高須四兄弟
幕末を、ペリー来航から始まると仮定するのなら、維新はいつをもって終了とすればいいのでしょうか。
もし、維新三傑の木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通が亡くなった明治10年をもって維新の終了とするのであれば、以下にリンクを張っている高須四兄弟の写真には、なにか因縁めいたものを感じてしまいます。
美濃の高須藩の十代目藩主、松平 義建の子として生まれた四人の子のうち、二男は、徳川御三家筆頭の尾張藩の藩主、徳川 慶勝となります。
五男は、高須藩藩主となりますが、兄の徳川 慶勝が蟄居を命じられたため、跡を継ぎ尾張藩の藩主になり、その後、徳川慶喜が将軍になったため、一橋家の当主、徳川茂徳となります。
六男は会津藩藩主、松平容保となります。
七男は桑名藩藩主、松平定敬になります。
戊辰戦争では、敵に分かれた兄弟が、維新という時代の終わったあと、明治11年に再会した際に撮影されたものです。
当時の年齢よりもかなり老けて見えます(特に慶勝)。
幕末・維新に翻弄された兄弟たちの物語、いつか読んでみたいと思いました。
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