1:このメガネ伊達じゃない
役者をやっています。
と言うのは誰でも言えてしまう。別に証拠はないしいらないし、活躍していなくても実績がなくても成り立ってしまう職業だから。
そんなとこをやっています。和田修昌です。
わだしゅうすけと読みます。読めないよね?
でもこの名前で活動しています。
以後お見知り置きを…
昔は、ワダッチとかワダちゃんとか
最近は、ワダシュウと呼ばれる。
好きな呼び方で呼んでもらえたら幸いです。
名前で呼んでくれるのは家族かお付き合いした人だけ。
それはそれで特別感があって良かった。
けど
友達の中には和田の名前を知らない人も多々いる。というか、ほとんど知らない。
気にならないんだけどね。
さぁ
なぜnoteをはじめたか?
和田の思うNo. 1に文才がある映画監督に、文才があると言われて調子に乗っているので、これが誰かの目に止まって少しでも役者としてのプラスになればと
SNSだと文字制限の中で少しでもカッコ良くとか思っちゃうから、こっちでは泥臭く。
言わば裏アカ的な
義務ではなくて自由気ままに思いつきで
そんな空間になればと。
すでに何の脈絡もなく適当に書いているからなぁ
後日、自分自身で見たときの思い出作りに
まぁ9割方恥ずかしい思いしかしないと思うけど…
題名の「このメガネ伊達じゃない」
和田の中ではひねりがあってダブルミーニングがあって良い言葉だと思って、事あるごとに使ってきた。
裸眼の視力0.1もなく
コンタクトはスポーツする時だけ
9割メガネをかける和田。
つまり伊達メガネじゃない。
和田という人間をメガネの奴に置き換えて、このメガネの奴は、伊達じゃない。
役者としては大事な大事な伊達じゃない人間。
そんな意味がある。
学生の時、アメフト部にいた和田。
最下部のリーグにいて、なかなか立てない味の素スタジアムに立つ機会があった。
高校球児がが地方大会の決勝で神宮やらZOZOスタジアムで試合を出来るくらいの聖地。
そこで各選手のプロフィールを作ろうって流れができて、「この選手を一言で表すと」の和田を表す言葉がこれだった。
2学年上で主将の先輩が決めていたかのように、一瞬で発した言葉だった。
しかし、そのプロフィールに載っている和田の写真はスポーツ態勢だからコンタクト。
メガネをしていないのに「このメガネ伊達じゃない」は、その場にいた方々にしたら全く意味が分からなかったであろう。
そんなこんなで「このメガネ伊達じゃない」が誕生した。
そんなお話。
adiós