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お前、仕事好きだろ?(完全版)

はじめに

当記事は以下4記事を1つにまとめて再編したものです。


大学時代

働きたくなかった

大学時代、このまま無為な生活を送り続けたいという欲があった。大学院に進学してモラトリアムを延長したいとも思ったが、進んだ学科の内容に興味が持てなかったので、このまま大学院に進学してもお金が無駄になると思った。特別裕福な家ではなかったので、なんとなく進学するなんてことは両親に申し訳なく、躊躇われた。
私は進学の選択肢を取るに値しないと考え、就職活動をすることにした。大学三年の前期が終わる頃には決断をし、両親にもそのことを電話で伝えたのを覚えている。

就職活動が苦痛

しかし就職活動は苦痛でしかたなかった。何者でもない自分を市場に売り込む、その行為が嫌で嫌で仕方なかった。
就活で出会う人々は、さも自分が何者かであるかのようなフリをしているように見えた。というかおそらく実際にしていただろう、大学生の身分で既に何者かであるといったことはほとんどないからだ。なんだこの壮大な嘘つき大会は、みんな本当は働きたくないくせに。「御社に入社したら〇〇がやってみたい」など平気で嘘をつく。そんなビジョン持ってるわけないだろ、なんだこいつら(※実際に持っていた人はいたかもしれない)。世の中に出たら、この就活で評価されるような人が評価されるようになるのかと感じてしまい、ますます働く意欲は削がれていった。あー働きたくねえ。振り返って、我ながらただの卑屈な奴だったと思わなくもない。

皆こぞって大企業に就職しようとしていた。働きたいかどうかは別として、私も大企業に就職したいとは思っていた。待遇が良いだろうことが想像できたからだ。でも大企業に就職することはすなわち仕事をバリバリこなしてスーパーサラリーマンになることだと思っていたので、働きたくない自分がいくべき企業ではない、と考えていた。

ベンチャー企業に活路を見出す

そこで「ベンチャー企業」界隈について調べてみた。大企業のカウンターとしてベンチャー企業に就職するという選択肢を思いついたのだ。色々と調べると総じて胡散臭い企業群であったが、その中でもキラリと光る原石のような会社を見つけた。結果的に新卒入社することになる企業だった。

私はその会社になぜか運命的な出会いを感じた。全く根拠がなかったが、私という人間をさらけ出してアピールをすれば、それだけで採用されるのではないかと思った。大企業を目指した嘘つき大会の就活が大嫌いだった私は、そのカウンターとしてのベンチャー企業就活に活路を見出し、そこで自分の本心を語って採用されてみせると奮起した。

「私は正直働きたくない。この無為なる大学生活を愛しておりこのままの状態が続くことを願っているが、未来永劫続けることができないことも分かっている。なので、やるからには本腰を入れてやりきっていきたいのだ、そのために世の中の現状変更を自らの意思で企てている御社に是非入社してともに頑張っていきたい。…」というような、いや実は後半は嘘なんじゃないかとも思われる作文をし、面接を重ね、無事内定を頂けた。就活というものを心の底からやりたくなかったので、小さな嘘つき大会に参加して勝利を収めた私は、すべての就活を終了させた。

いざ社会人

なぜ俺はベンチャー企業に

いざ社会人になって働き始めて、私はこの会社に入ったことを後悔した。よくよく考えてみれば分かることだが、大企業とベンチャー企業、忙しい割に待遇が良くないのはどちらだろう?もちろんベンチャー企業である。なぜ働きたくないやつがベンチャー企業など入ってしまったのか。忙しくストレスも多いわりに薄給である。他方大学時代の友人は、いわゆる超大手大企業に就職し、それなりの待遇で充実した毎日を送っているように見えて眩しかった。


