ネタバレ注意!!!君たちはどう生きるか を見て考えた
初めに大変つまらないが、私の昔話を聞いて欲しい。
私の実家は田舎の古い家で、眞人さん家のように大きくも裕福でもないが、山奥にあって独特の気味悪さを持っていた。
父は眞人さんの父のように男性特有の勢いと自信に溢れる荒くれで、母は内気で捻くれ者。
4歳のある夜、父を拒絶して寝室に閉じこもる母に嫌気がさした父は、そのまま家を飛び出してしまった。残された朝、布団にこもったままの母を置いて朝露に濡れる庭を見ながら、世界が変わってしまったことを悟り、自分で生きていかねばならないと覚悟を決めた。
それから私は癇癪を起こす母と、それを心配そうに伺う父方の祖父母、土日だけひょっこり顔を見に来る父と、長い長い子供時代の泥沼を歩いてきた。あの家に母の味方は私しかいないが、同時に母は私に悪意をむき出しにして癇癪もぶつける。私を拒絶して暗い寝室に布団を被ってとじこもる母は、まるで映画の産屋の夏子のよう。入ってくるなと金切り声を浴びせられつつ寝室に向き合う時、私は母への悪意と向き合い、父を恨んだ。そしてまた、両親へ悪意を向ける「タブー」を犯す自分にも強い悪意を抱き、責めた。
悪意の渦から抜けたのは中学生を過ぎてから。
大人になって、親の「子」では無くなったからだ。
宮崎監督は自らの親に悪意を向けたことがあるのだろうか。
眞人さんはずっと、自分に巣食う悪意と、それを許さない正義の矛盾を抱えて戦っている。母にそっくりだが決して母では無い夏子は、すっかり父の妻の位置に落ち着き、父は母をすっかり忘れたように生々しいやり取りをのぞかせる。学校へ行けば悪意を一身に受ける。眞人さんは自分が悪意を集めるに足る理不尽な格差があることを認識しているが、同時にその格差の恩恵に甘んじていることも分かっているし、そんな自分にも悪意を感じている。青鷺は気味悪く、キリコさんは意地汚い。やがて悪意にまとわりつかれた彼は、混乱する大戦前夜の世界の写鏡のような混沌の世界に誘われていく。
鏡の世界は現実と多少定義が違う。キリコさんは若くてたくましく、焼かれたはずの母は火を取り込んでいて、鳥は命を狙う恐ろしい生き物だ。眞人さんやキリコさんは襲い来る鳥に悪意を向けるが、ペリカン達だって好きで命を食らっていないし、インコ達だってよく見れば真面目に生きている。誰1人悪者ではない、ただ立場が相容れないだけだ。立場が違う以上は悪意を向け合うしかない、それは現実と同じ。はち切れんばかりに膨張するインコ達の帝国はまるきり2次大戦中の日本社会の雰囲気だ。宮崎監督達はこんな様子を何度も見てきたのだろうか。
大おじい様はきっとそんな世界に疲れたのだろう。自分の手の中で世界を作れば、悪意だって手の中に収まる規模でしか膨れない。でも眞人さんは悪意渦巻く世界に帰り、向き合うことにした。意地悪なサギを理解して友達になり、母と共に夏子さんの悪意を受け止めた。自分の悪意と向き合って生きることが、眞人さんと宮崎監督の選んだ生き方だった訳だ。
親元を離れてからのこの4年は、私にとってこれまでの親への悪意の精算期間だった。気の置けない友人に洗いざらい生い立ちを吐き出して、人の目をも通して見つめると、父と母の言い分や幼い私に向けられてきた感情の渦も理解できなくもないように思えた(でもあれは虐待だぜ…)。それでも当時を思い出せば、こんな風に2000字に迫るエッセイをかけるくらいには感情のエネルギーに飲み込まれる。宮崎監督はこのエネルギーを最後に作品に昇華することにしたのだろう。ちょうど同じことを2年前、弟子の庵野監督もシンエヴァやっていたな。
身を焼くような悪意の渦と、どう生きていこうか。とりあえず、宮崎監督も、庵野監督も、おめでとう。ありがとう。
ワイも頑張ろ
読んでくれた方、長文なのにありがと!
大好き
追記
にしても作画やっっっっべぇな!!!脳汁が!!!止まらねぇ〜!!!!!
さすが本田雄を作監に引っ張ってきただけはある…初っ端の火事の震える群衆、階段をかける動き、夏子さんはもちろんモブすら着物独特の歩き方がしっかり拾って書かれてて、えぐいえぐい!!
絵描きはもう絵だけ見に行ってもキマるぜ!!!絵コンテ集ぜって〜買お!!