『どうやったら○○できそう?』って問いかけ、どう思います?
会議とかで「どうやったら○○できそう?」って急に投げかけられること、ありませんか。
みんながシリアスな顔でそれぞれの顔の様子を窺っているあの間。
何かいい意見を出さなきゃみたいなプレッシャーを感じたことありません?もしくは誰かにプレッシャーを掛けていたり・・・。
こわいですよね。
未来に向けた問いかけの違和感
この「どうやったら?」の問いかけって、特に未来のことを考えるときに多ありがち。
「これからどうやって問題を解決する?」とか「どんなアプローチを取れば?」みたいに、まだ全貌が見えてないのに、すぐに答えを求められてる感じ。
いやいや、まだ未来の地図を描いている途中なのに、道案内しろって言われても困るな、って思うこと、ありません?
特に、これからの大きな問題に向き合っている時に、「どうやったら?」と早々に聞かれると、「まだ何も分かってないのに、今すぐ答えろって?」と感じることが多いんです。
少し慎重に考えなきゃいけない場面ほど、性急に答えを求められると、逆に焦りますよね。
「前提が揃ってないのに、どうやったら?」
そして、さらに問題なのが、前提が揃っていないまま「どうやったら?」が飛び出してくること。
たとえば、会議で未来に向けて話しているのに、みんなが同じゴールを見ているか確認せずに、答えだけを急かされる。
まるで、目的地が明確に定まってないのにもわからないまま「どうやったら早く着ける?」って聞かれてる感じです。
時間軸やゴールの解釈が人によって違うまま、「どうやったら?」って問いかけると、誰も同じ方向を向いてない。
誰かが「今すぐにでも解決しなきゃ!」と思っている一方で、別の人は「いや、もっとじっくりと時間をかけて持続可能な解決策を考えたい」と思っている。
そうすると、どれだけ話しても、結論がバラバラになっちゃうんです。
事に当たるに対しての温度差が違うことも。
未来を見据えた丁寧なプロセスが必要
だから、まずはプロセスを大事にすることが必要だと思うんです。
みんなが見ている方向性や時間軸、目的が一致しているかを確認してから、いよいよ「どうやったら?」という問いを考えた方が良い。
焦らずにまずは地図をしっかり描いてから、その道筋を探す方が、結果的にはスムーズに進むんじゃないかなって。
なので、次に「どうやったら?」って問いかけられたら、こう返してみるのはどうでしょう?
「まずは、みんな同じ地図持ってるよね?」って。ちょっと手を止めて、ちゃんと確認するところから始める。
意外と遠回りに見えて、これが近道だったりするのかも。