『The White Lounge』
まず私の考察の大前提は
・全ての曲を「我儘」として表現している
・TheWhiteLoungeは頭の中のような、精神世界のような場所で、ドアの向こうは現実
・出てきているのは大森元貴、若井滉斗、藤澤涼架ではなくそれぞれの曲の主人公や演者である
・基本主人公は#ごとに違う
・周りの人々もキャスト(役有)とダンサー(役無)の2パターンある
ということ。
Mrs. GREEN APPLEの音楽劇ではあるけどその場にいるのはMrs. GREEN APPLEではない。
1人1人をキャラクターとして考えられないと理解できないところがあるかもしれない。
あくまでも考察は正解であり不正解。
この考察に対して納得や理解をしてもらえるのはもちろん嬉しいけど、違くね?と思う部分があっても全然良い。それぞれの感じたTheWhiteLoungeがあるはずだから。
こんな説もありだね、というくらいフランクに見ていってほしい。
でもあわよくば円盤が手元に届いたら鑑賞しながらこの考察を見てみてほしい。
#1 マスカレイド
1.The White Lounge
ドアを開けた先に広がる世界のお話。
感覚的にはアニメのオープニングのようなものだと捉えていて、ここから先の物語が歌詞の中に入っているので目次的なものだと考えられる。
物語自体を俯瞰的に見てるような曲であるから、主人公は語り部のような役割だろうか?少なくともこの先に広がる物語はこの主人公の1部であることはわかる。
この曲の時、演者は全員仮面を付けているが、曲を経て話が進むとだんだんとキャストの仮面も外れていく。
ここで全員仮面を付けているのは、主人公が自分の我儘を理解出来ていないから。
また、サビの部分は物語のあらすじではなく主人公自身が持つ気持ちだと考えられる。
『もうすぐ我儘は終わる?』という歌詞もあることから、これが終わりの始まりだと言ってもあながち間違いではないのかもしれない。
『本当を見抜いて愛してほしい』のが#1の我儘。
独り達の物語が始まっていく。
ドアは閉めない。
#2 水と影
『今日も人々は仕事で疲れてる』
2.Folktale
目を閉じて、この#の主人公に切り替わる。
場面切り替えの役割は冷蔵庫。最初は開けて終わる時に閉める。
周りの人が全員音もなくゆったりと動いてるのがまるで揺らめく水面のような…とにかく存在感がない。
水は透明だが必ず影を生むし、影は物体と同じ動きをする。曲中でダンサーと主人公、またはダンサー同士が同じダンスをしてるのがまさに『水と影』を表しているように感じる。この曲でのダンスは基本2人1組。
特に2番サビは主人公が動くことでダンサーと渦を作るように回って歌っているのが印象的。
(1人で写されてる方は別撮りだからその後ろのステージ2階に注目するとわかる)
歌詞の中に『我らは』のように複数人を表すような言葉を使ってはいるが、基本的には自分に言い聞かせるための曲ではないかと思う。
『変わりたいけど変わりたくない、そんな自分を見守っていてほしい』っていうのが#2 で歌われる我儘。
ちなみにこの時注いでいた炭酸水(※1)と冷蔵庫に入っていた水(※2)はたぶんこれ。
#3 手紙(過去との会話)
『思いを寄せた人を思い出してる』
3.君を知らない
ネクタイを締めて帽子を被り、目を閉じると主人公が切り替わる。
また、この#の切り替えは電気。冒頭に主人公がテーブルライトをつけて始まる。
手紙を読み上げながら書いてるのだが、その時の机をよく見てほしい。
タイプライターに紙をセットして書き始めるわけだけど、その横に何枚も紙が重なって置いてある。
考えられるのは主人公が彼女に手紙を書こうとして何度も何度も書き直してるということ。
そうしてようやく完成したのが『君を知らない』なのではないだろうか。
2番から手紙を繋がるための唯一の手段として2人はダンスをするが、この時の2人の視線をよく見ててほしい。お互いに全く顔を見ていないのだ。
なんなら主人公は帽子のつばを下げることもあるくらい。
過去と現在は混じり合うことができないし、触れ合うことも出来ないのは当たり前。
