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入れ替わる感情とレベル7の途中経過とハッピーエンドとそれからの話

街で、公園で、スタジオで。
大人ドレスで、ふわふわで、チェック柄で、
にこやかにポーズをとったり、撮影用の目線を見せたりのまやまさん。
軽快な音楽が載ったショートVTRから「まやまにあ-Level.7-」はスタートしました。

そう。きょうは一年に一度のセレモニー。真山りかさんのご生誕大祭「まやまにあ-Level.7-」がKT Zepp横浜にて楽しく厳かに朗らかに染み入るように執り行われたのです。



訪れた寒気と気圧の谷の影響で、この日の横浜はたまに雨がパラつき、気温は朝から7度前後で横ばいに。なかなかに厳しいシチュエーションだったのですが、そんな天気にも負けず物販開始の16時には長蛇の列が形成。まやまさんの番組「まやあに300」の抽選会も行われるなど、会場の外周は一ヵ月遅れとなったまやまさんのご生誕を祝おうという皆様の熱気に溢れていたのでした。

頃合いを見てこぎれいなKT Zepp横浜に入館。場内は紫のピンライト少々に、オレンジのやや明るいライトがムーディな明るさを創出している。客入れBGは平井堅のPOP STARや岡崎体育のおっさんなど、男性ボーカルもののポップスが続いている。ステージにはバンドセット。去年はアンプラグド風アプローチであったため舞台後方にパーカッションセットが配置されていたものだが、今年はドラムセットが鎮座。キーボードの電子音やエレキギターの歪んだエフェクターの音が聴こえてくる。厭が応にも期待が高まってくる。

そして定刻を迎え、このテクスト冒頭のVTRに繋がるのでした。

今回も「まやまにあ-Level.7-」は配信で中継され、アーカイブもしばらく残るとのこと。ここからはライブレポではなくて、例によってぼくが思ったこと感じたことを独りよがりに書き残していこうと思います。




M.01 愛のレンタル

バンドメンバーのしっとりとしたアンサンブルから楽曲が始まり、テンポとグルーヴ感とコードワークから「あの曲だろうな」という感覚が心の中に固まってきた緩やかな刹那に、黒を基調としたシックでスタイリッシュなドレスを身にまとったヴォーカリストが登場。今年も容赦なく麗しい。
曲は予想通りに愛のレンタル。事前の配信でドラマーが高浦''suzzy''充孝さんだと発表された時から、マカロニえんぴつ繋がりで絶対に演ると思っていたものだ。けれどこの後のMCによると、お友達アイドル・群青の世界さんのステージでドラムを叩いていた高浦さんをまやまさんが目撃して、じきじきにスカウトしてきたのだそうだ。麗しい上に敏腕。
楽曲アレンジとしては、ひなたバンドが聴かせるようなパワーロック系のアプローチではなく、シティポップテイストが程よく薫るような渋めの味わい。いっつも思うのですが、プロデュースし分けるsinさん始めとする演奏陣も凄いし、愛のレンタルという曲自体の持つ懐の広さ深さもかなり凄いと思うのです。トゥルットゥ。

MC1

ここでいきなりバンドメンバー紹介。プラスして各人とのなれそめについて。
ギターは伊平友樹さん。ちゅうおんでも何度もギターで参加されていらっしゃいますね。例によってまやまさんは最近になってようやく会話が出来るようになったとのこと。何年経っても変わらぬ人見知りっぷりが麗しい。
ベースは去年に引き続きまふまふ真船さん。小脇に抱えたウッドベースがかっこいい。
ドラムは前述のとおり高浦''suzzy''充孝さん。マカロニえんぴつでサポートドラマーをされている方です。
キーボードはお馴染みSinさん。エビ中バンドマスターとしては2014年の『真冬の北半キュリスマス』からですよね。8年強の付き合いになるのだぞ、などと舞台上で確認。頼りになるバンマスだ。

