【司馬遼太郎さんがゆく】~司馬さんの叶わなかった構想~
若い頃ー。大阪外国語学校(現在は、大阪大学外国語学部蒙古語学科)の学生だった、二十歳の司馬遼太郎さんには、ある「構想」があったそうです。
「人生の構想」、それは以下のものでした。
軍隊での体験、そして敗戦という熾烈な時代の流れにもまれ、司馬遼太郎さんの中で、自分が書くべきものが変わっていったのも、大きな要因のひとつだったのでしょう。
作家として初期は、「ペルシャの幻術師」などの伝奇小説を書いていましたが、やがで時代小説を経て歴史小説を書き始め、「竜馬がゆく」をはじめとする数々のベストセラーを世に送り出します。
戦後の高度成長期の時代は、司馬遼太郎さんに、歴史小説を書くことを求め続けたのかもしれません。
高度成長期とそのあとの停滞期、それは、日本経済の「坂の上の雲」の時代とその終焉期だったのかも知れません。
そして、バブルの時代に入る直前に、司馬遼太郎さんは小説を書くのを止めます。
『遊牧民と農民との「宿命的な争い」』。
時代は司馬遼太郎さんに「人生の構想」を返そうとはしませんでした。
日本人は、ひとりの偉大な歴史作家を得た代償に、ひとりの伝奇作家を失ったのかも知れません。
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