り期待されていなかった状況から、大会が進行するに従って、ドイツ国民を次第に盛り上がらせていくプロセスは、正に、2006年の男子サッカーのWMのSommermärchenゾマー・メルヘンと同様の展開であった。(「ゾマー・メルヘン」という言葉のドイツ社会的文脈については、筆者の、22年10月11日の同名の投稿 [3] を読まれたい。)
22年7月6日から始まったグループ戦では、ドイツは、緒戦の対デンマーク戦では、17年のEMの雪辱を果たす形で、4対0と快勝する。次の対スペイン戦も2対0と、第3戦の対フィンランド戦も3対0と順調に勝ち進む。
グループ戦を無失点でグループ一位と戦い抜き、準々決勝でオーストリアを2対0で降す頃には、これで行けば、決勝戦まで行けるのではないかという雰囲気が、次第にドイツ国内にも醸成されてくる。準決勝では、強豪のフランスと当たり、これを2対1で破ると、優勝も夢ではないと期待感を膨らませて、ドイツ女子ナショナルチームは、7月31日に、開催国の、しかもサッカーの母国のイングランドで、しかも、あの有名な伝統のスタジアム、Wembleyウェンブレー競技場で、イングランド女子ナショナルチームとの決勝戦に臨んだ。入場者数も、約8万7千人と、EMの女子サッカー大会としては最多数の数である。選手の、とりわけ、イングランド・チームの一挙手一投足に「黄色い」声援が投げかけられるのは必須である。
イングランド女子ナショナルチームは、2017年のEMでは、ベスト4入り、2019年のWMでも、ベスト4となり、コンスタントに結果を出していたチームである。21/22年のEMでは、グループ戦では、対ノールウェー戦では8対0の大勝の凱歌を挙げるなどして、順調にグループ戦一位となり、準々決勝では、スペインに辛くも延長で2対1で勝ったものの、準決勝では、対スウェーデン戦を4対0と快勝していた。有能なオランダ人女性監督の下、この調子によく乗ったイングランド・チームに、しかも、開催国がイングランドであるから、いわば、ドイツ・チームにとっては「アウェイ」の試合として、ドイツの応援団がいる一面を仮に抜いたとしても、四面楚歌ならぬ「三面」楚歌で、ドイツ女子チームは戦わなければならない状況である。
しかも、試合開始直前になって、フォワードの有力選手でキャプテンであるAlexandra Poppアレクサンドrラ・ポップ(愛称として「Poppi」と呼ばれているが、愛称には名前や苗字の最後に-iを付ける)が、ウォーミング・アップ中の筋肉の不調で、試合に出られないことになった。今大会で得点「女王」になるかもしれない6ゴールをゲットしており、ヘディングに強く、「制空権」を確保して、準決勝の対フランス戦で、ドイツが2対1でゲットした1点は、彼女のヘディングシュートによって奪ったものであった。その彼女が、突如試合に出られなくなり、ドイツ・チームは、試合の前半は、「慎重に」と言えば、肯定的であるが、むしろ、「萎縮」したゲーム展開で試合を戦った。明らかに優勢なイングランド・チームの攻勢を持ちこたえ、フォワードPoppiがいなく、「三面」楚歌の中、前半を何とか0対0で乗り切る。
ハーフタイムの間、監督のM.フォス=テクレンブrルク女史に勇気づけられたのか、後半に入ると、ドイツ・チームは、いくらか積極的なゲーム展開を仕掛け、いくつかのチャンスをものにするものの、そのためにバックの脇が甘くなったところを逆に衝かれて、64分にイングランド側に先制点を許す。サッカーの殿堂たるWembley競技場は、イングランド・ファンのどよめきに揺れた。
しかし、ドイツ側は、80分、バックから中盤にうまくつなげたボールを右ウィングからアシストされたLina Magullリナ・マグルが左足でシュートして、同点に持ち込む。こうして、後半を1対1で乗り切り、延長戦に入るが、イングランド側にコーナー・キックを取られ、イングランド・ファンをジェスチャーでもっと応援するように焚きつけて、コーナー・キックを受けるべく、ドイツ側のゴール前に陣取ったChloe Kellyクロエ・ケリーが、その110分目、ゴール前の揉み合いから一点をゴールに押し込む。ゴール・ゲットの喜びの余り、フィールド内を駆け巡り、イングランド伝統の白色のトリコーを脱いだKellyは(彼女はブラジャーを付けていたのでご安心あれ)、ウクライナ人の主審からイェロー・カードを食らう訳ではあるが、試合終了あと10分の時点で、イングランド側は、ゲームよりも時間つぶしのボール回しとなり、ドイツ・チーム側は、大したチャンスも掴めずに、試合が終了する。
イングランド女子サッカーの歴史において、大きな大会での初のチャンピオンシップである。2015年のWMでは、これもドイツに延長戦で1対0で勝って、3位に、その四年後には、三位決定戦でスウェーデンに1対2で負けて、四位までしか最高でも行っていないイングランド・女子チームであった。EMでは、近年のベストの成績が、2017年のEMで、この時がベスト4入りであった。2009年のEMでは、イングランドは、ドイツと決勝戦で当たり、この時には、2対6で大敗しているので、今回の21/22年の決勝戦は、いわば、この2009年の雪辱戦とも言えるが、「因縁」はそれだけではない。
