褒めるのは反射的に、話を聞くのは定期的に
新入社員の頃振り回されたホウレンソウ
「報連相(ほうれんそう)」をしっかりやりなさい。と言われた新入社員時代。
でもこれを実行すると、そんなことを一々言わなくてもいいよって対応をされたこともよくあったことが多い印象がある。まあ新入社員の頃の報連相なんてだいたい褒められるようなことを報告するなんて稀で、わかりきっているような内容を報告していたんだろうなと、今なら当時の先輩の気持ちがわかる気もする。
さかのぼって自分が小さい頃、もうあまり覚えてないんだけど、家庭での会話はだいたい自分発信だったと思う。「聞いて聞いて」って感じだったんじゃないのかな。まあホントに覚えてないんだけど、子どもなんてみんなそんな感じだという固定概念がある。
それが反抗期になると自分から発信するのを止めた。それは20代中盤くらいまで続いたような気がする。
それが社会人になって急に、相手の身になって話しかけろ(報連相しろ)っていうもんだから、小さい頃の自分発信癖が出たのかもしれない。
まあウザいよね、相手の話も聞こうとせず空気も読まない自分発信話ばかりしていたら引かれる。
最初から空気読んで報連相出来た人もいるんだろうな……。
上司になったら褒めろと言われる
家族であったり学校であったり会社であったり、色んな場面で主に教える立場にある人からの接し方で、よく聞いたことは「褒めなさい」ということだった。今まで空気を読むのを学びながら報連相してきたんだ。こんなの簡単じゃないか。
ところが褒めようとする前に一瞬考えて間が空いてしまう。変に言葉を選んだり、大げさな感じになってしまう。
褒めるって何だ。自分は今まで褒められたことあったっけ?
あった。
思い返してみると、小さい頃のこともわずかに覚えている。
学生の頃も。新入社員の頃も何気にふと褒められていた。
褒められたというか「お、それすごいな」ってくらい軽い感じ。
褒めるのは反射的に、話を聞くのは定期的に
褒めるときは自分がそうされたのと同じように、ただ素直にその時思ったことを口にして相手の反応はわざわざ見ない。ということを大事にしている。
あとは部下からの報連相を待つ事をせずに、定期的にこちらから話を聞く。
結局どちらにしても自分から動くことが大事で、変な話、相手のことは深く考えずにでもちゃんと見ているというのが、上司と部下、親と子、教師と生徒の関係でも一番いいんじゃないのかな。
というのが、今の自分の結論。
ある人たちの、ちょっと苦しそうな関係を見て考えてしまった。
自分なりに間接的に伝えたつもりだけど、うまくいくといいなという願いも込めて。
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