好きなものに自信を持つということ。
いつからだろうか。僕は好きなものを好きだということに抵抗を覚えるようになった。
自分の好きなものを好きだと言おうというメッセージは、いつからだろうかという言葉とセットになっているように思う。いつからか変わってしまった人へ向けて、好きなものとそれを好きな自分に対して自信を持とうという言葉は人によってはすごい勇気を得られるものになるのだと思う。でも思い返すと僕は、子供の頃から好きなものを好きだと言えなかった。
それを否定されることが怖いとか、共有した相手に変に思われるのではないかという怖さももちろんある。ただ僕がそれより怖いと感じるのは、相手が自分と同じものを好きだった場合である。
こういうとまるで同担拒否みたいだけど、そんなことはなく、同じものを好きな人がいること自体はとてもうれしい。ただ、自分が相手ほどそれについて詳しくないという状況や、自分がそれのデータ的な部分に詳しすぎてしまうことが怖い。自分はなんでも広く浅く好きで、嫌いなものがそう多くないこともあって、話自体に入れないことは少ないと思う。ただ、それに関しては、いいのだけれどそれについて好きだと意思表示した時に、それ自体で盛り上がれそうだったのに盛り上がれなかった時が怖くて、相手と同じものが好きだった時にそれを好きだというのが怖く感じてしまう。
それだけでもないかもしれない。結局は、君はこういうのが好きなんだと思われるのが怖いのだ。そう、僕は人に好かれる生き方よりも嫌われないような生き方を選ぶような人間なのだ。だから、いろんなことを考えすぎて、好きなものを好きだと発表できない。
でも、ネットの世界では好きなことを好きだと言えるかもしれない。それに対する挑戦の一つがこのnoteである。僕の顔が見えなければ、恋愛ドラマとか特撮とか、にわか程度だと思ってるあのバンドのことも、好き勝手書けるかもしれない。頑張ってみよう。また明日からも。