[いだてん噺]モスクワへ(1414文字)
1926年(大正15年)7月21日ー。
絹枝たち三人(大阪赤十字社病院長の前田松苗院長とベルリンに留学に向かう早大建築科の今井謙次助教授が同行)は、モスクワに向かった。
モスクワへは、ハルピンから8日間の鉄道の旅になる。
絹枝たち三名は、列車での旅の間、まるで家族であるかのように親しんだという。
(また自伝では新進思想家の胡適氏と、ブロークンな英語で話しをするようになった、とも記されている)
体がなまるのを恐れて、絹枝は駅ごとに列車が停車すると必ずジョギングをしたという。
モスクワへの旅路のヒトコマではあるが、早大建築科の今井謙次助教授とは、ふたりでレールに沿って走ったこともあったという。
絹枝の自伝には旅の情景が綴られている。
もっとも、この列車の旅は決して設備が整えられた快適なものとは言えなかった。
七月二十九日午後二時。絹枝たち一行は8日間の旅を終えて、モスクワに到着する。
駅に迎えに来たのは、大阪毎日新聞社モスコー特派員、黒田乙吉夫妻だった。
黒田乙吉は絹枝のマネージャーとして、モスクワからスウェーデンまで同行することになっていた。
同行していた大阪赤十字社病院長の前田松苗院長、ベルリンに留学に向かう早大建築科の今井謙次助教授とは、モスクワ駅で別れることになる。
絹枝はこの時、今井謙次助教授に歌を二首送っている。
(敬称略)
■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』 三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』 鈴木明:著
●『オリンピック全大会』 武田薫:著
●『陸上競技百年』 織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia