Love Note (ちょこはちくんを語りたいG ◆ ep.3)
どうも、シンクです。
Twitterでは「ココロ」という名前で、やっぱりちょこはちくんのことばかり呟いています。同一人物です。
noteしていなくてこの文章を読んでくださった方、よかったらそちらにでもお気軽に絡んでいってください。https://twitter.com/coc_oro
“楽曲感想”なんて銘打ったものを(勝手に)やらせてもらっているわけですが、そんなにエラそーなことを言うつもりはないんです。音楽的な知識があるわけでもないし。
単純にちょこはちの楽曲が好きなのと、ヴォーカル・しゃおぴさんの書く歌詞が面白くてやってます。
“考察”というよりは“こんな受け取り方をしたよどうかな?”っていう感想文レベルのアレですよ。
考察が必要になるような難解な歌詞を書いているつもりは、恐らくご本人もないと思いますし。
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さて。Grand chocol8の始まりたるデモCD「愛と憂鬱」。
2曲目はなんと正統派(?)アイドルポップの様相を呈してやってきましたよ。
「泣いちゃった」
タイトルがもうかわいい。ずるい。(個人の感想です)
サウンドも、ピコピコと可愛らしく弾ける感じ。
そこに乗っかる、かわいいだけじゃないしゃおぴさんのヴォーカルがまたイイんです。
前曲「Reactor」に続き、chocol8 syndromeとの差別化を意識しているのかな。
今回リリースの4曲がね。ひととおり聴いてから見渡してみると、どれもがそれぞれ全く違う雰囲気をしているなって思えて。
“デモCD”という発表方法がどんな意図を持ってのものかは知らないのですけど(インディーズではままある形態なのかな?)、色々なタイプの音作りに挑戦しているようにも感じられました。
この楽曲たちの評価次第で今後のGrand chocol8の方向性が決まるとかだったらどうしよう。俺どれも大好きだよ!?
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改めて、「泣いちゃった」評。
歌詞のストーリー展開、歌われる言葉の端々から、
「繰り返されるものや日々」
「その中で気付くもの・出会うもの」
というイメージが浮かびました。
“喧嘩のあとのごめんねのあと”というフレーズがとても好きです。
(あとの~あと、という“繰り返し”がここでも利いていますね)
喧嘩して⇒ごめんねして⇒おしまい。
じゃないんですよね。
ふたりは恋人かな?友人?家族?
いずれであっても、ごめんねのあとにも毎日やふたりの関係は続いていくんです。
そしてその中で新たに気付く・出会う想い――
そう、これは気付きの物語だと気付くのです。
1番、2番のA・Bメロで“新しいものに出会いたい”とずっと歌っていて、2Bメロ最後の1行で“見慣れた街の眩しさに気付いた”。
いつもの当たり前の景色の中にこそ、素晴らしいものはあったんです。
そうして、自分が深く深く愛されていたことに気付いて、無意識にこぼれた涙⇒「泣いちゃった」という。
そんな受け取り方はいかがでしょうか。
“見飽きた街をぐるぐる回るんだ”
“見慣れた街の眩しさに気付いた”
この2シーンの対比が好きです。
1番と2番、それぞれを象徴する一行ですね。
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なんだか小難しいことを考えたりもしていますが、なんなら「ワン、ツー!!」の掛け声がハチャメチャかわいいのでもうそこだけでも優勝です!(えー)
ここで、敢えて歌詞カードのブロックの区切り方を無視して並べてみるんですが、
ワン・ツー!で、最高にポップな可愛らしい歌声(というか掛け声)くらわしてくれるんですが、
その直後の“溢れる愛だね”が、叙情的というか壮大というか、おおらかに包み込んでくれるような歌い方なんですよ。
そしてそこからの“泣いちゃった”。飾ることのない感情の吐露です。感情がいそがしい。
このあたりの歌声がね、ほんっとに楽しそーーなんだ。
目を閉じて聴いていると、しゃおぴさんが飛び跳ねながら歌っている姿が浮かんでくるような。
(きもちわるいねごめんね)
たった数行内の歌唱表現の幅に感動すら覚えます。
こっちが泣いちゃった。(うまくない)
こんな音楽、泣けるね。
このワン・ツー!が無かったら、ここまで感情が揺さぶられていなかったかもしれない。
冒頭で書いた“アイドルポップ感”みたいなものも、この掛け声に因るところが大きいような気がしてきました。
これが作詞の段階で意図していた掛け声なのかどうか、ぜひしゃおぴさんご本人にインタビューしてみたいです。
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そんな「泣いちゃった」を収録したGrand chocol8のデモCD
「愛と憂鬱」は、ちょこはち公式通販で絶賛販売中!です!!
次回はデモCD同時リリースの2枚目、「月と太陽」に収録の
プロミネンス
を紹介していこうと思うよー!