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「期待は依存」という考えをChatGPTと話してみた

「期待は依存」というのが私の持論。
つまり「期待って無責任だよな」って、ふと思うことがあるんです。

最近、ChatGPTと話していて改めて感じたのは、「期待するって、実は相手に自分を預けちゃってるんじゃないか?」ということ。
たとえば、好きなチームが勝ってほしいと願う時や、誰かに「連絡してきてほしいな」と思ってる時。
自分は何もできないのに、結果がどうなるかは相手次第。
だからこそ、期待って自分ではコントロールできない「無力感」から来る依存なんじゃないかって。

無力感と依存のつながり

ChatGPTと話していて面白かったのが、この「無力感」ってやつが、期待する時にすごく関係しているという点です。

自分ができることは何もないのに、ただただ相手に結果を委ねてしまう。
そして、もしそれがうまくいかなかったら、期待していた側は「なんでやってくれないんだ!」って責めたりもする。
これはもう、期待する側が無責任に相手に依存している状況ですよね。
けれど、期待を押し付けるだけで自分は何もしない。
そのくせ、結果がダメなら相手のせい。
これ、すごくアンフェアだと思いません?

期待される側のプレッシャー

一方で、期待される側に立つと、これもまた重たい話。
特に自己肯定感が低い人や承認欲求が強い人にとっては、期待に応えることで、「自分が認められている」と感じることがあるんじゃないかな。

期待されるのは嬉しいけれど、その分プレッシャーが半端ない。
その結果、もし期待に応えられなければ、自己評価がガタ落ちしてしまう。
だから期待に応えることがどんどんストレスになってしまうんです。

期待する側の裏には承認欲求?

さらに、期待する側も実は承認欲求を抱えているのかもしれないな、って気づきました。
自分ではできないことを他人にやってもらうことで、「自分の望みが叶った」という満足感を得たい。
つまり、期待するという行為自体が、実は自分のために相手に依存している行動なんじゃないかなと。
と、冒頭の持論と結びつきました。
これって、まさに期待する側が相手に依存しているということなんですね。

無視する?応える?それとも…

私自身、無責任な期待に対しては「聞かなかったふり」をすることもあります。(でも残念ながらそんなに自己肯定感は高くないので応えようとしてるかも)
一度応えてしまうと、その後もっと過度な要求が続くんじゃないかという可能性を考えます。

でも、すべての期待を無視することもできない。
特にビジネスの場では、期待に応えることが重要な部分を占めることもありますよね。
プロスポーツなんかはまさにその代表例。
ファンの期待に応えることでお金が回るビジネスですから、そこには期待と報酬がセットになっているわけです。

期待との付き合い方

結局、期待すること自体は人類が古代からずっとやってきたことで、簡単に解決できるものではないのかもしれません。

だから今もなお、人は誰かに期待する。

でも、少しでも無責任な期待を押し付けないようにしたり、自分自身が抱える無力感に向き合ったりすることで、より健全な人間関係を築けるんじゃないかなと、今回の対話で感じました。

ChatGPTを壁打ち相手に話してみるのはとてもおもしろいので、引き続きやってみようと思います。

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