ここで2人は同じ方向を向きながらもお互いの顔(気持ち)を全く見ることなく手紙を追い続ける。
僕(主人公)の一部じゃなく、ようやくさらけ出した「全て」が記された手紙だからこそ2人は手紙に思いを馳せて追っているのではないだろうか。
手紙を手放し、過去の手を取っていた頃を思い返すと触れ合うことが出来だのだが、共に踊れた時間は極わずか。『届いてほしい』ともう一度手紙に手を伸ばした頃には女性はもう居ない。
繋がるには手紙しかない。しかし手紙(本心)があると一緒にはいられないと主人公はきっと思っている。
後ろから刺されるのが嫌で一部しか見せていなかったから。主人公の本心を見て泣きそうになってる彼女を知らないから。
The White Lounge in CINEMAの公開当初、丸の内ピカデリーの小道具展示には確かに手紙があったが、少しすると手紙は無くなっていた。
きっと届いたのだろう。
4.ダンスホール
『君がいるから愛を知ることがまたできる』
でも今はもう君がいないから愛が分からない。
泣きそうな表情にそれが溢れている。
急に華やかになるのはダンスホール自体の雰囲気もあるのだろうが、主人公の逃避のようなものをどこか感じてしまう。
テーブルに立って踊り出すのはウェイターが持ってきたワインを飲んだ後だし、自分の抱えてる寂しさからどうにかして逃げたかったのではないだろうか。
ウェイターは怒ろうとしているが、褒められてテンション上がってしまったのだと思う。
ただ、曲が終わると2人は『まずいこんなところ見られたら!早く消さないと…!』と焦り始める。まだ正気。
主人公は彼女と踊れていた頃を思い出して止まらないようで、2人が焦って片付けてる間にも主人公は焦る様子もなく笑顔でその場を楽しんでいるのがわかる。
『君の隣で愛を精一杯に探したい』これが#3の我儘。
ウェイターが焦って電気を消すと#3 が終わる
ダンスホールでウェイターが注いでくれたワイン(※3)とカートに乗っていたワイン(※4)はそれぞれこちら。
#4 反射
『びしょ濡れで怒りを放って』
5.ツキマシテハ
帽子とジャケットを脱ぎ捨てアウターを着て目を閉じる。
ドアを開けると轟音の中、初めてこの世界に色が入った瞬間。それがツキマシテハ、怒り。
キャストがいない中1人で抗おうとしてる描写もあることからここの場所が少なくとも現実では無いのが見て取れる。#4こ主人公の頭の中、精神世界?
嫌なものに嫌と言えない世界、惰性で解決させようとする世界。心底嫌いだったのだろう。
しかし主人公もだんだん染まっていく。愛も分からなくなり、真っ白だったはずの心も黒くなって、思うこともだんだん無くなっていく。
自分が怒りを向けていた世界に対して自分自身が馴染んでいってしまったことに呆れているのだと思う。分かってたのになぁ、と。
ふとした発言で人を大いに傷つけてしまうこともある。だからみんな仮面を被って隠して。そんな世界が嫌いだったのだろうか。
アウトロ部分、「あーあ。」と言ってるように聞こえる部分がある。意図的なのかは分からないが。
曲の全編を通して主人公(とキャスト2人)は赤く照らされていたが、唯一『口から不意に出た言葉で人は悲しくなってしまうらしい。ただ心から不意に出た言葉で幸せも感じられるらしい』という落ちサビの一瞬だけは白く照らされていた。
しかしその直後『幸せに気付いてて欲しい』は赤。
これで分かるのは、主人公自身の気持ちや思いについて語ってる時は赤(怒り)で、白は主人公の知らない世界だということ。
「〜らしい」という人から聞いた話や、少なくとも自分の中に無かったものを言う時の文言。
色の違いはこれだと考えられる。
『世界に抗っていたい』というのが#4 の我儘ではないだろうか。
どこからともなくドアが閉まり、#4が幕を下ろす。
#5 愛という種
『今日も人々はチグハグに愛してる』
6.Coffe
ベストを脱いで眼鏡をかけ、目を閉じる。
ラジオから聞こえてきたのは『They are』。
“独りで寂しい”と、愛していたことに気付いていく曲。
