推し再考:DINOという「主人公」
推しに「執着」がない
ここ最近ずっと考えていた。
私のタイムラインのみなさんは、それぞれに推しを本当に愛してらっしゃる。彼はどんな人だろう、何をするのが好き、好きな映画は、お昼ご飯は何食べた、いつも何考えてるの、どんな風に世界を見ているの、、、
それもそうだ、ここの人にとって「推し」とは自分の心血を捧げても構わないと思う人の事だもの。一生をかけても構わないと思うほど愛する人をなら、同じ目線を持ちたいと思うはずだ。
その姿を見るたびに私はふと我に帰る。私はディノさんを推しているし、好きだし、応援したい。でも、その全てを知りたい、と思うほどの「執着」は持っていない。
でも「推し」はディノ以外考えられない
考える度に罪悪感があった。もしかして私は、そこまで彼が好きでは無いのか?他のメンバーの方が好きなのか?
ハオさんの思慮深さを心から尊敬してる、でもホシくんやウジさんの放つ眩しい唯一無二の光にも焦がれる、ハニさんのゆったりした眼差しは安心するし、ミンギュさんの溢れるパワーは勇気をくれる、、、つまるところみんな大好きで決められない。そもそも私は根っからのオルペンで、心苦しくも1人を選ばねばならないということでディノさんを選んだのであった。
はて、そこでなぜ彼を選んだのだったか?しかし、改めて他の推しを考えてみてもなんだかしっくり来ないことは分かった。やはり戻ってくるのはディノさんである。どうして彼なんだろう。そもそもなぜ私はSEVENTEENを好きになったのだろう?
SEVENTEENという「物語」のファンであること
私がSEVENTEENにハマった決定打は間違いなくゴセである。その前から楽曲も聞いていて、とても好きだったこともあるが、そんな美しい音楽を奏でる彼らの世界に惹かれたのだ。そして調べていくうちにここまで彼らが歩んだ道のりを知り、今ここにSEVENTEENがいること、これからSEVENTEENとしていられることが当たり前でないと知った。
この「物語」を見たい。奇跡のようにここまで歩んできた彼らが、この先どんな未来を歩いていくのか。そのやがて訪れる結末はまだ誰にも分からないけれど、ここで去ればきっと後悔する。そう強く感じた直感が、私をこの船に乗せたのだ。
SEVENTEENという「物語」の主人公
もしSEVENTEENをスポ根漫画として描くなら、主人公はホシくんだろう。情熱と身一つで運命を切り開く、ジャンプの王道のようなストーリー。少女マンガにするならぶーちゃんがいいかも。悩みながら、でも優しい仲間達と一生に一歩ずつ歩んでゆく。救いの物語にするなら、ウォヌさんが来るかもしれない。でもブソクスン3人集まればギャグ漫画になってしまうだろう。
じゃあ「SEVENTEEN」というそのものを物語として紡ぐなら、主人公はディノさんなのではないだろうか。RPGのゲームの主人公を想像して欲しい。ワクワクが広がる世界を自分自身と共に冒険する時、自らの視点を預ける相棒にふさわしいのは、「まっさらな人」なのではないだろうか。抜群のアイドルスキルと勇気と優しさ、そして目指すべき夢を持っているけど、その他はまるで真っ白な紙のようにシンプルで、そこがまた愛おしいディノさん。まるで何かの物語のためだけに存在しているような、だからこそ一番グループの姿を反映する存在だと思うのだ。
私はSEVENTEENという物語を追うにあたって、「DINO」という主人公にその視点を預けることにした。私達は時に笑い、泣き、そして行き詰まることもある。そんな時は彼自身の信念で満ちを切り開き、プレイヤーをその先へと連れていってくれる。もちろんSEVENTEENの物語を進めるのは私ではなくディノさんなのだが、案外それはRPGと似通ってもいる。RPGというゲームは自分で主人公を操作して物語を進めているようで、本当は主人公に手を引かれて物語を駆け抜けているだけなのだ。
私は彼らが紡ぐSEVENTEENという物語の一端に参加することを決めた。その物語の視点としてディノさんを選んだのは、多分サトシの相棒がピカチュウであるのと同じ必然があるように私には思える。
ネタバレは一切無し、予測不可能なままに勢いを増して広がっていくSEVENTEENの物語、次はどこへ向かうのだろうか。期待と不安を乗り越えたその先にあるエンディングを迎えるのは、寂しいだろうけど同時に晴れやかなはずだ。その日まで、どうかよろしくね、DINO。