「相手の気持ちを完全に理解できる」という思い込み
今日は「相手の気持ち」について考えていることを書きます。
子供の頃、誰かを困らせたり傷つけてしまったときに「相手の気持ちを考えなさい」とか「相手の気持ちになってみなさい」と教わったことがある人は多いと思います。
確かに、相手の気持ちをちゃんと理解していれば、何のイザコザも起きず、皆ハッピーです。
でも、それってすごく難しい。他人の、つまり性格も能力も違えば、生まれも育ちも環境も違う人の気持ちを理解するわけなので。
極端な例で言えば、鼻毛が出ている友人に「鼻毛出てるよ」と指摘したとして、相手が「指摘してくれて助かった…!」と思うか、「わざわざ指摘するなよ恥ずかしい…」と思うかなんて、当然わかりません。
そんな場面で「自分だったら指摘してほしいから指摘してあげよう!」という論理だけで「君、鼻毛出てるよ」なんて伝えたら、期待していない結果を招きかねません。
思いがけない場面で怒る人もいる
鼻毛の話は相手がどちらで受け取っても違和感ないですが、普通に生活していても、人の気持ちなんて読めないんだなぁ…と強く思わされることはあります。
最近聞いて面白かったのは、ある機器のメンテナンスサービス業務をしている人の、お金の話。というかこのテーマを書こうと思ったのは、この話を聞いたのがきっかけなんですが。
ある機器の修理で、見積り時に顧客に伝えていた額よりも、修理代金が1000円下がったそうです。それを顧客に伝えたところ、「いやいや下げられちゃ困るよ!こっちはその金額で進めてるんだよ!!」とブチ切れられたといいます。
支払額が下がったのに怒るなんて、なかなか想像できません。めちゃめちゃお固い会社で、書類の修正が発生するのかもしれませんが、それでも驚きです。外国人が聞いたら唖然とする話でしょう。
それぐらい、相手の気持ちは読めないものです。有名なアドラー心理学なんかでも、相手の気持ちは「他者の課題」と表現され、「自分の課題」とは分離するべきだと言われています。
相手の気持ちは、相手次第
なので、相手の気持ちがわかることを前提とする「相手の気持ちを考えなさい」という伝え方は、大きな誤解を生む可能性があるなーと。「相手の気持ちは、考えればわかるはず」という思い込みが生まれかねないから。
確かにSNSなどでは、相手の気持ちや立場への想像力が欠けている人が目立っていますし、相手の求めているものを考えて動くことは、物事を進めたり人間関係を築く上ですごく大切です。
だから大きな方向性としては、「相手を理解する」に努めたり、促したりするほうがいい。これは確かだと思います。
ただ、それが必ずしも良い結果に繫がるわけではないと知っておくことも、大切なのではないかなと。その心構えがないと、相手の考えが自分の想像と違ったときに、ダメージを食らってしまうし、イザコザに発展することもある。
そういう意味では、「相手の気持ちは全部はわからないけど、少なくとも自分がされて嫌なことはしないようにしようね」ぐらいの伝え方がいいのかもしれません。
さっきコーヒーを飲みながら、そんなことを考えていました。