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ペットとして来てくれた家族

人に関わる動物と言えば、

犬や猫、ハムズターと言ったペット、
水族館や動物園の各種動物、
ショーのための猿やイルカ、シャチもあるでしょうし、
競馬、闘犬、闘鶏の戦うための動物もあるでしょう。

そこに、畜産まで含めてしまえば、それこそ限りは無いが、
今回、名前付けをしない動物は省いて考える。

名前を付けて、服を着せてとなると、
それなりに愛情もあると思う。

ペットなどは同じ屋根の下で一緒に生活していると
家族として捉えるかもしれないし、

家族とまでは思わなくても、
友達だと感じる場合もあるだろうし。

そんな人と動物の関係を鑑みていると
人と動物という関係以上の
友人というか、恋人というか、実は家族だったんじゃないか?
と言う面が見えることがある。

悲嘆療法

悲嘆療法という、ヒプノセラピー(催眠療法)のセッションがある。
悲嘆療法は、催眠を利用して潜在意識へアクセスし、
記憶の中にいる、亡くなった(もしくは行方不明となった)
身近だった存在の魂と会話し、
その存在に対する思い残しを解消しいき、
心理的に自分を自分で癒やしていくセッション。

その存在を思い出し、
その存在の感じていたこと、考えていたこと等を
会話しながら理解していく。

その存在からの言葉は、
悲嘆療法を受けている相談者の口から発せされる。

その存在の感じていたこと、考えていたことが、
相談者に声として消えているかもしれないし、
イメージとして見えているのかもしれない。
もしかして、なんとなく感じているだけかも。
人によってどうやって受け取るかはわからない。

そんな伝わってきたことを、相談者自身が口に出していく。

まだ説明出来る言葉になってない場合も、
自分の説明出来る言葉に翻訳して口に出したりしている。

自分の口から発した言葉を、
その存在からの言葉として自分で聞いていく。

自分の口から発していながら、この言葉って本当?
って思うかもしれない。
潜在意識と顕在意識のせめぎあい。

大事なのは、
頭で考えて正しいということよりも、腹落ち感。
お頃が喜んでいる方を選んでみる。

相談者自身が、主観的事実として認識していき、
思い残したことを解消し、
自分で自分の心を癒やしていく。

そして、次のステップへ向かっていく。

とても大事なことだと思っています。

ペットの気持ちと自分の気持ち

悲嘆療法を受けるとき、
亡くなった身近な人だけでは無く、
亡くなったペットの気持ちを知りたいと言われることがある。

「亡くなったとき、ツラくなかったのか。」
「自分は飼い主としてちゃんと関わっていられたのか。」
「自分のペットで幸せだったのか。」

知りたいことだけじゃなく、

「ありがとうと言いたい。」

と伝えたいこともある。

普段話すことが出来ない存在だからこその、
話すことが出来たらという想いが残る。

もし、話すことが出来たら、
どんなことを聞きたいだろうか?
どんなことを伝えたいだろうか?

そんな気持ちから、悲嘆療法を受ける方はいらっしゃいます。

ペットとして来てくれたのは?

悲嘆療法のセッションの中では、
飼い主とペットという言葉だけでは言い表せないような
深い関係を感じることがある。

セッション中、
亡くなった(もしくは行方不明になった)ペットの魂を呼んで、
話しをしていく。

聞きたいこと、話したいこと。
思う存分話していく。

その中で、

「なんで自分の所に来たの?」

と聞くと、

「生まれる前に約束してたから。」

そんな回答をする存在が居る。

「困ったら助けてやるよ。」
「ペットとしてそばにいるね。」

生まれる前からそばにいる約束をして、
そのために来ている存在。

近くに来たからと言って何か話してはくれない。
でも、すごい甘えてくれるかもしれない。
ただ、近くに一緒に居るだけかもしれない。
遠くから見ているだけかもしれない。

端から見ていると何気ない日常のひとこま。
何気ない日常を繰り返して居るだけだけど、
居なくなってから想うことがある。

想いが残っているペットには、
言葉で表すことが出来ない何かあるのかも。

もしかして、
今世の前の過去世(前世)では、
親子、兄弟姉妹、親友、恋人
という関係だったので、
放っておけなくて来ていたのかも。

そんな一面が垣間見られることも。

そんな存在に対して、感謝をして、自分の気持ちを整理していく。
そして、次へのステップへ向かう。

ペットとして来てくれた家族も
そういうことを願っていると思います。


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