古い概念は捨てろ
また自民党厚労省の人たちが、宴会をしてて、見つかっちゃいましたね・・おじさんたち、どんだけ懇親会や、送別会をやりたいんだろう。たびたび、政治家の人たちは、夜の銀座に出かけて見つかって、「ごめんなさい」記者会見やっていたのに、どうしてまた同じことをやっちゃったんだろう。。そして、「断りにくかった」というのは、小学生クラスの「仲間はずれにされないための心境」に似ている。
若い人たちは、もう上司を飲みに行きたい、とかはない。昔のように「上司の話を聞かせてください」という輩はいない。少し前なら、そそくさを帰る若者を見て、「近頃の若者は!」とめくじらを立てていたかもしれないおじさんたちも、コロナで宴会自粛が重なり、そういう思いは吹っ飛んだ。
コロナ自粛で、「煙たい人間関係に飽き飽きしてたからちょうどよかった」という一般人の思いと、政治家の行動にはズレがある。飲食をしないと、埋まらない人間関係があるということなのだろうか?
そう考えると、飲食店の復活は、相当難しくなる。昔のような、大人数での宴会や、祝賀会・送別会や歓迎会は、コロナが終わっても、戻ってこない。でも、飲食店の人たちは、いつの日か、昔のように賑わいが戻ってくるかもしれないと夢見て、毎日店を開ける。飲食店の人たちは「自分達ばかりが犠牲者だ」と言いがちだけれど、そんなこともない。旅行業も、美容院も、治療院も、百貨店も、みんなが大変だ。飲食店はどうせ店を開けても、人が来ないのなら、他の方法を探るべきだと、強く思う。私なら、お店を開けながら、別の収入源を増やす方法をいくつでも思いつく。「時間短縮で大変なんです」と毎日言っていても、事が進まない。
また、いらない人間関係がなくなって、いらない感情もなくなる。まさに、前代未聞の人生の「断捨離」だ。
そのうち、アバターだけが存在し、自分の姿・形もなくなるだろう。自分は家にいながら、自分のアバターが飲み会に参加。聞きたくない話が始まったら、アプリから抜ければいい。会のはじめの「はじめの挨拶」とかいらない。聞きたい箇所だけ聞ければいいし、会いたくない人とは会わなくてもいい。飲み会に、嫌いなアバターが来ていたら、指で、削除しちゃえばいい。Youtubeも早送りして見る時代。ノロノロ、興味のない会に参加して、「自分に利益があるかないか」を、参加してみないとわからないという時代はとうに終わったと思う。
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