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(再掲)ソファと4ヵ月の沈黙と16年ごしに架けられた雨上がりの虹の話

(前書き)
本日、ぼく大好きなバンド・フジファブリックから活動を休止するという発表がありました。さびしいことではあるけれど、その活動と楽曲に感謝するとともに、フジファブリックのメンバー皆さんの未来が幸多いものであることを願います。

彼らの楽曲『虹』を私立恵比寿中学の真山りかさんがカバーしたときに感じたことを、勢いで書き連ねた過去の自分の駄文がありましたので、勢いでこちらのnoteに移植しておきます。
万が一フジファブリックのクラスタからこちらの記事に辿り着いた方がいらっしゃいましたら、駄文の極みであることを先に謝っておきます。彼らの歌がこんな風な届き方をしたのだな、といった感じに受け取って頂けましたら幸いです。

以下、2021年4月20日に別所にUPした記事となります。






週末 雨上がって 虹が空で曲がってる
グライダー乗って 飛んでみたいと考えている
調子に乗ってなんか 口笛を吹いたりしている

フジファブリック『虹』

これはフジファブリックの『虹』のうたい出し部分です。

前日に低気圧と前線が連れてきた雨雲は東の海上に抜け、頭上にはスッキリとした青空。歌詞のように週末ではなかったけれど、雨上がりの木曜日。総武線にのった僕は鼻歌なんぞかき鳴らしながら、真山りか生誕ソロライブ「まやまにあ-Level.5-」に参加するためお台場のzepp TOKYOへ向かったのでした。

このライブは生誕ソロと銘打ちながら、彼女の誕生日から4カ月遅れでの開催となったもの。本来の誕生日は12月16日。当初はスケジュール都合で1月開催とされた上、緊急事態宣言云々の影響でさらに4月にずれ込んだのです。
少し複雑な気持ちではあれど、無事開催にこぎつけられたことは幸せなこと。本来であればライブリポなどを綴るものですが、今回はライブの様子がネット配信されておりますし、ナタリーなどでも既に記事がUPされています。
だもので、細かいライブの様子などは置いといて、以下、今回の公演を見て僕のぼんやりと感じたこと考えたことをぼんやりだらりと記させて頂こうかと思います。長くなるので忙しい人は帰るといいですよ。

昼下がりのZeppTokyo。

会場に入ると、エビ中メンバのソロライブにしては珍しく、ステージ上にセットが配置されていました。ソファ、机、ペットボトル、間接照明。机上に「まやマグカップ」がある所を見ると、どうやらまやまさんのご自宅を模したセットであるご様子。
公演時刻を迎えるとともに、住人であるまやまさんが帰宅してきます。照明がバッと明るく点けられるのではなく、部屋は薄暗いまま。鍵を開ける音、そして靴音が大きく響きます。
この時点で、ひとまず世界観が理解できました。
エビ中の中で随一のアンニュイな世界観を持っているまやまさん。思った通り、ソファに座った後、ダウナーな音色に彩られた『曇天』が始まりました。ここから、きょうの彼女の世界が広がってゆくのです。


ここで話は急に飛ぶのですが。

『私たち私立恵比寿中学は全員ヨコ一列。』

これはサドンデスという曲の一節で、彼女らの関係性を説明する際に比較的よく使用されるフレーズです。同じ歩幅で歩んできて、楽しみも苦しみも一緒に喜びあい一緒に乗り切ってきた。エビ中はそんな関係性であると、彼女らは歌っています。

しかしよく考えてみると。数人がヨコ一列に並ぶと、必ず端っこの人が出てきてしまうのです。
もちろんこれは、歌詞の言葉尻を捉えた単なる揚げ足です。でも例えば関内デビルでのバイト中、まやまさんは自虐的にこう言いました。

