【司馬遼太郎さんがゆく】~司馬さんの叶わなかった構想~

若い頃ー。大阪外国語学校(現在は、大阪大学外国語学部蒙古語学科)の学生だった、二十歳の司馬遼太郎さんには、ある「構想」があったそうです。

「人生の構想」、それは以下のものでした。

モンゴルの草原と中国地域の境界にある日本領事館の下級職員になり、10年くらいしたら、遊牧民と農民との「宿命的な争い」を主題に小説を書くという「構想」だ。
 ところが、昭和18年(1943)10月に文科系学生・生徒の徴兵猶予停止が決定され、2か月後には学徒出陣となる。

没後20年司馬遼太郎の言葉 週刊朝日BOOKより

軍隊での体験、そして敗戦という熾烈な時代の流れにもまれ、司馬遼太郎さんの中で、自分が書くべきものが変わっていったのも、大きな要因のひとつだったのでしょう。

作家として初期は、「ペルシャの幻術師」などの伝奇小説を書いていましたが、やがで時代小説を経て歴史小説を書き始め、「竜馬がゆく」をはじめとする数々のベストセラーを世に送り出します。

戦後の高度成長期の時代は、司馬遼太郎さんに、歴史小説を書くことを求め続けたのかもしれません。
高度成長期とそのあとの停滞期、それは、日本経済の「坂の上の雲」の時代とその終焉期だったのかも知れません。

そして、バブルの時代に入る直前に、司馬遼太郎さんは小説を書くのを止めます。

『遊牧民と農民との「宿命的な争い」』。
時代は司馬遼太郎さんに「人生の構想」を返そうとはしませんでした。

日本人は、ひとりの偉大な歴史作家を得た代償に、ひとりの伝奇作家を失ったのかも知れません。





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