批判的思考(Critical Thinking)は、批判的な思考法ではない

こんばんは。ようやく9月21日の投稿「人生を豊かにするために、より一層「考える」には」の続きとして、「考える」ということ自体について書いていきたいと思います。

まず「考える」というアクション(=「思考」)を、「論理」「非論理」の2つに分類します。いわゆる「左脳思考」「右脳思考」という分け方です。当面「左脳(論理的)思考」について考えます。

論理的思考における代表的な思考法が「批判的思考」です。原語はCritical Thinkingで、Criticalが「批判的」という意味に使われることが多いからか、「批判的思考」と訳されています。私はこの訳は適切でないと考えています。

ビートルズの曲「Norwegian Wood」は、曲中の使われ方と異なる「ノルウェイの森」と誤訳されたものの、曲のもたらすアコースティックなイメージに加え、村上春樹氏の小説のタイトルでも使われたこともあって、原曲でそのタイトルがノルウェー製の家具を意味していたかどうかは、今となってはどうでもいいような気もします。

一方、「批判的思考」という日本語からは、常に批判的なものの見方をせよ、という意味合いが強く醸し出されます。Critical Thinkingをイギリスの辞典で調べると「​the process of analysing information in order to make a logical decision about the extent to which you believe something to be true or false」、すなわち「論理的な意思決定をするために、情報を分析する過程」とあります。特に「the extent which you believe something to be true or false」という部分が、「自分が事象の正誤を判断する境界」というCriticalな意味合いを醸し出しています。つまり、意志決定の正誤をぎりぎりまで考え抜け!という意味合いです。「究極の論理的思考(究極思考)」という訳がしっくりきます。私がMBAで専攻したProject Managementで出てきた「Critical Path(重大な経路、臨界経路)」で使われているCriticalの意味にも近い気がします。

前置きが長くなりましたが、私はこのCritical Thinkingを「批判的に考える思考」とは解釈せず、「自分の頭の中にインプットされたことに対し、(即座に反射的にアウトプットを出さずに)自分の頭のなかで徹底的に考え抜いて、論理的に正しい筋道をつくる思考と捉え、前述の「ポジティブループ」の幹となる意思決定のための思考法として、その全容について考えていきたいと思います。

実は、Think rightというニックネームも、徹底的に考え抜いて、正しく意思決定していきたい、という思いで付けたのです。