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作文の書き方その三の続きの続き

で、結局こんなふうに編集したのです。

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 「かくことの基本てなんだろう?」
 と一人だけで考えてもなかなか答えは出ない。
 知人に尋ねてみたら
 「デッサンだ」
 という。
 「それは絵の場合のかくことでは?」
 「似たようなものだ。 デッサンとは、見てから描くものだ。 文章を書くのだって見てみないと」
 「そうかなあ?」
 「文章でデッサン……というのはなんなのかと考えてみると、つまり描写のことだろ」
 「あ、なるほど」
 なんか納得してしまった。

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 見ること……思い描くというのは心で見ることだろう、と言われればその通り。

 暇を見つけて、ことあるごとに、新しい描写、新しい表現を考えてみる、という訓練法も励行しようか。

 『読み方』『書き方』は、基本的に一生ものだから、焦らずに行こうかとも思う。
 なんといっても、『完全な答え』はないわけだし。

 それに、焦らずに、というのは逆に言うと、『倦まず弛まず』っていうことだ。

 怠けるのと焦らないのは間違えられやすいから(自分自身への戒めとしても)気をつけたい。

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区切ってあるところから上が、一応完成した文章です。

下は、また材料に使うであろう端切れの文ですね。

そういうわけで、まとまりがない文の羅列も、編集してやればいい、ということなのです。
(余ったのも、私の場合は残しておきますが、そこはご自由にどうぞ)

今思いついたんですが……ひょっとすると、文章を書くのが苦手な人というのは、一発でキめなければ、という強迫観念に駆られているのかもしれませんね。

この文章↑も、最初書いたときは
『おそらく、文章を書くのが下手くそな人は、一発で、という強迫観念に駆られているのです』
という文章でした。
なんか独善的だと思って書き直した≒編集したのです)

そして、これまた大事なことなのですが、文章には『正解』というものはありません。

『長い、国境のトンネルを抜けた。 するとそこは雪国なのだった』
というのは、
「川端康成の『雪国』の冒頭は?」
という問題なら「残念! 不正解」ですが、
「雪国に到着したときの描写をしてください」
の答えとしては不正解ではありません。
しかし、正解でもありません。

繰り返しますが、文章には正解なんてないのです。

つまり、作文にも正解はありません。 文章を作るのが『作文』なのですから。

ですから、気楽に書きましょう。

そう、正解があるとすれば、それは『あなたが書く』ということです。

他の人が書いたものでは、あなたの文章にならないですからね。


→続く


註:例によって、写真は『みんなのフォトギャラリー』から、うたたねさんのものを使わせていただいております。 感謝します。<(_ _)>


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