まやまさんからは、エクステを導入したことと、きょうの生誕祭は大人っぽい曲が多くなるとの前フリ。ステージのイスに腰かけ、このあとは立っても座っても良いので自由にしてくださいとのこと。これは座ってじっくり聴かせていただくやつだ!そう直感するも周りの皆様が立っているので、ぼくも右へ習えで立ったままご拝聴することに。

M.02 ワインレッドの心 (安全地帯)

しっとりとしたモデラートの、どこかで聴いたことのあるイントロ。
ああ、これは玉置浩二だ。安全地帯だ。ワインレッドの心だ。そして80年代だ・・・まやまさんっておいくつになられたんでしたっけ?とか余計なことは微塵も考えることなく歌に集中。
モノトーンで落ち着いたファッションを身にまとい、マイナー調でアンニュイかつアダルティックな歌詞を歌いこなす真山さん。ヴォーカリストとしての世界観が醸成されて、年代物のワインのようにどんどん深みのある味わいになっている。グラスの中で揺れるシャトー・モン・ペラのごとく、ゆらりとハートが揺れ動くまやまにあの面々。我らの捧げた血と骨が、まやまさんの良きおつまみになりますように(猟奇)。

M.03 シングルTONEでお願い

心地良い猟奇に耽溺しかけたオーディエンスを救いだすかのように、比較的聴きなれたエレピの音色やベースラインが聴こえてくる。真山さんの優しい歌声が、夕刻に雲間から伸びる黄金色の軟らかい陽光のようにフロアまで降りてくる。龍之介が蜘蛛の糸に見出した光とは、いまこの瞬間にぼくらが浴びている音楽と体感するエナジーと同種のものだったのかもしれない。うん。ちょっと何言ってるかよくわからない。
直感的によくわかるのは、ステージのオトナ真山さんが描き出す世界観の大きさなのだ。
事前の配信において、今年のまやまにあでは撮影可能曲などを設けないことを表明されていました。残念に思うファミリーの方々がたくさんいらっしゃること、本人は重々承知だと思うのです。でも、撮可時間を設けない理由はシンプルに、歌を聴いてほしいからと仰っていました。ここまでの3曲で、彼女の歌にかける真剣な想いがしっかりと伝わってくるのでした。

M.04 LA・LA・LA LOVE SONG (久保田利伸)

続いて久保田利伸のヒット曲。親しみやすいサビから。
これも大人の味わいが大きいものの、ポピュラーであるし、だいぶ聴きやすい曲だ。笑顔と共にまやまさんが左右に振るムラサキのペンライト。応えて揺れるオーディエンスのペンライト。軽快なリズムに合わせ、ステージとフロアが一体になっている。
しかしこの曲はあまり気合を入れて聴いたことがなかったのだけれど、改めて聴いてみると随所に細かい転調があるものだ。これを歌いこなすには、想像以上にヴォーカリストの技術とセンスや反射神経が必要であろうことが伺える。笑顔を崩さず歌いきって、アウトロを終えると共に「ありがとうございます」と言葉を発するきょうの主役。ビルボードライブでのディナータイムに訪れているかのような感慨だ。

MC2

ここで「気付いたと思うけれど、きょうは重い曲ばかり」と解説。
このあとのテーマが大人のラブソングであり、男性ヴォーカルものになるということが明かされます。この方向性は、昨年のちゅうおんにてSaucyDog曲をカバーした際の校長の言葉からだとのこと。確かにしっとりした世界を作り上げて、それを歌で表現するという芸当。まやまさんにピッタリですし、スタプラの皆さんの中でもこの人にしか出来ないと言っていいようなテーマではないでしょうか。大人の麗しさ。26のまやまさんはとても麗しい。

M.05 邦画 (indigo la End)