金が無い

彼らとは金銭感覚も異なっていた。例えば彼らは、チェーンではない居酒屋で 1回 7,000-8,000円くらいの飲み代を懐傷まず出せているようだった。私はそんなところにはほとんど行けず、大学時代のサークルに顔を出し、後輩や大学院に進んだ友人と大学生のセコい金銭感覚でなんとかしのいだ。「西ケ原さんはいきつけのお店とかあるんですか?」と仕事関係の人に聞かれたことがあったが、いきつけのお店ナニソレ?である。そんなところに金使えるわけないだろ。

経験を詰むことで多少好転

社会人1,2年目の頃は本当に苦しかった。ベンチャー企業なのでそれなりに責任のある仕事にいきなりアサインされるのだが、どのように進めるのが正しいのか、手厚く教えてもらえる環境でもなかったので、悶えながら考えるしかなかった。またそんな中、周りの先輩社員が粛々と業務推進しているのを見るにつけ、いや私はこんなに仕事ができないのか、このままだと待遇改善もできずにストレスに押しつぶされて詰んでしまうのではないか…と考えたりもした。私の心は荒んでいった。

社会人2年目の後半くらいになると、徐々に社会というものが見えてきて、事態は多少好転したように思う。
一つの大きな気づきを得たことが大きい。それは「仕事ができる・できないは、結構経験に支配される」ということだ。周りの30代の先輩社員が仕事ができるように見えていたのは、なんてことはない。10年以上の期間を仕事に捧げてきたことよって、一定水準の能力に到達していただけのことだ。私も2年と短いが一定の経験をしてみると、先輩社員以上に自分の方が深く考えている分仕事ができているな、と思うことが多くなった。

渾身の転職活動

しかし仕事がしんどいという感覚は続いており、どうにかして楽で待遇の良い仕事につけないかと思案するようになった。転職サイトに登録し、とある業界の待遇が良い、基本労働時間が1日7時間の会社は楽である、等情報を仕入れ自分で考え、とある会社一本に絞って転職活動を行った。新卒での就活とまったく同じである。無駄なことはしたくなかった。

この会社の一次面接では担当部長と行うものだった。私の今までやってきたことすべてを出し切った。自信満々に堂々と、この会社で私はこのように活躍できるのだとアピールをした。いやそれ新卒の就活でやっとけよと言わんばかりの会心の出来だった。
当該面接は一次面接である。つまりその後にも面接を控えており、実際の採用が決まるのはこの先の三次面接(最終面接)であった。にも関わらず、担当部長からは面接の場で「僕がこの場で落とすことはない。現場が欲しいって言ったらこの先の面接は人間的に問題ないかチェックするだけだから大丈夫」という言葉を頂いた。つまり実質的な内定を頂いたのだ。ありがとうございます、とその場で伝え、お見送りの後一人エレベーターに乗り込み、エントランスを戻ってビルから出る時に、私は特大のガッツポーズを決めた。

というわけで結果的にも無事内定をいただくことができ、二社目の会社に転職した。詳細はふせるが待遇は劇的に改善した。労働時間の短縮、給料の増額をダブルで達成できたのでとても嬉しかった。これが目的だったからだ。

人生の夏休み

なんだこのぬるさは

2社目の会社に居た時間、それは人生の夏休みだった。
仕事がぬるい。スピード感がない。決めたスケジュールがゆるすぎて、仕事をしてるフリまでする始末。やる仕事がないので時間を潰さなければならないのである。なんだこれ。でもこれでもこの会社には売上が発生し、決して低くない給料を私たち社員に支払ってくれるのだ。世の中の不平等さを再認識した。そんな生活が1年くらい続いた。

夏休み終了のお知らせ

しかし万物は流転するものだ。無常。私の夏休みは急に終わりを告げた。
簡単に言えば、今までにはなかった競争環境にさらされることになり、社員は急ピッチでその対策をする必要ができたのだ。
忙しくなってきたものの、私はしばらく在籍しようと思っていた。すぐに辞めるつもりはなかった。環境の変化こそあれ、求めた待遇は維持されていたからだ。

