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【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪5~アメリカ教育使節団~[1839文字]

1945年(昭和20年)9月2日──
アメリカ戦艦『ミズーリ』号の甲板上で、日本政府を代表して重光葵外務大臣と大本営を代表して梅津美治郎参謀総長が、降伏文書に署名しました。

翌日、1945年(昭和20年)9月3日──
連合国軍最高司令官総司令部(以下GHQ)は、日本政府に対して、道路標識・駅名表示・公共施設などの看板に、少なくとも6インチ以上の文字を使用し、英語とローマ字の表記を行うことを命令します。

そして日本の社会全体に様々な改革が(GHQの指示に基づき)行われます。

1945年(昭和20年)11月12日──
この日の読売新聞朝刊に、『漢字を廢止せよ』という題で社説が掲載されました。

社説は、『民主主義の運営を円滑化するためには知識と知能を高める必要がある』『その基礎的な直接手段は言葉と文字である』と断言します。

続いて、『現在日本の常用文字たる漢字がいかにわが国民の発達を阻害しているか』
『いまこそ封建的な漢字に対して再批判を下す時がきたのである。』
『文化国家の建設も民主政治の確立も漢字の廃止と簡単な音標文字(ローマ字)の採用に基く国民知的水準の高揚によって促進されねばならぬ。街に氾濫する生かじりの英語学習よりもこの方がはるかに切実な問題である』
と主張します。
 
(『』内は読売新聞1945年11月12日 朝刊 社説より引用。
※新聞記事を拡大すると文字がつぶれしまい、一部文字を誤って転記している可能性があります。ご了承ください)

漢字は封建社会的なものとして断罪し、文化国家建設・民主政治の確立は漢字の廃止・ローマ字の採用によって促進されるべきと、社説は主張していました。

一方、GHQは日本のおける軍国主義教育を一掃するため、専門家を日本に派遣することをアメリカ本国に要請します。

1946年(昭和21年)3月6日・3月7日──
27名からなるアメリカ教育使節団(メンバーは大学学長・教授・教育行政官・教育学者・心理学者など)が来日し、3月末までの期間、調査研究活動を精力的に行います。

1946年(昭和21年)3月31日──
使節団は、マッカーサー元帥にアメリカ教育使節団報告書を提出します。
報告書内の『国語の改革』において、以下のように記されています。

われわれは、深い義務感から、そしてただそれのみから、日本の書き言葉の根本的改革を勧める。
(略)
書かれた形の日本語は、学習上の恐るべき障害である。日本語はおおむね漢字で書かれるが、その漢字を覚えることが生徒にとって過重な負担となっている。
(略)
国語改革の必要性は、日本ではかなり前から認められている。
すぐれた学者たちがこの問題に多大な注意を払っており、(略)現在では、約三十ほどの団体が、この問題に取り組んでいると報告されている。
 
おおざっぱに言うと、書き言葉の改革に対して三つの提案が討議されている。
第一のものは漢字の数を減らすことを要求する、
第二のものは漢字の全廃およびある形態の仮名の採用を要求する、
第三は、漢字・仮名を両方とも全廃し、ある形態のローマ字の採用を要求する。
これら三つの提案のうちどれを選ぶかは容易な問題ではない。
しかし歴史的事実、教育、言語分析の観点からみて、本使節団としては、いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、音標文字システムが採用されるべきであると信ずる。
(略)
本使節団の判断では仮名よりもローマ字のほうに利が多いと思われる。
さらに、ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つであろう。
ここに多くの困難が含まれていることもわかっている。
多くの日本人が躊躇する自然の気持ちもよくわかる。また提案された改革の重大さも自覚している。
しかしそれでも、あえてわれわれは、次のことを提案するのである。
(略)
いまこそ国語改革のこの記念すべき第一歩を踏み出す絶好の好機である。
おそらく、このような好機は、これからの何世代にもわたって二度と来ないかも知れない。
(略)
この世に永久の平和をもたらしたいと願う思慮深い人々は、男女を問わず、国家の孤立性と排他性の精神を支える言語的支柱をできる限り崩し去る必要があるものと自覚している。
ローマ字の採用は、国境を越えた知識や思想の伝達のために大きな貢献をすることだろう。

「アメリカ教育使節団報告書 全訳解説」 著:村井実より抜粋引用

アメリカ教育使節団は、ローマ字での日本語表記を提案したのでした。

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