まやまさんのフェイバリット、川谷絵音作品から。
想い出との決別への渦中、じっとりと気持ちが混濁する時期が描かれた一曲。繰り返される「泣いたり笑ったり」というフレーズは、この一年の真山さん自身の気持ちそのものだったかもしれませんね。後々のMCでもこの間の感情について触れられていましたが、歌詞の主人公と同じく、今をしっかり踏みしめ前に進むことを大事にしようともがいてきた気持ち。それが歌の端々から漏れ聞こえてきたようにも思えます。
いや、思い込みが過ぎるものだとは思います。でもここまでの曲を聴いてきて、まやまさんの歌声の成分が、去年までと比べ少し高めの部分に軸足が変化しているように感じていまして。このあたりは後述しますが、過去から未来への流れの渦中にある現在の彼女の気持ちが強く乗せ込まれた一曲であったなと思うのです。聴くことが出来てとてもよかった。

M.06 シンデレラボーイ (Saucy Dog)

2022年ちゅうおんのソロカバーコーナーで披露された曲。今回も歌われました。
勝手な想像で書いてしまうのですが、真山さんやメンバー、そしてエビ中チーム全体が自信と矜持を持って作り上げているのが、毎年のちゅうおんという舞台。日ごろから音楽が大好きだと公言しているまやまさんにとって、この舞台はとりわけ大事なものだと思うのです。でも昨秋はご存じのとおり手術からの復帰直後であったため、ちゅうおんへのフル出場は回避。時々舞台に現れて、また裏にはけるという形となりました。あの二日間は昨年の真山さんにとって、一番辛い時のうちのひとつだったのではないでしょうか。
こうして取り返す時間をちゃんと迎えられたこと。喜ぶべきことだと思います。

M.07 痛いよ (清竜人) 

歌手には憑依型というか別人格型というか、まあなんていうかそういうタイプの人がいると思うのです。たとえば歌っているときの柏木さんなどは、普段のひなちゃんさんからスイッチが切り替わって「歌手柏木ひなた」という人格に変貌しているという気がするのです。これは別に良いとか悪いとかそういう話ではなくって、柏木さんの場合は普段の弾けていたりマジメでいたりする姿と開放されて歌っている姿との両方の面から、その魅力の大きさを思い知るものであるのです。
対して、真山りかというシンガーは、普段の真山りか本人の芯や軸の上にブレることなく存在しているように思えるのです。普段のこの人の言動や姿勢の延長線上に、この人の歌がある。だからこそ、この人の歌がこの人の歌として伝わってくる。そんなタイプのシンガーであると、ぼくには見えてくるのです。
しかしこの曲で胸の痛さを歌い上げる様子。この一曲には「女優」として主人公を演じるシンガー真山りかの一面を見ることが出来たように思うのです。たまにそういう姿を織り交ぜてくるからずるいですよ。そして前曲で歌われた女性が見た「嘘」と、この曲で歌われる男性の見た「嘘」の、それぞれが感じる切なさ。女優としての彼女がこの2曲を並べて演じ分けて聴かせてくれたところに、歌うことに対しての誠実さが感じられたような気がしてならないのです。

バンドつなぎセッション

『痛いよ』のアウトロで、胸の痛さを断ち切るかのようにひとりステージを離れる主演女優。彼女のいない舞台で余韻とともにバンド演奏が続き、そして暗転。この転換から次のセッションによる繋ぎへの流れ。とても効果的に機能していたと思います。
タイトなドラムのシンコペーション、ワウの効いたギターのカッティング、心地よいスラップのベースライン、静かに主張するピアノの旋律。おろそうとした腰を止めてクラップに切り替えるフロア。リズムのはっきりしたアンサンブルと、ピアノを前面に出してゆったりと広がりをみせる展開部。かっこいい。おしゃれ。楽しい。好き。
こういうのってスタジオでのセッションから作られてゆくものなんでしょうか。90秒ほどのセッションだったのですが、もっとずっと聴いていたいくらいだ。

M.08 星が泳ぐ (マカロニえんぴつ)

