【司馬遼太郎さんがゆく】~鬼胎の時代~

1996年2月12日、司馬遼太郎さんが歴史上の人物となった日です。

今思うと、ボクは司馬遼太郎さんが文筆活動をしていた時代を、リアルタイムに生きていた世代の一人ですね。

ボクの父は司馬遼太郎さん(以下、司馬さんと記載)の小説が好きったのか、司馬さんの有名どころの長編小説をほとんど持っていました。
なので、ボクも中学生の頃から司馬さんの長編小説(「国盗り物語」や「坂の上の雲」等)を読んでいました。

しかし、肝心な点、すなわち司馬さんが、なぜ歴史小説・時代小説を書こうとしたのか、なぜこの人物を主人公にしたのか、などを、ボクは全く考えることもしなかったのです。

なぜ司馬さんは『坂の上の雲』以降の時代を描こうとしないのか?ということを考えなかったんですね。

そういう意味でボクは司馬さんの作品を表層的に、歴史小説・時代小説としてしか読んでなかったなぁと思うわけです。
 
千世さんの書かれたnoteは、ボクが持ちえなかった視点で司馬さんの小説・随筆を見た風景でした。

司馬さんの随筆、『この国のかたち』に出てくる言葉に『鬼胎』というものがあります。
そして同じ本のなかに『異胎』という言葉も出てきます。
この2つの発音の近い言葉は、同じ意味を表すとされながらも、司馬さんはなぜか、使い分けています。

なぜ使い分けているのだろう、という疑問も持たずそのまま読んでいたのですが、先日読んだ司馬さんの随筆にそのことが書かれていました。
以下に引用します。

なにか、お喋りします。
その前に、述べておかねばならないことは、昭和初年から太平洋戦争の終了までの日本は、ながい日本史の中で、過去とは不連続な、異端の時代だったことです。このことは、『この国のかたち』のなかで、”鬼胎” の時代と書きました。鬼胎とは自分では辞書にある公認語だと思ってい使いましたが、どうも辞書に見あたりません。日本史と言う生命の流れのなかで、宿るべきでない異胎が宿った、というつもりで、つい鬼胎という言葉をつかいました。造語は、よろしくありません。異胎と言いなおします。

『文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新』内の「人間の魅力」「文藝春秋」平成七年十月号より

平成七年は1995年ですので、司馬さんが亡くなられる半年前に書かれたものでしょうか。

それとも、それ以前に書かれた随筆を「文藝春秋」平成七年十月号に再録したものでしょうか。ボクは司馬氏の短編や随筆はさほど読んでいないので、その辺りはよくわかりません。

しかしながら、現在も『この国のかたち』(電子書籍版)には、『鬼胎』と『異胎』はそれぞれ使われています。
 
その後、司馬氏の気持ちが変わったのか、改めて調べたら『鬼胎』は公認語だと分かったからなのか、それはわかりません。

ただ、僕としては、『鬼胎』という文字があるところは、司馬氏の感情の高ぶりがあった足あとのようにも見え、あえて『異胎』に統一しなくてもと、思ってしまうのです
(ボクが言葉を大切にしない人間だからかも知れませんが^^;)

それに『鬼胎』という言葉の方が、より刺さるのです。
誰しも人は心の奥底に『鬼』が潜んでいるのかもしれません。
人は『鬼』を抑え込んで、人として生き、人として土に帰っていきます。

『鬼』を抑えきれなかった一部の国家指導者たちが誤った道を突き進んでしまった時代、それが『鬼胎の時代』だったのではないでしょうか。

そして、司馬さんは、『鬼胎の時代』の中で、生まれ、青春時代を過ごしています。

『鬼胎の時代』が再び来ないためにも、『鬼胎』という言葉は、司馬さんの随筆の中で、鋭利な刃物のように危うく煌めき続けて欲しいと思うのです。

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