実は、この決勝戦の前半26分、萎縮しながらの試合展開ながら、ドイツ・チームは、ゴールのチャンスを掴む。イギリスのゴール前の揉み合いから、ディフェンダーのMarina Hegeringマrリーナ・ヘゲrリングがボールをゴールに押し込もうとするが、ボールがイングランドのキャプテンLeah Williamsonレア・ウィリアムソンの腕に当たったのではないかという状況になった。ビデオ審判がその疑念をウクライナ人女性主審に伝えたと言うが、彼女は、ビデオ・チェックもすることなく、試合を続行させる。試合中には、ドイツ・チーム側はこの主審の判断に抗議することはなかったが、M.フォス=テクレンブrルク監督は、ドイツのテレビとの、試合直後のインタヴューに答えて、ビデオ撮影を見る限り、自分には「ハンド」に見え、であれば、主審の判断は不当であると述べている。
ここまでの経緯を見て、ドイツ人であれば、ほぼ誰でも思い出す出来事がある。男子サッカーの、1966年WMイングランド大会である。この大会での決勝戦がイングランド対ドイツで戦われた。しかも、その場所は、もちろん、Wembley競技場であった。まずは、ドイツが12分に先行したが、その6分後にはイングランドが同点を入れる。後半、78分に今度はイングランドがリードするが、ドイツ側が90分+に同点を入れて、延長戦に持ち込む。そして、101分に、伝説の「Wembleyゴール」が放たれる。Geoff Hurstが蹴ったシュートは、ドイツ側ゴールの上部のバーに当たる。ボールがバーの下部に当たったので、ボールはゴールラインを目がけて下に跳ね返る。問題は、そのボールの着地点である。当時は、ビデオ撮影がないから、検証の仕様がないのであるが、この時の線審は、ボールの着地点は、ゴールラインを越えていたと見て、イングランド側の得点と認められたのである。ドイツ側では、これは今でも不当なゴール認定とされており、そのような「因縁」が、ドイツ対イングランド戦に付きまとうのである。
今回の女子サッカーのEM・決勝戦でも、このハンドの裁定が決定的であったのである。何れにしても、これにより、イングランドは1966年以来56年振りに大きな大会のタイトルを勝ち取ったことになるが、今回は男子ではなく、女子であり、イングランドのワッペンが三匹のライオンであることから、イングランド女子サッカー・チームが、The Lionesses「雌」ライオンたちとして、イングランドの、サッカーの母国としての「栄誉」を回復したのであると喧伝される。
一方、試合当日の日曜日には悔し涙を呑んだドイツ女子ナショナルチームは、翌日の月曜日には、ドイツはマイン川沿いのフランクフルト市の市庁舎のバルコニーから、いつもより多いファンたちの声援に微笑みを持って手を振っていた。22年7月の、二度目のSommermärchenゾマー・メアヘンの、二位に終わったという一点の曇りはあるにはしても、彼女たちは、その凱旋の旨酒を味わっていた。
EM二位という結果により、ドイツ女子ナショナルチームは、国際サッカー連盟FIFAの世界ランキングを5位から2位に上げた。また、この大会で活躍した選手の中から、欧州サッカー連盟UEFAの専門家が選んだ11人の「ドリーム・チーム」に入ったドイツ人女子選手は、イングランド人選手四人より多い、五人であった。上述の、フォワードのA.PoppとディフェンダーのM.Hegeringもその中に、もちろん入っているが、残り三人の内で、ミッドフィールダーのLena Oberdorfレーナ・オーバードrルフは、今大会の「ヤングスター選手」としても表彰された。
2022年夏現在未だ二十歳の、顔にニキビがあちこちあるL.オーバードrルフは、北西ドイツのルール地方出身である。2001年生まれの彼女は、すでに12歳の時から、つまり、2014年からドイツの女子ナショナルチームの選手となり、この時はU15で、その後は16年から18年までは、U16、U17(17年のU17EM優勝チーム)、U19のそれぞれのナショナルチームに入り、そしてU20 でもチーム最年少選手として活躍する。ジュニア・若手選手養成の功績を讃えるFritz-Walterフリッツ・ヴァルター・メダル賞では、18年に銅賞を、翌年には銀賞を、そして20年に金賞をさらう。19年初めに女子ナショナルチームAに呼ばれて入る。同年のWMでも選手として起用されるが、これは、ドイツ女子サッカーのナショナルチームの歴史としては、17歳5ヶ月での参加で、これまでの最年少の記録であった。
現在身長は174㎝で、ポジションはミッドフィールダーであるが、体つきはディフェンダー向きの体格であるところから、L.オーバードrルフ(愛称はOberdorfを「Ob-」に省略し、それに最後に-iを付けた「Obiオービー」)は、ディフェンダーのすぐ前のディフェンス的ミッドフィールダー、すなわち、日本語で言う「中盤の底」、ドイツ語で言うSechserゼクサー、つまり「No.6」となっている。彼女の背番号も6であり、的確にそのゲームメーカーとしての役割を弁えてのことである。このSechserについては、筆者の22年4月2日の投稿「ダブル・No.シックス」を読まれたいが、とりわけ、本EMの準決勝の対フランス戦での、彼女の「司令塔」としての役割は大きかったと言える。今後の彼女の活躍を大いに見守りたいところである。
こうして、EM21/22のイングランド大会は、第二弾のSommermärchenゾマー・メアヘンとして終わったのであったが、これには後日譚がある。この後日譚は、それでは、次回の [5] で語ろう。