「ツヴェッチュゲ」 Die Zwetschge(ディー ツヴェッチュゲ)
今回は、表題のドイツ語の発音の仕方からではなく、まずは、筆者の経験談から始めさせていただく。
筆者は、日本人以外の人に日本語を教える時に、いわゆる、早口言葉を使うことがある。その第一弾が、「すもももももももものうち」である。「も」が、まとめて八回も出てくること、「す、も、の、う、ち」の五音しか出てこないこと、言葉の構造が簡単であること、「~も~も」の言い回しが登場すること、「~の~」という修飾語の典型的構造があることが、この早口言葉を取り上げる理由である。因みに、「外国語としての日本語」では、「も」や「の」などの助詞を、ある言葉の要素の後ろに置かれる詞と言う意味で、ドイツ語の前置詞に対応させて、「後置詞」と呼んでいる。
さて、この早口言葉「李も桃も桃の内」を、この投稿で取り上げたのは、その意味内容として、「桃」が、植物分類学的に、「李」の上位に当たる、例えば、「種」に対する「属」に関する名称なのであろうかということである。つまり、「モモ属」などというものがあるかである。
そこで、例の通り、ウィキペディアなどで調べてみると、スモモとモモの植物学的分類は以下の通りになる:
スモモ:バラ科・モモ亜科・スモモ属・スモモ種
モモ :バラ科・モモ亜科・スモモ属・モモ種
ということで、分類系統の、どのレベルで判断するかで、上述の早口言葉は、内容的に正しいか正しくないかということになる。属のレベルで考えれば、どちらもスモモ属なので、正しくなく、その上の亜科レベルで考えれば、どちらもモモ亜科なので、正しいということになる。但し、「モモ亜科」のラテン語名が、Amygdaloideaeで、これを、直訳すれば、「モモ亜科」となるが、最近では、ここの部分を「サクラ亜科」とも、或いは、かつてのように、「スモモ亜科」と分類することもあり、定まっていない状況である。しかも、サクラ類が多い日本やロシアでは、サクラ属(Cerasusケラスス)という分類名を導入している。こうなると、日本と、サクラ類の少ないヨーロッパ、北米とでは、分類の仕方が異なってくるのであるが、肝心な点では、スモモ属のラテン語名Prunusプルヌスである。
モモの学名は、Prunus persicaで、英語のPeachは、「ペルシャ」が語源で、モモは、「ペルシャのリンゴ」と呼ばれたことから来ているのであると言う。
一方、スモモは、漢字では「李」とも「酢桃」とも書き、日本人の味覚の感覚が示されているが、学名では、Prunus salicinaという。なぜ、この種小名が「ヤナギSalix」と関係があるのかは分からなかったが、この中国から古くに日本へ渡来した植物は、英語で「Japanese plumプラム」と呼ばれる。
ドイツ語も同様であるが、「Japanese plumプラム」と言えば、実は、「ウメ」のことも言うようで、ここは気を付けたいところである。「ウメ」の学名は、Prunus mumeで、この種小名の「mume」から想像が付くように、何か「ume」に似ているところから、ひょっとして日本語かもしれないと思われた。そこで、調べてみると、実際そうで、これは、当時の日本人が発音していた「mmeんめ」を聞き取ったドイツ人日本学者Siebold(一般には「シーボルト」と言われているが、ここはドイツ語風に「ズィーボルト」と発音したい)から、この学術名が来ているからである。Sieboldは、江戸時代の1823年から29年まで、さらに、1859年から62年まで日本に滞在し、日本の民俗・風俗だけではなく、植物についての本を書いている。因みに、日本語の「ん」は、後に続く子音・母音によったり、また、音節の〆となったりした場合で、「n、m、ng」の音韻になる特殊音である。
ところで、このウメは、英語では、Japanese apricotと、「日本のアンズ」とも呼ばれている。こうして、李、梅、杏には、混同が起こる訳であるが、やはり、種小名で、アンズは、Prunus armeniacaと、その採録地たるアルメニアに関係がある、或いは、そう思われているのである。
こうして、いよいよ、本投稿の題名たるZwetschgeについて語ることが出来る。これまでに述べてきたように、学名「Prunus」には、地名による色々な種小名が、例えば、ペルシャやアルメニアのように付く。Prunusは、植物として、自然交配などを通じて、色々と育成されてきた「文化・栽培植物」であり、次第に、その地域、その地域で独特の形質を形成したのである。そのようにして、ヨーロッパでも独自のPrunusが繁殖するようになり、18世紀半ばには、例の有名な植物分類体系家リンネがこれを「Prunus domestica」として採録する。これを日本語では「セイヨウスモモ」と訳すのであるが、この「セイヨウスモモ」の中でも、最も「domestica」なものが、Zwetschgeツヴェッチュゲなのである。
日本語の辞書によると「Zwetschge」という単語は、南部ドイツ及びスイスの方言であると記載されており、別の形の「Zwetsche」が高地ドイツ語の表記であるようであるが、ウィキペディアでは、Zwetschgeの方の記載を採っている。また、「Zwetschke」は、オーストリア方言である。