私がこの会社に転職したのは、まずもって待遇の改善のためであり、業種職種が自分のやりたいことかどうかは二の次であった。なので入社当初は取り組む仕事に興味が持てなかった。その後、興味を持とうと関連する資格をとったりと努力はしたが、結果的に興味を持つことはできなかった。

仕事に興味を持つことができない、これはとてもつらいことである。
仕事というのは自分の人生の大半の時間を捧げる対象であるから、仕事がつらいということは、つまり自分の人生がつらくなるということだ。

二度目の転職

そんな中絶好のタイミングで、前職の知人からリファラル採用をお声掛けいただいた。待遇は据え置き、忙しさは増すだろうことが想定された。業務内容としてはものすごく興味があるわけではなかったものの、その時点での業務内容に比べたら比較にならないほど興味深そうなものではあり、悩みながらも転職の意思決定をし、三社目へと移ることになった。社会人7年目のことであった。いわゆる縁故採用、リファラル採用である。

新たな環境

前振りの会食

転職を決める前に会食をした。その時は正直転職する気もなかったので、久しぶりに旧知の中である人と美味しいごはんを食べられるチャンスと捉え、普通の飲み会のようにどうでもいい話や時折真面目な話を織り交ぜながら楽しい時を過ごした。

真面目な話については、どんな業務内容になりそうなのか、どんなことが求められるのか、また改めて私がどんな人間であるのか。その中で私は自分の仕事感について話すことになった。

いやー働きたくないんです。今の会社(二社目)も待遇改善求めて選びましたし」
「ちょっと傾きかけてはいますけど、まだしばらくは(忙しくなく給与も低くない待遇のまま)居られるんじゃないかと思ってるので、現時点ではあまり転職は考えてないんですよね」
といった話をした。つまり、私が仕事に求めているのは楽して稼げる高待遇であり、私は本質的に働きたくない人間である、といった趣旨の話をしたということだ。

そして言葉をかけられる

なんやかんやあって三社目に転職し、彼らと一緒に仕事をすることになったわけだが、私はその真面目な性格から職務を全うすることになる。当時私自身は無自覚であったが、周りから見ると誰よりも仕事に真摯に向き合っているように映っていたようだ。

そんな中、私を誘ってくれた同僚と仕事中におしゃべりしながら、不意に言われたのだ。

「お前、仕事好きだろ?」

曰く、「働きたくない」と言っていたから、つまらないながらもやらねばならない仕事を無理してやるスタンス。仕事を選り好みしながら効率的に働くやつなのかなと思っていた、とのことだった。
でも目の前にいるのは、誰よりも真摯に仕事に取り組み、投げ出さず全体最適のための価値提供まで考え抜こうとする、想像とは異なるやつであると。

おお、私は仕事が好きだったのか、、とても腑に落ちた。

私は仕事が好きだ。好きじゃない時も多いけど

生真面目な性格も災いし、私にとって仕事はものすごくストレスがかかるものである。だから私はこのストレスから抜け出したいという意識で「働きたくない」という表現を多用していた。

しかし実際には、働くという行為自体を楽しんでもいたのだ。自分の能力を発揮できる、少しストレッチして自分の成長も実感できる、問題解決という名のパズルで遊べる、等。仕事には楽しい側面もたくさんあったが、私は無自覚にそれらを「言語化しない」ことによって蓋をしていた。逆に「働きたくない」と言語化をすることで自分で仕事をつらいものだと捉えてしまっていたのだ。

実は今でも、仕事はつらくストレスのかかるものだという意識のほうが強い。当初から言語化されるくらいには強烈に感じているのだろう。

しかし私は一方で、仕事そのものを楽しんでもいる。仕事はつらくもあるが楽しくもあり、お前はその楽しさに気づけてもいるぞ、だから楽しんでやっていこうぜ。仕事がつらくなったときにはかつての同僚の言葉を思い出し、自らを鼓舞したりしている。

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