「わたしは大体、端っこにいるから」

ライブ中の自己紹介のときなどは、確かに彼女は端っこにいます。でもそれはメンバーのその日の挨拶をしっかり聴いて、流れを崩さずMCや次曲へのフリに繋げるため。宣材写真などでも、確かに彼女は端っこにいます。でもこれは出席番号がいちばん小さいから、並び順的にそこのポジションにいるだけ。
そして実際のライブ中には、彼女は端っこに行ったりセンターに来たりします。だから、決して「端っこの人」ではないのです。
でも、ファミリーの多くは、端っこにいる彼女という絵面にだいぶ慣れてしまったのではないでしょうか。申し訳ないのですが、ぼくもそのひとりです。
だからこそ、年に一度だけ、彼女自身がプロデュースしたステージで、ずっと真ん中にいる彼女を見ていられるこの時間は、とてもスペシャルなものなのです。



話はまた飛びます。

公演中のMCで、彼女はコロナ禍のステイホーム期間中、他人と会えなくなったことの寂しさが想像以上に大きなものだったと語りました。
ぼくなどは普段は会社員なので、見通しが暗くなれどなんだかんだ仕事があって、それなりに生きていくことは出来ています。でも彼女らのいるエンタメ業界は、まず大きな打撃に直面させられる場所。ぼくら以上に、未来がどんより曇って見通せないような毎日を過ごしていたのだということは、想像に難くありません。

そんな中でもエビ中さんは、twitter動画やインスタライブなどを用い、自宅などからの配信企画を行うことで、ファミリーとの繋がりを保つ取り組みを行ってきていました。企画によっては、まやまさんは自宅のソファに座りながら、ファミリー皆さんと言葉のやりとりをしてくれました。そのソファの前の机には、ペットボトルやマグカップが置いてあって、間接照明が彼女の顔を柔らかに照らしていました。

「このステージ、実は真山のおうちなんです。Zepp Tokyoは真山のおうちなんですよ。」


公演の途中、生誕グッズのまやマグカップを手にしながら、彼女はドヤ顔でこんなことを言いました。
やはりこのステージセットは、まやまさんのお部屋だったのです。そしてステージの下の僕らのいる場所も、メゾン・ド・真山の同じ屋根の下なのです。なるほど、きょうは彼女の家で誕生パーティが行われているのだ。ぼくらはそこにお招き預かったものなのだ。勿体なさすぎて涙が出てくるくらい、ありあまる光栄の極みです。


「外出するのが難しい中でも、私とみんなの心はつながっているんだよ、という思いでライブをさせてもらっています」
彼女はまた、こんな言葉も告げられました。

勝手にお招きにあずかったのは僕らだけれど、他人と会えない時期を体験した彼女もまた、ぼくらを招きたかったのだろうなということも理解できました。ZeppTokyoに再現された彼女の部屋。いつも配信で目にする打ちっぱなしのコンクリの壁も、ステージの後ろにうっすらと見えていたような気すらしてきます。
アップテンポなテブラデスキーでみんな同時にペンライトを振り上げ、Shen-Shen Passion Nightで一緒にパラパラを踊って。アイルビーヒアでディーヴァっぷりに皆で心酔して、平日なのにライブに来た大人にチクリとやって、ステージに上がってきたギターの兄ちゃんには焼きそばパンを買いに行かせて。無言の筈なのにいつの間にかしっかり盛り上がっていました。


そして宴もたけなわとなった頃、その曲が始まりました。
ギターの兄ちゃんがリズミカルなカッティングに載せイントロのコードをかき鳴らし、数小節ごとに印象的なショートフレーズを入れてきます。間違いない。これはフジファブリックの『虹』だ。没後何年も経つのに、いまだすぐ志村正彦の詩と旋律が鮮明に頭の中で生き返ってきます。

週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
グライダーなんてよして 夢はサンダーバードで
ニュージャージーを越えて オゾンの穴を通り抜けたい