微笑ましく会話をしているように見えて実はあんまり寄り添えていない状態。
彼女はコーヒーを淹れてくれたり話かけてくれたりするが、主人公は相槌を打つくらいしかしない。
少しズレてる会話の真意は「彼女が主人公と同じものを感じようとした」ことだと考える。
主人公が飲むだけなら彼女が自分の分を淹れる意味は無いだろうから。
主人公がコーヒーを飲むことは知っていたけど、ブラックかミルク入りかを彼女は知らなかった。ただ牛乳が怪しかったから結局ブラックになった。
彼女は主人公と同じものを体感したかったから、普段コーヒーを飲むわけじゃないけど自分の分も淹れていた。
飲んでみたらやっぱり苦かったけど、主人公と同じものを飲めてるならそれでいい。牛乳は全然無くていいし、それよりも今はただ同じものを感じて会話をしたかった。
ということだと思われる。
直前に牛乳の話をしたにも関わらず『新しいの買っとけばよかったね』の時に「なぁに?」と聞いてるのが牛乳の不必要性を感じさせる。
「恋」はしてるけど「愛」せている自信がないのか、主人公は愛して貰うことばかり考えてる。
曲中の会話でも彼女は一方的に話をしているし、主人公は彼女の方を見ることはしない。
主人公がようやく彼女を見るのは2サビの入り。
それまでは『繋がりたくなるのは何故?』と言っていたのに、彼女が寝た瞬間『「君を好きだ」と言うのは側に居たいって意味で』と言っている。
もっと早く言ってくれよ。
しかし寝ている彼女に毛布をかけてあげるところを見るとこの曲の中でちゃんと愛に気付いて「君に寄り添いたい」という気持ちが生まれたのではなかろうか。
仲睦まじく息ぴったり踊る2人をみて微笑む主人公。彼女とそうなりたくて憧れているのだと思われる。
『誰より君に寄り添っていたいな』の「君」を強調して歌っているので、愛という種を育む覚悟ができたんだと、プロポーズはきっとここでようやく心を決めたんだと感じた。
もしかすると最初の会話をしてる時にはプロポーズしようと決めてたのかもしれない。
だが気持ちがあやふやな時よりもちゃんと心に決めた時にプロポーズしてるのが本当に素晴らしい。
#5において『Coffee』と『ニュー・マイ・ノーマル』では男性キャストは全員メガネをかけているが、次曲『PARTY』では主人公以外全員外している。
キャストなのかダンサーなのかの違いを明確にするための演出ではないだろうか。
7.ニュー・マイ・ノーマル
指輪をポケットに入れたのは電話を取った瞬間。
様々な声が聞こえてくる。寄り添い合うような声や喧嘩しているような声まで様々。
ここでセリフを読む前に一瞬目を閉じる。
それが「TheWhiteLoungeの主人公」と「#5の主人公」の入れ替わる瞬間。セリフを読んでるのは前者。
そして歌が始まる時にもまた目を閉じているので、歌を歌っているのは後者であると考えられる。
明らかに1組だけ争っていることがわかるだろう。
一見この曲の歌詞のようにただすれ違ってる2人だが、この2人には特に注目していてほしい。
1人だけ見ていても成り立たない、2人を見ることで初めて成り立つダンス。2人が寄り添うことの重要性を示唆しているように感じられる。
電話をお互いの方に向けつつも伝えられずに引き戻してしまう2人。しかし主人公が何か彼女に伝えたのか、とても笑顔な彼女。
その後急に抱きつきに行っているところからして、「愛してる」とでも伝えたのだろうか。
主人公が持っていたのは家電だったから留守電で言葉を残してたとも考えられる。
主人公と彼女が手を取り合う中、先程まで争っていた2人もお互いに手を合わせたり微笑みかけたり、寄り添い合っているのが見えるはずだ。
プロポーズまで言葉にできない主人公のシャイさが物語を示していて素晴らしい。
アウトロ部分で彼女の肩を抱いた時に彼女がびっくりしてるところからして『ニュー・マイ・ノーマル』前後での違いは大きいようだ。
手を取り合った時に彼女が泣きそうになってるのはずっとそうしたかったからなのだろうか。彼女も言葉にできないものを抱えていたのだろう。
8.PARTY
無言のプロポーズ大成功!!おめでとう!!
