ジュゴン:海の生物多様性保全のシンボル
ジュゴンは、沿岸海洋の生態系の重要な生物で、IUCNレッドリストの絶滅危惧種(VU:vulnerable )にランクされています。そこで、この記事では、琉球諸島のジュゴンの分布を元にして、海の生物多様性の保全を解説します。
ジュゴンの分布と生息適地
ジュゴンは、ジュゴン科ジュゴン属に属する哺乳類で、太平洋からオーストラリア沿岸、インド洋や紅海およびペルシャ湾にかけて広域的に分布しています。琉球諸島のジュゴンは、太平洋における分布域の北限です。
沖縄県はジュゴン保護対策事業を実施して、2000年以降のジュゴンおよびジュゴンの食み跡の目撃情報の分布を公開しています。
このようなジュゴンの分布情報を、明治期から現在まで過去100年間にわたって収集すると、以下のグラフで示したように、膨大なデータ量になります。横軸が年代で、縦軸がジュゴンの分布が確認された件数です。
1910年から現在まで、ジュゴンが観察された場所を地図化して、ジュゴンの生息適地適正度を計算したのが、以下のグラフ(ジュゴンいるいるマップ)です。赤・黄色のエリアほど生息適地の適正度が高いことを表します。沖縄島から宮古・八重山諸島にかけて、沖縄県の全域にジュゴンの生息適地があります。また、2018年から2020年までの分布データだけで最近数年間のジュゴン分布を予測しても、沖縄島、宮古島、西表島など、沖縄県の全域に分布していることが明らかです。
生物の生息適地の予測手法に興味がある方は、以下の記事もご覧ください。
沖縄県の沿岸海域の生物多様性
次に、ジュゴン以外の生物種の分布を、同様に地図化してみました。魚類、貝類、海草・藻類、イシサンゴ類、甲殻類、爬虫類(ウミガメ・ウミヘビ)など、沿岸海域の4693種の分布データを整備して、生息適地適正度を網羅的に計算して、実際の分布域(在不在:いるいないエリア)を判定して、各種の分布を重ね合わせて描いた生物種数の地図が以下になります。赤色のエリアが、種数の豊かな生物多様性のホットスポットです。
そして、この地図情報を元にして、海洋生物多様性の保全優先度を計算して、”かけがえのない海域”をスコアリングした結果が、以下の地図です。
保全優先度ランクとは、沿岸海域の様々な生物分類群(植物・脊椎動物・無脊椎動物を網羅した4693種)を統合した保全重要度の指標で、地図の赤色エリアほど、希少種の絶滅リスクを最小化して生物種数を豊かに保つために、最優先で保全すべき海域であることを示しています。一連の分析に関する解説は、以下の動画でも紹介しているので、ご覧ください。
さて、以上の分析から、ジュゴンの分布、沿岸海域生物種の分布、生物多様性の保全優先度の分布が、明らかになりました。
そして、ここからが本題で、次の問いを検証してみました。
ジュゴンは生物多様性保全のシンボル種として、科学的に定義できるのか?