バンドつなぎがおしゃれに終わったのち、きょう随一のドラムの激しいビートといかつく歪んだトーンのギター。ここまで続いてきた大人びたディナーショウチックな流れが断たれ、ロックチューンのイントロが流れ出す中、ジャケットを脱いで少し身軽になって笑顔で登場するシンガー。この転換は素晴らしかった。
ファッションと同じく、開放感の感じられるロック。随所で軽く跳ねたりカラダ全体でビートを受け止めて、そして明るく放たれるスマイルと歌声。この曲もここまでのテーマ通りに男性曲なのだけれど、まやまさんの正の方向へのエナジーの載せられた楽しい一品。しっとりのまやまさんも素敵なのだけれど、こちらの方向のまやまさんの歌もしっかり浴びておきたいですよ。

M.09 宇宙は砂時計

久しぶりに持ち歌。回りだすミラーボール。安堵するフロア。闇の中で揺れるムラサキのペンライトがとてもきれい。
前曲のタイトルを受けたためか、エビ中で歌われる際の砂の中にだんだん埋没してゆくような感じと少し違って、宇宙の黒色の中を泳いで彷徨うようなアプローチ。BPMが少し早かったからかな。どうなんだろう。
間奏での伊平さんのギターソロが好き。メロディを排してフィードバックの裏に抜けてゆくような、ちょっとしたSEのような音色がとてもコンフォタブル。

MC3

5曲連続があけて、ここでMC。水飲み中に助けてくれないバンドメンバー。そして「ここからは持ち曲やりまーす」と告げられ、安堵しまくるフロアの皆さん。

M.10 蜃気楼

ソロコンではおなじみ、ライアーマスクカップリングのバラードナンバー。
空間系エフェクトのギター、スタンダードな音色のベース、ポイントごとのエキストラドラムでのSEといった、アンプラグドではないものの、余計な音色を排した形でのご披露となりました。蜃気楼を掴もうとするかの如く、ファルセットに寄せた真山さんの細い声が印象的に響いてくる時間。毎年この曲の際には目を閉じて聴いています。おすすめです。

MC4

真山さんと目をあわせないバンドメンバー。この人たちの間に何があったのだろう。無情にも「そろそろ最後の曲」と告げられいろいろ噛みしめるフロア。
ここで真山さんは声帯ポリープの手術の話へ。エビ中にとって今年はたくさんの歌を届けることが出来た反面、個人としてはターニングポイントを迎えていて、思うように歌えない状態となっていたこと。そしてそれが今もまだ解消されていないことに触れつつ、主語を用いず「ようやく手を繋ぎはじめた」という表現で現状を伝えてくれました。新しい自分の声との付き合い方が、少しずつわかってきたということなのだろうと思います。
負けず嫌いだと本人は言いますが、責任感の強い人なので、「大丈夫?」と訊かれてしまう自分がもどかしかったこと、でもみんなに「待ってるよ」と言ってもらえたことがとても嬉しかったと伝えてくれました。笑顔がまぶしかったです。麗しい。

M.11 Shen-Shen Passion Night

この曲知ってるかな?去年はやらなかったのだけれど。
そんな曲フリから終盤戦へ。ええと、前奏聴いてもよくわからんけど、去年はやらなかった持ち曲・・・まさかあのPURPLE LOVEを!?春奈るなさん役は誰が?とか思っているうちにちょいと中華チックな音階が聴こえてシェンシェンさん開始。
例年の如くサビ前で「踊るよー」という短い煽りが入ってパラパラタイムへ。しばらくライブ動画を見ていなかったけれどすぐにカラダが思い出すナナメ上下へ腕をやるフリコピ。きょうイチのフリをいれ歌い踊る真山さん。大きくフロアにクラップを煽る真山さん。楽しい。バンドアレンジでのこの曲は初めてだろうか。楽しいぞこれ。うん。

M.12 Liar Mask

本編ラストは全世界で1000万再生を誇る持ち歌。
アクの強いリフを放つギター。淀みないグルーヴを生み出すベース。激しく刻まれるスネアと吠えるシンバル。荘厳さを担うピアノの音色。ゴスペルやストリングスなどのSEも載せてきょう随一の激しい曲調を盛り上げる演奏陣。白く赤く明滅するピンライト。そしてセンターに立って自信に溢れたステージングを魅せる真山さん。言葉がいらないくらいに完成された時間だったと思います。

