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【司馬遼太郎さんがゆく】~司馬遼太郎と吉川英治~

司馬遼太郎さんは、時代小説、『梟の城』で第四十二回直木賞を受賞します。
その授賞式で、つかつかと司馬さんに歩み寄ったのは、『宮本武蔵』、『新・平家物語』などで有名な、戦前から国民的大衆作家として活躍していた大作家の吉川英治氏。
吉川英治氏は、直木賞の選者のひとりでもありました。

吉川英治氏は司馬さんに、
自分は若いころ、つまらぬものを書きすぎた。あなたもその轍を踏まないように
というような助言をしたそうです。

それに対して、司馬さんがどう答えたかはわかりませんが、なにしろ相手は戦前からの大作家。
苦笑を浮かべたか、当たり障りのない言葉で応えたか、ではないでしょうか。

記録では残っていませんが、実は『梟の城』の直木賞に、選者の吉川英治氏は反対していたのでした。

『梟の城』こそ直木賞にふさわしいと思っていた海音寺潮五郎氏は、選考会で、吉川英治氏とのやりとりを以下のように書いています。

”どうして先生がこの作品をお気に召さないか、ぼくにはわかりませんなあ。この人の作風は若い頃の先生を髣髴とさせますよ” とぼくが言うと、 ”だから、いやなんだ” と言った。
その気持ちはわからないことではなかったから、ぼくは苦笑して黙った。

吉川氏はなおこう言った。
”この人は才気がありすぎる。歴史の勉強が不足だ。もっと歴史を勉強しなければ "。
ぼくは心中、(先生よりはたしかですよ。勉強しているだけでなく、自分のものにしてますよ)と思ったが、それを言うわけには行かない。
 
いろいろとねばったが、落ちるのではないかとはらはらした。
しかし吉川氏以外には買っている人が多かったので、ついに当選ときまった。
いろいろな雑誌の小説の選者をしたり、直木賞の選者になってから十年にもなると思うが、こんなにうれしかったことはない

磯貝勝太郎著「司馬遼太郎の風音」

司馬さんの作風が若い頃の吉川英治先生を髣髴とさせるといわれ、 ”だから、いやなんだ” と吉川英治氏が認めるように言ったのが事実なら、吉川英治氏は、司馬氏にかっての若き日の自分を見ていたのかも知れないですね。



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