「サービスが成長すること」の代償
今日は、前々から思うところのある、「サービスが成長することの代償」について書きます。
今やLINE、Twitter、PayPayなどの様々なアプリが、毎日のように生活で使われています。アプリを開発する多くの企業にとっては、そのように自社のサービスがたくさんの人に使われるのは、喜ばしいことだと思います。
でも、当然ながらサービスが大きくなるにつれて、そのサービスがないと困る人が増えていきます。そのため、問題が起きた時に、その裏で大きな苦労をしている誰かがいます。
24時間365日、気を抜けない状況
僕は以前、24時間365日、日本中で利用される大きなサービスを担当していた経験があるのですが、そのサービスは、数秒でも止まると誰かが即座に困るというものでした。ゲームやコミュニケーション系ならまだいいのですが、これは直接お金が絡むもので。
当然、開発時やリリース前後は入念なテスト・検証を行うので、リリース後の障害はあまり発生しませんが、インフラも含め障害をゼロにするのは不可能ですし、時間が経ってから稀にしか発生しない問題が出ることもあります。
そのため、夜中に緊急の電話で起こされることもよくありました。寝ぼけた頭で、電話越しの情報から障害事象や影響を整理しながら復旧まで頑張るのはなかなかの苦行で、睡眠時間は減り、ストレスは溜まります。
それは休日であってもお構いなしですし、家族といても、連絡があれば無視するわけにもいきません。プライベートを中断してまで、夜中や休日に、開発メンバーやお客様と障害のやりとりをするのは、気持ちのよいものではありません。
もちろん仕事なので割り切ってやっていましたが、「これが大きなサービスの宿命なんだろうか?」ということはずっと疑問に思っていました。
サービスが成長した先にあるもの
で、最近はよく「サービスをいかに早くグロースさせるか?」みたいな話を目にしたり耳にしたりするようになり、その度にちょっとだけ頭によぎるんです。その成長の裏で、大変な苦労をしながら対応する人たちが生まれるのかな…、と。
以前、PayPayのサービスが割と長時間止まったときも、対応している人たちの苦労が思い浮かぶと同時に、裏ではTwitterで多くの人が罵声を浴びせていて、本当に世知辛い社会だな…と感じました。そのプレッシャーは半端ないと思います。
今PayPayの障害情報をチラ見してみても、月1〜2の頻度では発生しているようですし、その度に対応する人がいるのは、本当にご苦労さまだと思います。
感謝と許容の心を持って
ネットワークで多くの人が繋がるということは、必然的にどこかに偏りが生じるということなので、何かのサービスで大多数が便利になった反面、一部に負荷が集中するのは自然なことです。
もちろん理想的にはシステムで吸収するべきところです。でも、実際に経験したことがある人ならわかると思いますが、コストや物理制約上、それが及ばない部分もあるものです。となると、それをある程度許容した上で、軽減したり、分散したりするしかない。
だから、この便利な世界は、そうして頑張っている人がいるから成り立っていることを忘れないようにしたい。そして1ユーザーとしては、何かのサービスで問題があったとき、せめて自分1人でも、許容できる広い心を持ちたいなと。
そんな当たり前なようで多くの人ができていないことを、PayPayでアイスクリームを買いながら考えていました。