一般の人たちに、生物多様性や自然環境の重要性を理解してもらいたい時、カリスマ的な生物をシンボルとして訴えると、保護運動が推進されます。しかし、科学的根拠が不十分で、特定の生物がシンボライズされすぎると、保全の意義が特定の価値観に偏りすぎる弊害もあります。例えば、動物愛護的な考え方だけでは、保全の科学的合理性の理解が損なわれます。
そこで、海の生物多様性保全におけるジュゴンの科学的価値を、生物多様性の保全優先度スコアとジュゴンをはじめとする様々な生物分類群の種分布地図を元にして評価したいと考えました。これが、この分析の意図です。
具体的には、以下のような相関関係を分析して、ジュゴンの生息適地が、生物多様性保全のための”かけがえのないエリアなのかどうか”、を明らかにしました。
生物多様性の保全優先度スコアと、各種の相関関係を計算した結果が、以下の表です。ジュゴンと保全優先度の相関関係が、他の生物分類群の相関に比べて高いことが明らかです。
実際、生物種数マップや保全優先マップと並べてみると、下左図で示した種数が豊かで保全上重要な海域(赤色エリア)と、下右図のジュゴン生息適地が重なっていることが、直感的にもわかります。
ジュゴンの生息に不可欠な環境は、比較的大きな河川の河口に近い内湾の海草藻場です。藻場は、健全な陸域の環境から干潟やサンゴ礁などの沿岸海域まで、連続的に保たれた場所で発達します。そのような場所は、ジュゴンだけでなく、様々な海洋生物にとって重要な生息地なのです。
具体的には、沖縄島北中部の東海岸と西海岸の全域、西表島の東海岸や西海岸の海域)が、ジュゴン保全の最も重要な海域です。ジュゴンを保全する上で、この海域の開発を避けるべきことが明らかです。
生物多様性の保全指標種としてのジュゴン
今回紹介した分析結果から、海の生物多様性保全のシンボル種としての、ジュゴンの科学的価値が証明されました。ジュゴンは沿岸海域の生物多様性の豊かさを反映し、ジュゴンが生物多様性保全の指標となるアンブレラ種である事が、一連の分析結果から理解できます。
ジュゴン個体群を保全・再生するために
かつて、ジュゴンは沖縄県内で捕獲されており、明治以後の記録によると、年間30頭以上も捕獲された年があります(当山 2011、2014)。明治27-37年(1894-1904年)の11年間に少なくとも170頭、明治27年~大正5年(1894-1916年)の23年間に最低300頭前後のジュゴン を捕獲したことが報告されています(宇仁 2003)。
100年前の琉球諸島には、十分な数のジュゴンが琉球諸島に広く分布していたのですが、捕獲と沿岸浅海域の開発(埋め立てなど)で、個体群サイズが縮小し現在に至っています。
今回の紹介した分析結果は、ジュゴンの生息できる場所が、今なお沖縄県の広い範囲に及んでいることを示しています。
実際、昨年度の環境省の調査では、宮古・八重山地方でもジュゴンの分布を示す目撃や食み跡が発見されていますので、個体数は極めて少ないのですが、今でも沖縄県全域にジュゴンが分布しているのは事実です。黒潮で沖縄とつながるフィリピンには数百頭以上が生息していると考えられ(Marsh 2002)、600km程度の周期的移動(Sheppard et al. 2006)、まれに1000km以上も移動すること(Hobbs et al. 2007)も知られています。したがって、南方域からのジュゴンの分散移入も仮定すると、沖縄個体群の再生は十分可能で、ジュゴンの保全計画を元にして、沿岸海域全体の生物多様性の保全や再生を推進できるでしょう。
私たち研究チームは、これからもジュゴンの生息場所の成り立ちを科学的に評価し、ジュゴン個体群の回復計画、ジュゴンを指標にした海洋生物多様性の保全計画を検討していきたいと思います。
※本記事の内容は、沖縄県立博物館に壁画状ポスターとしても展示しています。
※本記事に関連して以下もご覧ください。
本記事の分析結果に関わる参考論文
Hobbs, J. P. A., Frisch, A. J., Hender, J., & Gilligan, J. J. (2007). Long-distance oceanic movement of a solitary dugong (Dugong dugon) to the Cocos (Keeling) Islands. Aquatic Mammals, 33, 175-178.
Marsh, H. (2002). Dugong: status report and action plans for countries and territories. UNEP/Earthprint.
Sheppard, J. K., Preen, A. R., Marsh, H., Lawler, I. R., Whiting, S. D., & Jones, R. E. (2006). Movement heterogeneity of dugongs, Dugong dugon (Müller), over large spatial scales. Journal of Experimental Marine Biology and Ecology, 334(1), 64-83.。
当山昌直(2011)ジュゴンの乱獲と絶滅の歴史. 湯本貴和・田島佳也・安渓遊地 ( 編 )、島と海と森の環境史(シリーズ日本列島の三万五千年 人と自然の環境史 第 4 巻 )pp.173-194. 文一総合出版.
当山昌直・仲地明・城間恒宏(2014)近代沖縄の新聞にみられるジュゴンの情報. 沖縄史料編集紀要 37: 39-58.
宇仁義和(2003)沖縄ジュゴン Dugong dugon 捕獲統計. 名護博物館紀要 11: 1-14.