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非日常と日常とファミえんの多幸感とsummer dejavuの話
いよいよ2022年のファミえんチケット発売がアナウンスされました。数年ぶりの夏がやってきます。
ぼくがはじめてファミえんに参加したのは、2015年の長岡公演でした。二度目は富士急ハイランドでした。どちらも全力で正真正銘のぼっちで誰ひとり知り合いのいなかった夏でしたが、それでもファミえんはとても楽しかったのです。
いったいぼくにとって、何がどう楽しかったのだろう。そのことを考えてみた過日のブログ記事をサルベージしました。今年のファミえん参加についてどうしようか迷っている方などに、何らかのご参考になりましたら幸いです。
なお、富士急ハイランドへの紀行文も再UPしてあります。ご興味がありましたら。 → こちら
以下、内容の時制などは当時のものになっていますがお気になさらずに。
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ファミえんが終了して4日たちました。なんであの空間はあんなに幸せだったのでしょうか。きょうは前置きもほどほどに、それについて考えておくことにします。
1:遠足の日常と非日常について
世間一般でいう遠足っていう行事は、学校生活という閉じられた日常の登場人物たちを、非日常空間にそのまま持って行くことのできる稀有な時間を味わわせてくれるものです。
普段と違う景色。普段とちょっと違う表情のクラスメイト。普段は許されていないおやつも持参。あの頃の僕たちは不思議なドキドキとワクワクに心を躍らされたものでした。
そしてファミえんの場合。
エビ中メンバーの皆さんも、大勢のスタッフの皆さんと一緒に、ライブ前にバーベQをしたりかき氷を造ったり水鉄砲に興じたりしています。ナタリーやらブルーレイの特典映像やらでその様子を見ることができますね。
これはきっと、メンバーにとっての非日常なのだと思うのです。
たとえば幕張メッセやSSAなど都会の大会場での大学芸会などの際は、一緒にケータリングを食べるスタッフさんなんて、ウッチーさんなどのだいぶ近しい方に限られると思うのです。でも、ファミえんのときは大道具さんなど本格的な裏方さんもご一緒されているご様子です。
いうならば、幕張メッセやSSAなどは特別感の強い日常。ファミえんは特別感がある上に非日常。同じような大きな公演ですが、そこが違うように思うのです。
ここでまやまさんが2015年のファミえんの舞台裏で語っていたことを書き起こしてみます。
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すごい楽しい。
あの、あのね、あのステージあんじゃん?
あれ、無くて。もともと。
(四角くまとめた白米パクリ)
で、それで、あの、1から作ってくれたんだって。
そういうのって、やっぱり、あの、なんだろー、あの、なんかそういう風にしてくれて、やっぱ改めて、皆さんに支えられている。
スタッフさんとか、みんながいなかったら今年は成立しなかったから、今年こそ本当に成立しなかったから、
(アスパラ?をパクリ)
ほんとありがたいなと思って。
で、いつもより賑やかだし。やかまし感が強いっていうか。
初めて会った人も多いけど、
(白米パクリ)
うん、でも、すごい、楽しい。
だからこそ、最後に私たちが、みんなの作ってくれたステージに立って、あの、ファミリーのみんなが、楽しいなって思ってくれるような、ステージを最後に作りあげていけるように、がんばろうと思います。
なんかね、すごい泣きそうになっちゃった。さっき、すごい、すごい、だって、アレ(ステージのある場所)がまっさらだったと思ったらさ。すごいなって。
(スナイパーひなたに水鉄砲で撃たれる)
特典映像より書き起こし
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解説を入れておくと、2015年の会場・越後丘陵公園は、ただの野原なのです。何もない空間にスタッフさんたちがゼロからステージを作りあげており、まやまさんはそのことに感謝の声をあげているのです。
非日常空間であるファミえん。
普段はケータリングを一緒に食べることなどないはずのスタッフさんも、バーベQの場に一緒にいます。そんな彼らが、普段と違う楽し気な表情を見せたりします。
まやまさんのセリフは読んでの通り、彼らや皆さんへの感謝の気持ちをしっかり出そうとしたもの。だからこそ、本番に対する想いが強いものになっている様子もうかがえます。
その上で、端緒に「楽しい」という言葉が見られます。やはりファミえんという場所は、SSAなどの日常的な特別感とは別の、一味違う非日常の特別な空気になっているのだろうなあと、ぼくは思わされてしまうのです。
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2:ワクワク感と日常の延長線
非日常感ってのは、特別なものにただ満たされただけでは、それほど感情に作用してこないように思うのです。日常の要素が非日常にうまく溶けこんでこそ、そのワクワク感が高まるとぼくは考えています。
