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私の中の侏儒の言葉_6

自意識の重荷ゆえに人間のすべての営みが見えすいてしまい、涙を流すに足りるだけの生活の密度が失われ、その結果どうしようもないニヒルに身を引き裂かれるとき、はじめて死者のために素朴に涙を流しうる常識の世界が、その距離感ゆえに狂おしい憧憬の対象として成立する。

あらゆる既成の価値体系を疑うことから出発しなければならなかった世代にとっては「精神」の純潔とは、いかなる価値にも己を隷属させないということであった。

合理主義の鎧で偽装した、強烈な反合理主義
反合理主義的執念にまで達した病的な合理主義

「美」は自己否定の極に現れる秩序の勝利の形式

三島由紀夫

昭和、平成、令和を生きています。
XからY世代をまたぎ、Z世代と接しています。
明治から大正生まれの親族からの寵愛も受けました。

全てに哀憐の情を感じます。
全ての倫理と道徳に賛同します。

必ず手を取り合えると信じています。
私の信念です。




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