言葉がなくても表情や息遣い、手の震えで相当緊張していたことが伝わってくる。
周りの男女2人組も一緒になって喜んでるのが聞こえる。ということはここは外だろうか?
ニュー・マイ・ノーマルでは彼女が寝てる間に牛乳を買いに行こうとしてくれたのかもしれない。
ラストは受話器を置いて歌っていたから有り得る。
イントロを歌った直後、一瞬座った主人公が声を漏らしながら笑って眼鏡とネクタイを触っているのが見て取れる。相当嬉しいのだろう。
直前まで周囲にいたキャストがダンサーとなり演出を彩っていく。また、よく見ると先程指輪を受け取った彼女もダンサーとして参加している。
#3 「君を知らない」の時に『でもこれはきっと素晴らしい そう信じなきゃやっていけないな』と言って手を伸ばした手紙や今まで書いてきた束。
それをPARTYで『あぁ 素晴らしい』と言いながらばらまくのがこのストーリーが#5 の主人公にとって素晴らしいものであることをより印象付けてるように感じる。
#5 の我儘は『愛を注げる人になろう』だと考えられる。
そして何回もくぐってきた扉。
必ず1番最後にくぐるのは♡。
最後まで愛を大切にしようとしてることがよく伝わってくる。
『いつか生まれる君が呆れ果てないように』
ライブではPARTYの後に休憩時間が入ったのだが、この時にあった喧騒の中に赤ちゃんの泣き声があったのだとか。
#6 青さのカケラ
『青さのカケラを拾って』
第2幕が始まり、フードを深く被り目を閉じる。
今までとは一変、弱さが見え始めた。
9.春愁
1人になりたいけどなりたくない、人と一緒にいるのはしんどいけど誰かにそばにいてほしい。
そんな何もかも嫌になる主人公の気持ちが演技はもちろん歌からも滲み出ている。
ここで出てくる人々はみんな黒いが、主人公だけは真っ白。ただここで注目してほしいのは周囲の人々の方。
黒い傘に黒い服を纏ってはいるが、足元だけは白い。
きっとここで周りにいる人々はそれぞれ「弱い一面を隠してる人々」なわけで、主人公はまだそれに気付いていない。
#6 はそれを主人公が理解して成長していく物語。
ダンスも今までのように誰かと一緒にではな、とにかく1人。
『なんでもいいや』の際に拳を3回打ち付けるのだが、その時の直前の歌詞は『あなたが笑うなら』『あなたが生きてさえいれば』。
それだけでいいんだよという気持ち、大切な人が笑って生きててくれればどんなに嫌なことがあっても生きていける。そんな思いが伝わってくる。
2サビになると主人公のダンスに合わせて周囲の人々も踊り始める。皆抱えてる思いは同じということ。
しかし主人公はそれに気付かず、人々に背を向けて1人になる。
最後しゃがみこんでいる時、大嫌いを歌う時は下を向いて大好きを歌う時は上を向いている。
何もかも嫌だと言っていても、本心では嫌いになれないのだろう。
10.Just a Friend
女の子と出会ってデートして告白…という流れがあるが、週末1日お出かけただけでは全くない。
冒頭で春夏秋冬過ぎ去ってることに気付いてほしい。出会った日から主人公は1年かけて気持ちを育んで伝えようとしたのだ。伝えられなかったけど。
映画館でお席に座ってるキャストがドキドキしながら見てるところが2人だけの世界に入り込んでしまっている様子が見て取れる。
映画中には手を繋げなかったが、その後手を繋げたのは一瞬だけ夢を見ていたからだろう。
結局抱きしめることは出来なかったが、まだデートを続けてくれてることに微笑みが止まらない。
自分が選んだ方を選んでくれなくても、え?って言いながらも結局金払う主人公…健気…
レコード屋でお気に入りの曲として出てくるものが『我逢人』『庶幾の唄』『Theater』と箱の中に入ってるのがたしか『愛情と矛先』で全てMrs. GREEN APPLEの曲。
しかも出会いや愛に関しての曲ばかり。