曲を終えステージを後にする壇上の5人。お疲れ様でした。


アンコール

しばしのフロアからの拍手ののち、生誕ロンTを着て再登場するきょうの主役。
シックな黒ドレスのビューティーさから、一気にキューティーさの成分がカオを出した感じ。かわいい。麗しい。ロンTの肩口がちょいと切れているところが素敵・・・とか思おうとしているうちに物販紹介タイムスタート。商売人だなあ。

En.01 感情電車

アンコールでは「実は好きなエビ中の曲をうたう」と予告したのちに、ギタリスト伊平さんを「いっひー!」と呼び出し。ふたりの距離、だいぶ縮まったね。
まやまさんは、去年は色々な感情と付き合うことになり、中でもたくさん泣いたとのこと。でもそれも、皆の前でこうやって笑っていられるきょうを迎えるための感情だったのかなと総括。その流れから、アンプラグドのギター一本で感情電車のご披露に。
感情電車という曲は春夏秋冬や朝昼夜、不安や喜びや衝動や勇気など、大げさにいえば森羅万象全てが詰め込まれた楽曲です。これをギター一本で歌い上げるなんて、どんな無謀な挑戦なんだろう。
曲が始まる数秒の間、ぼくはそんなことを考えたものです。でも伊平さんのギターは優しく丁寧なアルペジオのほか、ミュートを効かせた巧みなカッティングや、ちょっとしたハーモニクスなどの技などもちりばめられた素敵なもの。ヴォーカリストとの共同作業によって、ミニマルな編成にも関わらずこの曲の世界観が大胆に描き切られていたのでした。
やっぱりこの曲って凄いプロダクトなのだな。麗しい1曲でした。

MC5

バンドメンバー皆さんを呼び込んで写真撮影。ぼくもどこかに映っています。
残り2曲でほんとに帰りまーすと伝えられるフロア。必死でペンラにてバッテンを作るオーディエンス。楽しそうなまやまさん。うん。名残惜しいけれどね。うん。楽しかったですよ。うん。

En.02 君じゃなきゃダメみたい (オーイシマサヨシ)

軽快なロック調のアニソンですね。ボーカルのフレーズに対しての「キミ、じゃなきゃ、ダメみたい」という返しが楽しいハッピーなラブソング。曇りが一点もないような、前向きな明るさの感じられる一曲でした。
このまやまにあという舞台でだけ、真山さんが年に一度だけデレるものだと本人が仰っているわけですが、きょうのこの曲での掛け合いがまさにその頂点部。もっともぼくらは声を出すことが出来ないので、まやまさんじゃなきゃダメみたいだというのはペンライトの光をもって指し示すものでしたが、それでもここまでのシックなテーマでは消化しきれなかったまやまにあの楽しさの側面がしっかり回収されていきました。うん。楽しい。たのしいですよ。満足ですよー。

En.03 ハッピーエンドとそれから

前曲でハッピーにまみれた客席に贈られたラスト1曲は、ハッピーエンドとそれからでした。
生誕祭という一里塚の最後でこの曲を聴くと、軽快なノリとともに色々な想いがアタマの中に去来して色々なことを感じてしまうようで。それでいてそれらがまとまる前にどんどん歌が進んでいって。だけれどそれがなんだか気持ちいいような気がして。
10周年を迎えたエビ中。エビ中にて10周年を迎えたまやまさん。そんな彼女にとてもピッタリな選曲であって、彼女を応援しているみんなにとって素晴らしいプレゼントになったように思います。

名残惜しいけれど、ことしのまやまにあもとても楽しかった。とっても楽しかったよまやまさん。




まとめのようなものとして

今年の「まやまにあ-Level.7-」を迎えるにあたって、やはりどうしても気になってしまったのは、ノドの具合に関してでした。
傍から聴く分には、真山さんのノドは、かなり良くなってきているように思えました。配信などで歌声を聴くと、ときおり意地悪なまでにもラインからの音声がダイレクトにスピーカーに届けてられてしまうものかもしれませんがが、少なくとも現場で浴びた生の音塊は、時々「あっ」と思わされる部分こそあったものの、それらはすぐに次の歌声の心地よさにより上書きされてゆくレベルのものでしかありませんでした。