フジファブリック『虹』


曇天に覆われていたはずの部屋は、まやまさんとファミリーの笑顔っていう太陽のような煌めきに占められたためか、いつのまにか虹がかかっていたのです。ステージのライトがなないろに光って、メゾン・ド・真山を塗りつぶしていきます。

週末 雨上がって 虹が空で曲がってる
こんな日にはちょっと 遠くまで行きたくなる
缶コーヒー潰して 足をとうとう踏み出す

フジファブリック『虹』


この一年間、世界はどこかで千切れていました。年に一度の彼女の晴れ舞台も、千切れたまんまになるかもしれませんでした。
でも、彼女が楽しそうに歌うこの曲を聴いて、ヒトには少しずつでも道を繋げ前に進む力があるようだと、ぼくは再確認したのです。暗い世相を切り裂いてこの生誕祭が無事に開かれたことなんか、その証左の最たるものなのではないでしょうか。

そういえば推しの人を応援しているうちに、色々な人と繋がったものだ。近場の人も、遠方の人も、尊敬できる人も困った人も、若い人も人生の先輩も、本当に色々な人がいる。きょうも久しぶりに逢った知り合いとZeppの入口で「元気してたか?」なんて話をしたものだ。そう。きっと世界は千切れてなんかいない。


週末 雨上がって 虹が空で曲がってる
グライダー乗って 飛んでみたいと考えている
調子に乗ってなんか 口笛を吹いたりしている

フジファブリック『虹』



ここで、きょうの主役によって語られた「私とみんなは繋がっているんだよ」という言葉を反芻してみます。

きょうのライブでは勿論、いつもの配信を見ているときでも、彼女の部屋とぼくらのいる場所は、きっと繋がっていたのです。さながらそれは、空でキュッと曲がった虹の端っこと端っこが、どこかとどこかを繋げているようなもの。彼女とぼくらの間もそうであるし、ファミリー同士の繋がりとかもきっとそういうものであるに違いない。

そして、志村正彦の残したあの時の歌が、いまの彼女に繋がっているということにも気付かされました。彼の書いた歌は、時空を超えてちゃんと誰かと、どこかと繋がっている。彼女がそういう画を意識をしていたのかどうかはわからないけれど、やっぱり世界は千切れてなんかいない。楽しく万事を包み込むように歌う彼女を見て、ぼくはなんだか得難い安心感に包まれていくのでした。

志村正彦が描いた虹は、こうやって、どこかとどこかを、誰かと誰かを、そしてあの日とこの日を繋ぎ続けているのかもしれない。
そうして生まれ変わってゆく街にかかるたくさんの虹の上で、彼はあのコやあの人らといっしょに、笑顔で歌うまやまさんや僕らを微笑みながら見ているのかもしれない。きっと、いつものように無表情なままの笑顔で。

彼女がきょう歌った『虹』によって、この曲のひとつの解が降りてきた。この曲に出会ってから16年たって、不意に訪れた瞬間だった。これだからエンタメっていうのは素晴らしく、絶やすことのできない尊いものなのです。

真山りか生誕ソロライブ「まやまにあ-Level.5-」には、彼女がこの一年間で得た真剣で大きな想いがたくさん詰まっていました。そして楽しさの中にも伝えたいメッセージがしっかりと込められていて、それを現わすアイデアに満ちて、実現させる技術や情熱にも溢れていた素晴らしいものでした。






だいぶ遅くなりました。
生誕祭大好きマン・真山りかさん。お誕生日おめでとうございます。

世の中にはきっと端っこも中心も存在していなくって、
いつだってどこにいたって、
望めば正面から向き合える人がきっと存在する。
だからこれからも真山さんらしい場所から、
素敵な歌を聴かせてください。
HOT UPの際に叫んだ「全員幸せにするぞ!」という言葉に応えて、
きっと虹の向こうからあなたを幸せにする言葉が還ってきます。
あと7カ月になっちゃったけれど、素敵な24歳でいてください。




それではそろそろ寝ますです。
おやすみなさいグー。

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