夜ご飯食べた後はもう帰る時間だからだろう。
ここで抱きしめられなかった時主人公は悲しそうな顔をしている。
しかし告白すると決めて緊張してるような仕草で主人公はとにかく女の子を追い続ける。
『今日だけは話を聞いて 今日だけは僕の目を見て』と体を自分の方に向けたが結局帰られてしまう。
恋が叶うことはなかったが、その経験があったからこそ次のAttitudeで世界に開けていくための心の準備が出来たのではなかろうか。
また、この時女の子と主人公がガッツポーズした後にバイバーイとしているところを見ると、女の子は告白の仕方を教えてもらってるつもりだったのだろうか?
ずっと好きな人の話していたわけだし、ニコニコでスキップして去っていくし。
あれだけ世界に対して臆病で自分だけが弱いと思ってて、なにもかも嫌だと言っていた主人公が最後には大きく腕を広げて叫ぶ。女の子と出会ったことで人として精神的に成長したのだろう。
最後に手を広げて叫ぶところでは、気持ちをさらけ出してるところももちろん、何よりその時の手が小さく震えてるのが主人公が大きく勇気を出したのが伝わってくる。
11.Attitude
大きく叫んだ後小さくため息をつき、少し縮こまるところから始まる。
個人的にはここでこの主人公がAttitudeを歌う意味がとても大きいと思っている。
最初はずっと何もかもが嫌でそんなことを考えてる自分も嫌で…という状態だったのに、そんな隠れてる・隠したい自分をも受け入れて世界に向けて開けていく。なんて美しいんだろう。
ここでカラフルになるのは#6の主人公が人々や自分のことを理解したからだと考える。この曲を歌ってるのは「TheWhiteLoungeの主人公」じゃなくて「青さのカケラの主人公」だから。
その証拠に、『弱い人ばっかいます』の時にはまた弱い自分(春愁)が出てきているのだ。
『明日が大好きだ』と歌った春愁、『明日を信じて歯を食いしばる』Attitude。根本的な部分は変わってないが、人として成長していることがよく分かる。
また、『平気なフリをして 隠れてるわきっと』の主人公の様子は絶対に注目してほしい。
一回転するその一瞬、ポケットに手を突っ込むだけで隠れてる弱い一面が出てくる。
#6は『誰かと愛し愛されて死にたい』という我儘(理想)を持っていると考える。
上記画像を見てもらっても少し分かるように、Attitudeに関してはソロダンスを除き1曲通して主人公だけがはスポットライトで照らされている。
ソロダンスの時は正面から照らされているが、この曲中では周りの人々はダンサーなのだ。
誰かと共にではなく主人公がただ自分の思いで、自分の気持ちでこの歌を歌っているのだろう。
『遺言』と言った瞬間、今まで照らされ続けていたのとは真逆で主人公は真っ暗な影になる。
白い服を着ているのに、真っ黒。
これから先は自分も弱い一面を隠す人々の1人として生きていくということの現れか。
この曲はただ何も知らず弱いだけの人として生きてた主人公の『遺言』だったのだろうか。
#7 虚構と虚無
『華やかにステージを飾って』
舞台裏の控え室。主人公と演者2人。
演者2人はセリフの練習をしているようで、主人公のことを見ていない。
#7の登場人物でない限り、存在している世界が違うのだろうか。
帽子を被り目を閉じると#7が始まる。
12.Feeling
ガーデンシアターの時に横にあった画面に舞台によくある赤い幕が映されてたのをとてもよく覚えている。
セリフからも分かるようにここから舞台が始まることがわかる。劇場様が喋る前からその場は劇場になる。
この#からは見ている私達もその場にいる「お客さん」として作品に参加しているのだ。
今までは外を感じさせない作りだったものをここでシアトリカルに演出して、外の世界と一体化させた虚構を作り上げる。それを支配するのが後に出てくる劇場様だ。