では、Zwetschgeの発音の仕方を説明する。ドイツ語の「z」字は、母音に伴なわれる「s」字が濁音になるのに対して、「ツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォ」と発音する。「w」字は、英語の「v」字であるから、「ヴ」の音である。「ツヴ」の間には「ゥ」音が入らないように素早く発声する。ドイツ語の「tsch」の綴りは、「チャ、チュ、チョ」と発音する。こうして、Zwetschgeは、「ツヴェッチュゲ」と、カタカナ表記することで大方の賛成を得られるであろう。それと、カタカナ表記上、「ッ」も書いてあるが、これも出来るだけ短く発音したいものである。
Zwetschgeの大型落葉低木は、平均的に言って、6メートル程まで伸び、太い枝には5cmほどの長さの棘が生える。初春には、Prunus属に典型的な五弁の、緑がかった白い花を咲かせる。八月になると、週市場では、卵のSサイズを縦長にしたような、卵型をした果実が売られる。色は、青黒く、果実全体に白く薄い層が被さったようになっている。この層は、果実が乾燥しない働きをしているので、生で食べる時やケーキの材料に使う直前にこの白い層を水で洗い落とした方がよい。果実の中心には、内果皮が硬化した「核」があり、その中に種子がある。(ドイツ語では、この「核」を「Steinシュタイン:石」と呼んでおり、ドイツ語での植物分類体系では、このように果実の中に「石」を持つ果実を「石果物」と呼んでいる。それ故、「石果物」がPrunus属の、伝統的な別称になっている。一方、ドイツ語では、ナシなどのタネをKerneケアネと呼んでおり、これを直訳すると「核」になるので、日本語の「核果」と混同することなる。という訳で、本稿では、「核果」のことを「石果」と呼びたい。)
多肉質の中果皮が果肉となるが、Zwetschgeの果肉は少々硬めで、ナイフを入れて、二つに割ると、スモモなどに較べて「石」を簡単に取れるので、極めて処理しやすい。この理由から、Zwetschgeは、ケーキを焼く時の素材としてよく使われる。という訳で、八月になると、ミルクで捏ねたパン生地に、二つ割りにされたツヴェッチュゲがびっしりと並べられたZwetschgenkuchenツヴェッチュゲン・クーヘンをホイップクリームをたっぷり掛けて食する光景がケーキ屋兼の喫茶店でよく見掛けられる。これまた、ドイツの夏・晩夏の風物詩の一つであろう。是非、試されたい。
最後に余談:
ヨーロッパのPrunus類の起こりは、ギリシャのアレクサンダー大王がペルシャを通り越してインドまで大遠征をしてヨーロッパに戻った時にこれらの地域にあったPrunus類をヨーロッパに持ってきて以来であると言う。その後、フランク帝国を建てるシャルル・マーニュ(これはフランス語で、ドイツ語ではカール大帝)により、Prunus類はヨーロッパ各地に広まっていったと言われている。そのようなPrunus domesticaセイヨウスモモには、Prunus domestica中のdomesticaであるZwetschgeだけではなく、いくつかの別品種がある。種小名に「italica」を付けると、別種となる。つまり、イタリア系統のセイヨウスモモとなる訳であるが、面白いことにこの別種にはフランス語の名称が冠されている。Reineclaudeレヌ・クロードゥである。この名称は、Reine(女王)とClaude(クロード)が合成されたもので、この別種に、なぜか、フランス16世紀初頭の女王Claude de Franceの名前が採られているのである。恐らくは、この女王へのオマージュなのであろう。(別の説では、フランスの果実研究家のRené Claudeから来ているとも言われる。)
このReineclaudeの実は、直径2cm程で、色は、緑がかった黄緑色をしており、果肉は、Zwetschgeよりも柔らかく、また、甘いので、ケーキ用よりは、コンフィテューレ(ドイツ語のカタカナ表記)に適している。
さらに、種小名に「syriaca」を付けると、シリア系統のセイヨウスモモとなる。この別種が、日本語でもお馴染みのMirabelleミラベルで、アンズの果実を直径2cmほどに縮小した、オレンジ色の実となる。こちらもフランスでお馴染みのセイヨウスモモの一種となり、とりわけ、フランス北東部の、ドイツ国境に近い旧ロートリンゲン地方がその産地の一つとなっている。このロートリンゲン地方の中心都市の一つにMetz(ロートリンゲン方言及びドイツ語で「メッツ」、フランス語読みで「メス」)という町があり、ここが、この地域のミラベル種の生産の中心地の一つとして、「メッツのミラベル」を町の名産物としている。それで、このメッツでは、八月の中旬の週末を日程として、ミラベル祭りを開催し、ミラベルを使った食品、タルト、ケーキ、コンフィテュール(フランス語のカタカナ表記)、それに蒸留酒などが、メッツ近縁の農家や製造業者、手工業者を集めて、提供される。丁度この時期にフランス北東部を訪れる機会がある方にはお勧めの催し物であろう。