左翼老人 02 嘘つきには安保問題質問が有効です
202頁
嘘つき とは、昔の左翼が、ソ連、中国、朝鮮を理想の国と言っていたのに対し、現在の左翼が、それを言えなくなったため、左翼であることを隠し、リベラリストを名乗っているという意味での嘘つきです。
森口さんは、こう詰め寄ります。
もしかすると身近な左翼老人もヌケヌケと「俺はそもそも左翼じゃない。もちろん、ソ連や中国や北朝鮮など理想とはしていなかった。あくまで、私たちは日本を平和にしたいだけだったんだ。そのために安保条約の破棄を目指して運動していたんだ」と言い張るかもしれません。
そんなときに最も有効な一手は「ところであなたがデモまでして廃案を目指した安全保障条約は何条で創られていた条約なのでしょうか」という質問をしてください。
(中略)
周りにこのタイプの左翼が大勢いる方は是非試してみてください。私は、東京都庁に入庁して間もない頃、団塊世代の方が組合の幹部に大勢いて、若い頃から左翼だったのを自慢気に語る方が少なくなかったので、この質問を遊びにしていました。なぜ、遊びとして成立するかと言えば、誰も答えられないからです。
答えは、旧安全保障条約は5条。新安全保障条約は10条だそうです。
森口さんの文章は、こう続きます。203頁
条文数さえ知らないのですから、彼らは安全保障条約の中身など全く知りません。これを都庁に入って知って以降、その年齢の左翼をバカにするのが私の趣味になりました。もちろん、最初からバカにしてはいけません。最初に、安全保障条約を支持する自分とは立場は違うが、積極的な活動はすばらしいと褒めた上で条約数を聞き、何も知らずにデモだけやっていた姿も明確にすることで、とことん恥をかかせることができるのです。
70頁で、森口さんは、こう言っています。
私は、正直に言って60年安保はバカ丸出しだと確信しています。これは旧安全保障条約(1951年)を新安全保障条約に差し替えることを反対した政治運動でした。なぜ、私この政治運動をバカ丸出しと評価するのか。それを理解していただくために、両方の条約全文を参考資料として巻末に掲載しておきます。
1か所取り上げて説明しますと、旧安保条約の第一条は、「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」という言い方だったのですが、新安保条約の第五条は、「いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」となって、お互いに守らなければならないことになったのです。
安保反対運動は、改定に反対というよりは、安保自体に反対という運動だったのだと思いますが、現在の私たちは、安保は必要だと考えています。安保反対運動は、日本が安保条約で守られることに反対する共産主義者によって扇動されたということではないでしょうか。
60年安保に、21歳で参加した人は、2024年には85歳です。70年安保に21-23歳で参加した団塊の世代は、75-77歳です。もし、身近に、こういう年齢の老人がいたら、安保反対のデモに参加したの? 安全保障条約のどこに反対したの?と聞いてみてください。
さて、確信犯的左翼老人は、どこにいるでしょうか。
本書の第1章 左翼思想という名の「利権」 では、左翼を利権にした政治家・弁護士、中国に魂を売った経済人、リベラルを詐称する左翼学者があげられていますので、これらについては、項を改めて紹介します。
本書の第2章 イタい左翼自慢老人 で、デモ自慢をする確信犯的左翼老人と、日本の教養が創った左翼老人 があげられています。
ここでは、このデモ自慢する確信犯的左翼老人 をとりあげます。56頁
最初は、安保デモに出かけていた方々です。団塊世代(1947~1949年生まれ)で左翼的な方と言えば、何よりもこのタイプを思い出すかもしれませんが、意外と「左翼老人」の中では少数派かもしれません。
確かに、戦後の一時期、大学に進学した人たちが共産主義に見せられた時代がありました。団塊世代が有名ですが、それだけではありません。1945年の敗戦時に少年だった焼け跡世代から団塊世代までの全時代がそうでした。
(中略)
彼らの中で資質と経済力に恵まれた者は高等教育を受けましたが、戦争直後、保守的・愛国的な教育をしていた学者の多くが「戦争協力者」として大学その他の学校から追放され、それとともに共産主義者たちが大学教育に入り込み、当時の若者たちを洗脳していきました。そのため、現在の老人世代で大学に進学した人はほとんどが「左翼」の洗礼を受けたといっても過言ではありません。
しかし、この時代、大学に進学した人は少なかったので、多数派とはなりませんでした。
1940年の終戦時に、少年だった焼け跡世代の人たちは、戦後の混乱時代を生き抜かねばならなかったために、大人や政府に対して強烈な憎悪や嫌悪感を抱いたそうです。
そういう若者たちを左翼に取り込む装置として働いたのは、当時人気だった「歌声喫茶」「うたごえ運動」「左翼演劇」などでした。
真面目な大学生は講義により、不真面目な大学生や高等教育を受けていない若者たちは芝居や音楽を通じて左翼になっていったのがこの時代の特徴なのだそうです。
つづく
もどる