お客さんに対して主人公が伝えてくれるのが「Feelingに任せてしまえばいい」ということ。
一見明るく楽しそうに演出されているが、あれは主人公がそのように演出をすることで見ている人が「私はきっと愛されてる」という幸福感を得られるようにしてるだけのように感じてしまう。
あの曲と演出の明るさは、きっと主人公が感じているものではない。
ラインダンスをしていたりかなり雰囲気がジャズっぽいのもまさになにかの舞台を見ているという感覚をお客さんに体感させるためのもの。
この時、見ている景色はステージだけにもかかわらず、作品としての空間が広がっているように感じた。
きっとこれが虚構なのだろう。
13.ケセラセラ
劇場様が仰った「頑張っている貴方へのちょっとしたご褒美」の曲。ただ物語自体が全て「TheWhiteLoungeの主人公」の頭の中の話だと考えると、劇場様のセリフ=主人公の気持ちだと言ってもいいだろう。
「負けない強さを持ちたい」という主人公自身の我儘を入れつつ、これを聞いた人が少しでも和らぐように、語りかけるように歌っているように感じた。
『あなたがそこにいるのを私はこの目で、この体で今感じている。私がここにいるのをあなたが感じているように』というセリフもあるように、自分が感じていることを一緒に感じてほしいのではないだろうか。
だからこそ「Feelingに任せればいい」「なるようになる」と観ている人達に伝えている。
小さなステージには3人だけ、ダンサーは全員ステージ外部でダンスをしているところから、あくまで3人は主役としてその場にいる演者であることが見て取れる。
この時主人公は表情豊かにキラキラと歌っているのに対し、後ろの2人は表情をあまり変えずどこか虚ろな目をしている。これがあくまで演者であることを強く感じさせる要因だろう。
曲が終わった時も拍手の中笑顔な主人公と表情の固い2人。舞台を楽しんで伝えようとする主人公とあくまで演者として表現することに徹する2人との差を感じる。
虚構とは簡単に言えばフィクション。実際には無いもの、作り上げたもののこと。
言わばステージだけでなく、ダンサーも、演奏している2人でさえも存在しないものなのだ。
14.Soranji
「皆さんお疲れ様でした!」という声と共に劇場が片付けられる。虚構が崩れる。
さっきまであった無限の空間が嘘のように何も無い虚無の空間へ。
それまで一緒にステージに立っていたはずの2人も感傷に浸ることなく足早に捌けていく様子を見ると、ケセラセラの中で1度あったアイコンタクトが「Mrs. GREEN APPLEとして」ではなくステージに立つ「演者」としてのものだったのではないかと考えられる。
主人公は虚構が崩れるのを寂しそうに眺めて、帽子を返した後泣きそうな面持ちで歌い出す。
主人公にとって虚構は「何かを演出する舞台」ではなく「自己表現の場」だったのではないだろうか。
虚構でも虚無でも主人公が言ってることの本質は同じ。しかし虚構とは違って虚無は「生きててほしい」という直接的な願いになっている。
これが#7虚構と虚無の我儘だと考える。
「誰しもどこかに弱さがある」とAttitudeでも歌っていた。このオムニバスが1人の人の中にある我儘達なんだということを表してるように感じた。
また、「誰しも」と言われると決して自分1人だけではないのだと思えてくる。虚無になって主人公がそう信じたいだけなのかもしれないけど。
#8 僕の一部
15.The White Lounge ~reprise~
音はピアノとギターと歌だけ。
今までの#は全部自分の中に存在しているとでも言うように歌いきった後に自分の胸を指す。「TheWhiteLoungeの主人公」の中にもあるもの。
笑顔で歌い上げてるところから、我儘たちを「宝物だ」と思えるようになったのだろうか。仮面で顔を隠す必要が無いと思えるようになったのだろうか。
