[いだてん噺]モスクワへ(1414文字)

 1926年(大正15年)7月21日ー。
 絹枝たち三人(大阪赤十字社病院長の前田松苗院長とベルリンに留学に向かう早大建築科の今井謙次助教授が同行)は、モスクワに向かった。
 モスクワへは、ハルピンから8日間の鉄道の旅になる。

 絹枝たち三名は、列車での旅の間、まるで家族であるかのように親しんだという。
  (また自伝では新進思想家の胡適氏と、ブロークンな英語で話しをするようになった、とも記されている)
 
 体がなまるのを恐れて、絹枝は駅ごとに列車が停車すると必ずジョギングをしたという。

 駅毎に散歩を欠かさずにうやる。長い汽車の旅にハルピンで作った体のコンディションを損なわぬようにと、気になって仕方がない。
 車中の淋しいままにトランプがしきりにすすむ。
 駅毎のウォーキングは決して欠かさずにする。体が硬ばってくるように思える。

 モスクワへの旅路のヒトコマではあるが、早大建築科の今井謙次助教授とは、ふたりでレールに沿って走ったこともあったという。

 絹枝の自伝には旅の情景が綴られている。

 
バイカル湖が朝の九時から約七時間ばかり車窓に沿って走る。大きなものだ‥‥とつくづく感心。ハルピンから約三時間差が出来た。
 
 白樺の林、落葉樹の森、ロシア娘の頭巾姿、農民のポーズ、すべて絵であり、詩である。ああ雄大なシベリアよ、無限の広野よ‥‥。
 地平線の彼方から満月が浮かび上がる‥‥。
 ウラル山にさしかかる。
 [略]
 落葉松に囲まれた沼のほとりに建てられた家屋から、誰が奏でるのかバイオリンの音が流れて来る。淋しい。
 
 昼過ぎピヤトカ駅につく。白樺細工で有名なところだ。何もかも買いたいものばかりで、可愛らしい小箱などを求めた。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著よち

 もっとも、この列車の旅は決して設備が整えられた快適なものとは言えなかった。

 八日間も風呂に浸らないために、体がいやに汚いような気がして、ベッドに入るのがいやになる。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著より

 七月二十九日午後二時。絹枝たち一行は8日間の旅を終えて、モスクワに到着する。
 駅に迎えに来たのは、大阪毎日新聞社モスコー特派員、黒田乙吉夫妻だった。
 黒田乙吉は絹枝のマネージャーとして、モスクワからスウェーデンまで同行することになっていた。

 同行していた大阪赤十字社病院長の前田松苗院長、ベルリンに留学に向かう早大建築科の今井謙次助教授とは、モスクワ駅で別れることになる。

 絹枝はこの時、今井謙次助教授に歌を二首送っている。

 君のゆく欧路の旅幸あれと 我は祈れり今日の別れに
 シベリアの広野の旅に睦びたる えにしも深き思いでならん

『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著より

 (敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦

●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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