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非日常と日常とファミえんの多幸感とsummer dejavuの話

今年もファミえんがたのしかったので、ファミえんの多幸感について考えた昔日のブログを掘り起こして改稿して移設しておきます。



ファミえんが終了して数日。なんであんなにファミえんって空間は幸せなのだろうか。きょうは前置きもほどほどに、それについて考えておくことにします。長くなったので読まないでいいです。





1:日常と非日常について

まず、一般的な『遠足』という行事を軽く掘り下げます。
遠足というイベントは、学校での生活という閉じられた日常の登場人物たちを、校舎や通学路からはずれた見知らぬ空間につれていってくれるものです。
普段と違う景色。いつもとちょっと違うクラスメイトの表情。普段の学校生活ではありえないおやつというアイテム。遠足というイベントは、ぼくらに日常では味わえない高揚感、つまり『非日常』というものを味わわせてくれるものなのです。

んでもってファミえんの話。
エビ中メンバの皆さんも、ファミえんの会場でライブ前に花火をしたり水鉄砲に興じたりスイカ割りをしたりしています。ちょっと前までは、メンバーだけでなく裏方スタッフの皆さんと一緒にBBQをしたりする様子がブルーレイの特典などに入っていましたね。これはメンバの皆さんにとっての非日常だといえると思うのです。
たとえば、ガーデンシアターや幕張イベントホールなど都会の大きな会場での公演の際。このときはうっちーさんとか近しい位置のマネージャーさんと食事を摂ることはあっても、大道具さんなどと一緒にケータリングを食べることは基本的にはないはずですよね。
いうなれば、都会の大会場は特別感の強い日常の範疇。ファミえんは特別感がある上に非日常。まずそこが違うように思うのです。

ここでまやまさんが2015年のファミえん・新潟県国営越後丘陵公園(長岡)の舞台裏で語っていたことを書き起こしてみます。

すごい楽しい。
あの、あのね、あのステージあんじゃん?
あれ、無くて。もともと。
(四角くまとめた白米パクリ)

で、それで、あの、1から作ってくれたんだって。
そういうのって、やっぱり、あの、なんだろー、あの、
なんかそういう風にしてくれて、
やっぱ改めて、皆さんに支えられている。
スタッフさんとか、みんながいなかったら今年は成立しなかったから、
今年こそ本当に成立しなかったから、
(アスパラ?をパクリ)

ほんとありがたいなと思って。
で、いつもより賑やかだし。やかまし感が強いっていうか。
初めて会った人も多いけど、
(白米パクリ)

うん、でも、すごい、楽しい。
だからこそ、最後に私たちが、みんなの作ってくれたステージに立って、
あの、ファミリーのみんなが、楽しいなって思ってくれるような、
ステージを最後に作りあげていけるように、がんばろうと思います。
なんかね、すごい泣きそうになっちゃった。
さっき、すごい、すごい、だって、
アレ(ステージのある場所)がまっさらだったと思ったらさ。
すごいなって。
(スナイパーひなたに水鉄砲で撃たれる)

特典映像より

解説を入れておくと、2015年の会場・越後丘陵公園には常設ステージはなく、ファミえんのために特設ステージが建てられたのでした。スタッフさんが土台から作りあげてくれたのです。
非日常空間であるファミえん。普段はケータリングを一緒に食べることなどないはずのスタッフさんも、バーベQの場に一緒にいます。皆さんが仕事の合間に楽しそうにしているのを見たためでしょうか…。ステージを組んでくれたことに感謝をして、まやまさんの本番に対する想いもまた強いものになっている様子です。
このころから麗しかったのですね。

そして、まやまさんのセリフには、まだ準備の段階なのに、端緒に「楽しい」という言葉が来ています。こんなところからも、やはりファミえんは都市部での大学芸会などの日常と一味違う、非日常の空気になっているのだろうなあと思わされてしまうです。


2:日常の延長線と非日常

非日常感ってのは、ただ非日常に満たされただけでは感情に作用しきらないように思うのです。日常の要素が非日常にうまく溶けこんでこそ、非日常のワクワク感が高まると僕は考えます。

たとえばエビ中さんは、沖縄や台湾やグアムなどで撮影した写真集を出しています。そこに写し出されている風景は紛れもなく非日常です。楽しそうに微笑んで写真に写っています。みんなかわいい。まやまさん麗しい。
ただ、写真集で切り取られた風景には、非日常しかないのです。海外旅行という非日常で、100%が普段と違う姿になってしまっている。

