私的な論理を積み立てる愉しみの小説というサブタイプ(保坂和志『こことよそ』/第44回川端康成文学賞)
生きる歓び。それは生/死のなかで遭遇し、あるいは遭遇しなかったあらゆる出来事を根拠もなくただそれが「そうであること」を根拠に愛し、愉しみ、局所的な帰結を着想し、普遍的なものとして拡大し、記述し、それを未来への持続の前提とすることで、すべての時制における出来事の荒唐無稽な接続を興味深く感じ続けることである。
年末の中央公論新社からの谷崎潤一郎についての原稿依頼を契機に〈私〉は「暗い青春三部作」を思い出す。谷崎潤一郎『異端者たちの悲しみ』、坂口安吾『暗い青春・魔の退屈』、尾辻克彦(赤瀬川原平)『雪野』を〈私〉が個人的に接続し、長きにわたって呼称してきたものである。谷崎について月報を書く六十歳の〈私〉が『異端者たちの悲しみ』を幾度か読んだ二十代を思い出し、二十代と六十代を有機的に接続しながら行き来して記述し、記述する身体についても書いていく。
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