東京都の会見から感じた「一次情報が持つ力」
今日は、昨日の新型コロナウイルス感染者数急増に伴う東京都の会見を見て感じた、「一次情報が持つ大きな力」について書きます。
不透明な中での、自粛要請
会見の内容は「東京都で1日に41人感染」「今週末は不要不急の外出自粛を要請」という情報がメインで、あとは検討中、もしくは状況に応じて動きます、という感じ。
当然、今後どうなるかなんて誰にもわかりません。現状からも、感染者数が増え始めたというだけで、そこからどう広まるか、何か明確なことが導き出せるわけでもない。
そんな中、「自粛して」と言ったところで、自粛ムードを緩めてしまう人が出てくるのは想像がつきます。でも、きっと経済影響などを考慮すると、今はこうして要請するぐらいが精一杯なんだろうなというのは、素人目ですがしっくり来ました。
1人の人間が、現場で見た事実
特に目新しい情報がない中、数ある質疑応答の中で、1つだけこれは心に刺さるな…と感じたものがありました。それは、1人の専門家が語った、「現場で見た患者の容態」についてです。
その人は、(正確ではないですが)「数時間前まで普通に話していた患者が、一気に容態が悪化して、人工呼吸器が必要なほどにまで変わっていくのを目の前で見た」と語っていました。心からの「怖かった」という感想と共に。
僕もこれを聞くだけで「めちゃめちゃ怖いな…」と思いました。むしろこのコメントこそが、この会見で最も意味を持つ内容だったように感じました。
なぜならこのコメントだけが、集計・加工して整えられた情報ではなく、1人の人間が現場を見て感じた、曇りのない事実を表していたからです。
一次情報から伝わるもの
広い目を持ち、集計し、抽象化し、大枠を捉えて方向性を検討するのは大切です。目の前の具体的なものを見ていても、全体で何が起きているのかはわからない。「木を見て森を見ず」というやつ。
でもそれは、逆に現場との距離を遠ざけてしまう。二次的にまとめられた情報だけを見てなんとなく決めていくと、それが最適ではないことが後で判明する、といったことは、特にウォーターフォール型のシステム開発ではよくあります。まとめる過程で、削ぎ落とされる情報がたくさんあるからです。
僕の経験上も、ユーザーの実態を知らずに「本来どうあって欲しいか」とか「裏にどんな課題があり、なぜ解決されていないか」などを理解しないまま、つまり現場と距離を取った状態でシステムを設計しても、大抵は価値のあるものはできないと感じています。
それぐらい、現場の情報、いわゆる一次情報には具体性を持った大きな価値があり、それは現場の人にとっては最もイメージしやすい身近な情報です。
そういった意味で、感染者数や死亡者数といった数値よりも、会見で語られたその具体的な1ケースは、能動的な自粛を促すという点において、最も視聴者の心を動かす要素を含んでいたように思えました。たぶんニュースで主に使われるのは、小池都知事の映像だとは思いますが。
その1ケースは、重い持病持ちのケースかもしれないし、無闇に恐怖を煽りすぎるのも良くありません。ですが日本は今、気を抜けばイタリアなどに続いてしまう局面です。むしろ、その具体的な恐ろしさを浸透させるのもいいのかなと、個人的には思います。
さっき、早朝からローソンに集まるお爺さんたちを見て、そんなことを考えていました。