今までの物語を終えるかのようにテレビが消えていく。ちょうど8つ。
#9 終わりの始まり
『終わりを始めた』
16.フロリジナル
最後の曲は静かに主人公が照らされて始まる。
ここにいるのは#1,#8と同じく「TheWhiteLoungeの主人公」だ。
白い待合室がカラフルになる。ただその色は最初からあって、わかってなかっただけなのだと考える。
1つ1つの物語として我儘を紐解いたからこそ色付いた、元から持っていたもの。
太陽の光も7色だけど重なって白く見えてるみたいなアレ。知らなければ太陽の光もただ白としか思えないから。
なんならフロリジナルという曲自体が我儘だらけの曲だから、まさにこの作品のエンディングだと思う。
簡単に言えば我儘総集編。
その白に色を付けるのは私たちだと大森も言ってたように、そのTheWhiteLoungeという場所に主人公が付けた色があの色だったんじゃないかな。
『Attitude』の自転車が通ったり『PARTY』の扉をくぐったり、『君を知らない』の女性が手紙を片手に笑顔で踊っていたり『Coffee』の彼女に毛布をかけてあげたり、『春愁』の黒い傘を持った人がいたり『ツキマシテハ』の2人が踊っていたり、#7虚構と虚無の帽子を被り『Feeling』のラインダンスを踊ったり…とにかく今までの物語を彷彿とさせる。
その中でも注目してほしい点は
・1番のサビ終わり
何か会話をしている2人がいる。唐揚げくんとあの女の子。
どこかを指さして2人で顔を見て笑い合う。
満開になったんだ。リベンジに成功したんだ。
・『愛してる?なんてもう聞かないよ
どうせ居なくなるなら触れないで』
携帯を向けあってる男女。ニュー・マイ・ノーマルですれ違っていた2人が携帯を向けあってるのに気付くはず。
今までの我儘の伏線がどんどん回収されていく。
真ん中の白いテーブルに若井と藤澤が集まる。
テーブル周りに集まったのは正真正銘Mrs. GREEN APPLE。
この曲のアイコンタクトは本人同士のものだ。
しかし中央のテーブルに椅子は3つ用意されてるはずなのに、歌っている大森はただ1人別のソファに腰掛ける。
きっと「大森元貴」から「TheWhiteLoungeの主人公」に戻るため。2人と1人は違う世界の存在だから。
歌が終わる直前に目を閉じる。Mrs. GREEN APPLEによって演出された世界からまた主人公の世界に戻ってきたのだ。
伴奏とともにまた1人ずついなくなっていく。
退場する時にギタリストが目を配ってるのは主人公ではなくアコーディオン奏者に対してだろう。
退場時、その場にいる全員が主人公に目もくれず去っていくからである。
演者同士の交わりはあれども、主人公のことは誰も見てない。
演者・キャスト・演奏隊。主人公以外が全員居なくなっていく。残されたのは白い待合室と主人公。
1人1人を見送る表情やその場所全体を愛おしそうに見回す姿には旅立ちのような寂しさが感じられる。
この世界が自分の我儘や理想を歌わせてくれた、実現させてくれた世界だからだろうか。
最後に置いていったアタッシュケースには我儘を置いていったのではないか。
人間は忘れやすい生き物だから、自我がある限りは我儘な生き物だから。
またいつか自分の持つ我儘のことを理解できなくなった時に戻ってこれるように。
この世界での話はここで終わり。この場所を出て、主人公はまたいつも通りの世界へと戻っていくのだ。
狂った時計が直り、秒針はまた一定の時を刻み始める。最初に開けたドアを閉めて、TheWhiteLoungeという物語を終えていく。
白い待合室から出た主人公は1つため息をつき、笑顔で前へと歩みを進める。
ドアの閉まる音を背に、また感じた方へと進んで行くのだろう。
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