対してファミえんです。
ここには写真集の撮影地にはなかった大きなものが一つあります。それは僕らファミリーです。

会場は東京から遠く離れて、空がでっかくひらけて、緑や自然が広がっている非日常空間。それなのに、そこにいつものようにたっくさんのファミリーがいる。非日常と日常が地続きとなって、非日常なのに日常が流れ込んできている感覚。その不思議な感覚が普段と違うテンションを引き立たせてくれるものだと思うのです。


3:ファミリーにとっての非日常

ここまでメンバー目線に勝手になり替わって考えてきましたが、ここは僕ら目線で考えます。

僕らにとっても、ファミえんは都会での公演と違って特別感や非日常感が大きなものになっています。

たとえば会場。
特急やバスや車に乗って数時間。こんな機会でもなきゃ降車どころか通り過ぎすらもしないであろう場所を目指し、僕らは進みます。山中湖はJRからローカル私鉄に乗り換えて1時間ほど揺られる旅。たとえば先述の長岡会場は、新幹線を降りたあと地元のバスで山奥まで連れていかれるものでした。

ストレートに言うと不便です。行くだけで疲れます。知らない土地はちょっと不安です。でも目的地にはそれらを上回る、大きな楽しみが待っているんです。

ある者は一人で心細さと共に、ある者は仲間とレンタカーに乗ってワイワイと、いろんな感情に揉まれながらたどり着く会場。そこは東京から遠く離れて、空がでっかくひらけて、緑や自然が広がっている非日常空間です。なのに、いつものようにたっくさんのファミリーがいます。憧れのメンバーみんなもいます。
行くと決めた不便な場所ってのは、いろいろと心のスイッチが入るもの。雨の心配をすることさえ刺激のひとつ。会場に到着してみたら、そこまででため込んだ不安や道中の疲れなんか、軽く吹っ飛んじゃうんです。
この感覚って、ぼくらが小さなころに味わっていた、遠足でのテンションそのものなんですよね。

メンバーもファミリーも遠足の地でワクワクドキドキのテンションです。この空間が幸せでない訳がないじゃないですか。ある種のつり橋効果?そう!それです!


4:心の奥底に眠る遠足の記憶

最後に大きなおともだち目線で考えてみます。

ぼくらがリアル遠足のワクワク感を最後に味わったのって、いつだったでしょうか。僕はもう思い出せません。リアル中学校を卒業してだいぶ経ってしまいましたもので。だから、当時の感情をそのまんま呼び起こして再現することなんてできません。
だけどぼくらはファミえんで、無意識のうちに遠足のワクワク感を追体験させられているのです。ファミえん、つまり『ファミリー遠足』というネーミングにうまく乗せられちゃっているのかもしれません。でもよく訓練された僕らファミリーは、永遠に中学生という言葉を心の拠り所に、遠足の非日常感を心置きなく楽しんでいます。ガチ恋の人も父兄目線の人もフリコピ命の人も地蔵の人も、みんな一緒に遠足を楽しんでいるのです。

まとめます。ええと。
ぼくらの心の奥底には、幼き日の遠足の記憶が眠っているんです。

楽しい遠足の記憶がある人も、実際にはそれほど楽しい遠足を体験できなかったという人も、ワクワクドキドキするあの感覚っていうのが、心の奥底にしみついているんです。
そして大きくなったファミリーは、きっとみんな、心の奥底にある遠足の記憶や感情との邂逅を、どこかで見たような気がするファミえんの夏の風景と共に楽しんでいるのです。それも、実際はもう遠足なんていう稀有な体験ができないことをわかっていながら。
だから、戻れない原風景をストレートに想起させるいい湯だなを聴いて自然と涙が浮かび、誘惑したいやで止め処なく溢れ出てくるのです。

それらすべてが夏のデジャヴ、summer dejavuの世界なのです。



といったあたりでファミえんの多幸感に関する考察はおしまいです。7割夢想ですが3割本気です。いや、秋田分校と並んで、本当にコンセプトから何から素晴らしいコンテンツだと思うですよ。
そして何年経っても文章が長い。次回からはスパッと簡潔な下らないnoteを目指します。

それではそろそろ寝ますです。
おやすみなさいグー。

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