たとえばエビ中さんは、林間学校や香港旅行などの写真集を出しています。そこに写し出されている風景は、紛れもなく非日常です。観光地や海外など普段と違う空間に踏み込んで、楽しそうに微笑んでいます。
ただ、ここに日常の延長線はあまり延びていないと思うのです。撮影、はたまた旅行という「非日常」ばかりがそこにあるものだと感じるのです。
対してファミえんです。
こちらには写真集の撮影地にはなかった大きなものが一つあります。それは僕らファミリーです。
会場は東京から遠く離れていて、空がでっかくひらけていて、緑や自然が広がったりしている非日常の空間なのに、そこにいつものようにたっくさんのファミリーがいるんです。都会の幕張メッセやSSAに、人がたくさんきてくれるのとはまた違う感覚。日常と非日常が繋がった感覚。非日常なのに日常が流れ込んできている感覚。その不思議な感覚が、普段と違うテンションを引き立たせてくれるものではないかとぼくは思うのです。
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3:ファミリーにとっての非日常
ここまでは勝手にメンバー目線になり替わって考えてきましたが、この項では僕らファミリー目線で考えてみます。僕らファミリーにとっても、ファミえんは都会での公演と違って特別感や非日常感が大きいのです。
たとえば会場。特急やバスや車に乗って数時間かかります。
こんな機会でもなきゃ通り過ぎすらもしないであろう場所を目指して、僕らは進みます。ある年はJRからローカル私鉄に乗り換えて、1時間ほど揺られる旅。ある年は新幹線を降りた後に、地元のバスに山奥まで連れていかれる旅。
ストレートに言うと、移動手段的にはとても不便です。予定を立てるだけでもひと手間あるし、行くだけで疲れます。そして知らない土地はちょっと不安です。
でも目的地には大きな楽しみが待っているんです。
ある者は一人で心細さと共に、ある者は仲間とレンタカーに乗ってワイワイと、いろんな感情が一堂に会する目的地。そこは東京から遠く離れて、空がでっかくひらけて、緑や自然が広がっている非日常の空間です。そして非日常なのに、いつものたっくさんのファミリーがいるんです。憧れのクラスメイトたる、メンバーみんなもいるんです。ここではきっと雨の心配をすることでさえもが、楽しい刺激のひとつなんです。ちょっとした不安や道中の疲れなんか、この風景の前に軽く吹っ飛んでゆくのです。テンションが上がらないわけがないんです。
これ、この感覚って、リアル小学生のころなどにぼくらみんなが味わっていた、実際の遠足での感覚そのものにかなり近いものだと思うんですよね。
メンバーもファミリーも遠足の地でワクワクドキドキのテンション。この空間が幸せでない訳がないじゃないですか。ある種のつり橋効果?そう!きっとそれです!
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4:心の奥底に眠る遠足の記憶
最後に大きなおともだち目線、おっさん目線で考えてみます。
ぼくらおっさんどもがリアル遠足のワクワク感を最後に味わったのって、いつだったでしょうか。ぼくはリアル中学校を卒業してだいぶ経ってしまいましたもので、もう思い出せません。だから、当時の感情をそのまんまリアルに呼び起こすことなんてできません。
だけどファミえんは、無意識のうちに遠足のワクワク感をぼくらに追体験させてくれるのです。ファミえん、ファミリー遠足というネーミング、実によくできています。その名称にノせられて、なんだか錯覚しているだけなのかもしれません。でも、よく訓練されたぼくらファミリーは、永遠に中学生という言葉を心の拠り所にして、ここで遠足の非日常感を楽しむのです。ガチ恋の人も地蔵の人も父兄目線の人も、きっとみんな一緒です。
つまりですね。
ぼくたちの心の奥底には、幼き日の遠足の記憶が眠っているんです。
楽しい遠足の記憶がある人も、実際はそれほど楽しい遠足を体験できなかった人も、ワクワクドキドキするあの感覚が、もしくはその感覚へのあこがれが、心の奥底に眠っているんです。
そして大きくなったファミリーは、遠足の日にワクワクした過日の記憶と、きょうの気持ちとの邂逅を楽しんでいるのです。
実際はもう遠足なんて体験できないことはわかっている。けれど、どこかで見たことがあるような気がする夏の風景が、目の前に大きく広がっている。だから戻れない風景を想起させるいい湯だなのメロティーが聴こえてくると涙が浮かんで、ポップコーントーンで弾けた感情が大きな粒になり溢れ出てくるのです。
それらすべて、夏のデジャヴ。summer dejavuの世界なのです。
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といったあたりでファミえんの多幸感に関する考察はおしまいです。7割夢想ですが3割本気です。そして文章が長い。次回からはスパッと簡潔な下らないブログを目指します。
それでは。
・・・といったわけで、以上がファミえんってなんで楽しいのだろうかをぼくなりに読み解いた内容です。皆様の参考になりましたら幸いです。
それではそろそろ寝ますです。
おやすみなさいグー。