ただ、きょうのライブでの歌声を聴いて、それ以上に感じたこと、考え直さなければならないなと改めて理解させられたことは、この「良くなってきている」という無造作な表現をやめるべきなのだろうなということです。

自分なぞが軽々しく語るのは烏滸がましく、とても申し訳ないものなのですが・・・理由を端的に書くと、真山さんは歌声を元の状態に戻そうとしているのではなくて、新しい歌声を創りはじめているのであろうなと感じられたからです。いや、その根拠を訊かれたとしても、直感的なものという回答しかないのが正直なところなんですけど。

先述の『邦画』のところで書きかけたのもそういったこと。過去の歌声との決別・・・というと少し言葉が強くなりすぎてしまうので、正しく表現すると、過去の歌声との変化の受容といった感覚になるのかな。そういった感覚とともに、いまの真山さんは一歩ずつ歌声を積み上げているところなのではないかと感じるのです。
これは、手術前の歌声を取り戻すところがゴールなのではなく、かといって別のものを作ることがゴールなのではなくて。でも、ヴォーカリストとしての真山りかを再構築する道のりを順調に進んでいるという状況が、いまのリアルなお姿なのではないかなと。

その道のりにおいて、今回は男性ヴォーカルものをメインとしたセトリがチョイスされました。男性目線から見立てた歌の世界を、女性である真山さんが表現すること。この挑戦は変化の受容の一環にもなり得るし、彼女の表現力を磨くものにもなりますし、大人としての世界観を広げるものにもなりますし。とても優れたテーマだったと思います。

今年の「まやまにあ-Level.7-」は、とても筋の通った素晴らしい生誕祭だった。これはもう、間違いのない揺るぎない事実なのだ。そうに違いない。


そういえば「まやあに300」抽選会にてぼくが勝ち得たサーティフィケートは観覧証明書ではなく『鑑賞証明書』と書かれていたのでした。ちょっと気になったのでGOOGLEにて調べてみたのですが。

「観覧」は、イベントや名所、芸術作品などをみて楽しむこと。 「鑑賞」は、芸術作品に接して芸術的価値を味わうこと。 芸術作品に限定されるのが「鑑賞」芸術作品も含めイベントや風景などをみて楽しむのが「観覧」です。

googleで検索したら書かれていたことより

なるほど。「まやまにあ-Level.7-」は芸術なのだ。あの場にいた人ならわかる。配信を見た方々にもわかる。「まやまにあ-Level.7-」で彼女が対峙した運命と挑戦、見据えた未来、作り上げた音楽。それらは芸術とも言える至高の時間と空間にほかならなかったのです。

途中のMCで、まやまさんは「早くわたしを届けたい」と言って、そんなこと言ってしまった自分に照れつつも、もう一度その言葉を繰り返していました。

うん。大丈夫。
まやまさんの過去と未来、やりたかったこと、見せたかったこと、そしていまいる現在地。きょうの生誕祭には全てが入っていた。まやまさんがしっかり届いているから大丈夫。もしかしたらご本人としては、もっともっと高いところにいる「わたし」を届けたかったのかもしれないけれど、少なくともそうしようとしている等身大の26歳のまやまさんの姿は、しっかり客席に届いていたんですから。
だから、もっともっと高いところで輝く「わたし」が届くのを、これからもぼくらは安心して待つことができるんですよ。だから、「まやまにあ-Level.7-」は、とっても良い生誕祭になったと思うのですよ。

1ヵ月以上も遅くなってしまいましたが、改めに改めまくりまして。
真山りかさん、26歳の誕生日、おめでとうございます。
誰よりもハッピーで誰よりも誠実で着実な1年にしてください。
きっと絶対に、そういう1年になると思います。



といったあたりで、そろそろ寝ますです。
おやすみなさいグー。


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