強くなることと、素直であること。
私はもともと文章を書くことが好きだった。
小学校の時から感想文や作文はとても好きで、なぜ皆が嫌がるのかわからなかった。
私は文章の前では、自分の気持ちを素直に表現できた。
素直に書き綴るのは決していい感情や感想だけではなかった。
学べた良いことや明るい気持ちと同時に、真っ黒でとても弱い自分の中にうごめく感情を素直にぶつけて、作文用紙を埋めていく作業が本当に好きだった。
そしてそれが素直にできた文章は、先生も周りのみんなも褒めてくれた。
いつからだろう。
私の人生から文章が遠のいた。
SNSやブログなどが普及して誰しもがより手軽に文章を書き、不特定多数の人へ自分の書いた文章を公開できるようになった。
はじめは思いのまま楽しく書いていたSNSも段々会社の友人や先輩、取引先の人が増えて行く。
SNSに書いた内容が私の人となりとなり、相手に伝わる。
そのうち私は「真っ黒でとても弱い自分の中にうごめく感情を素直にぶつける」ということが、怖くなった。
何か悩み事やモヤモヤしたことがあっても、弱い自分を文章の中に吐き出すことはできず、なるべく「何とも思ってません」や「いろいろあったけどハッピーエンドでした」という誰にも心配をかけない強い自分しか表現できないようになっていった。
そんなことをして周りの人をごまかしながら、気付いたら私は「弱い自分」を私の中のどこか隅っこの見つけられないような場所へ追いやってしまったらしい。
自分の本当の気持ちを文章へ起こそうと思っても何も書けなくなっていたのだ。
私は前より、随分弱音を吐くことが少なくなった。
私はそれを「強くなった」と思っていた。
私は「弱い私」を無視していたのだ。
ずっと「弱い私」を虐げていたのだ。
こんな小さなことでいちいち感情的になるのは恥ずかしいと私は、私の弱さを隅っこへ追い詰めた。
本当はただ、「弱い私」に鈍感になって、見せかけだけ強くなっただけなのかもしれない。
そして見せかけの強さは、私の中の隅っこさえ弱さに許さないで出て行くように支配しようとする。
弱い私は、誰かを傷つけないための警笛を鳴らしてくれるかもしれないのに。
弱い私は、傷ついた誰かに寄り添うことができるかもしれないのに。
私はやっぱり文章を書きたい。
私はちゃんと自分の弱さも認めていきたい。
自分自身の思ったことを素直に表現して、忘れないようにするためにnoteを始める。
弱い私をきちんと認めるために。
素直な私であるために。
そして何より本当に強くなるために。
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