誰かの話を聞くのがおもしろいのは、「共感」しようとしないから
ひとの話を聞くことが、割と好きです。
「よくそんな話にずっと付き合えるね」と言われたことが何回かあります。
オフィスで出先から同僚が文句(グチ?)の電話をかけてきて、気づいたら20分以上、たいして好きでもないその同僚相手に
「そうなんですか?」「ふーんそうなんですねえ」
とやっていたようで(早く切って仕事した方がいいですね)、どうやら人一倍、「忍耐強く」グチを聞いているように見えたようです。
でも、私は決していやいや我慢して聞いていたわけではなく、
(この人、こんなこと考えてたんだ!)(あー、あのことを知らないから、こんなこと言ってるんだな)と、おもしろく聞いていたのです。
性格が悪い?かもしれませんが、人が話してくれる、というのはその人の頭の中を出して見せてくれる、ということ。
おもしろくないですか?
自分に近い相手であれば「めっちゃわかるー!」と共感して楽しくなりますし、全然タイプの違う人であれば「へえ、どういう思考回路してんの?」(悪口ではなく)好奇心が顔を出します。なんだったら、結構イライラする相手でも(どんな思考回路してんだ!)と怒りながらも、理由を探ったり、背景を考えたりして分析してしまいます。
こんな人もいるんだな、と分かる面白さが会話にはありますよね。
人が好きなのかもしれません。
ただ、人が好きだからといって話を聞いている相手に
「共感しよう」と思って話を聞いている
ことはありません。
共感するかどうかは、話を聞いてからじゃないとわかりませんよね。
共感する話なのかどうか最後まで分からない、と思って聞いているから、相手をずっとみてるし、面白いのかも知れません。
明日はもうちょっとこのことについて、書こうと思います。
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