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【全文公開】家がなくなる展「ディアスポラ前夜」で壁に何が書かれていたのか

再開発により取り壊しの決まった我が家を会場に、明け渡し直前の4日間、展示を行いました。短い会期であったため、ご都合がつかず、お越しになれなかった方、当日読んだけれどあらためて活字で読みたい方向けに、全文を公開いたします。

個人情報に繋がる記載があるため有料マガジンの一部としておりますが、ご購入いただくと明け渡しの経緯や不動産業者との交渉内容等もお楽しみいただけます。

この家に引っ越してきたのは、2020年の7月のことだった。Covid-19の感染拡大を防ぐために始まったテレワークは、ぎりぎりまで近づきすぎることで崩壊寸前だった家庭環境にとどめを刺すのに十分なくらい、各人の家庭への滞在時間を伸ばした。物件を3日程度で探し、内見時に申し込みを行い、半ば逃げ出すように引っ越してきたのがこの家だった。「ディアスポラ」の強烈なイメージが合ったことを覚えている。同じ敷地には大家、小島荘の住民、リバーサイドハイムの住人が住んでいた。「A棟」と名付けられたこの家自体が載っている地図がほとんどなく、区役所の職員が様々な会社から出版された様々な年代の地図をめくってかろうじて見つけた名前が「A棟」というものだった。このA棟の前には庭があり、春夏は金柑を、秋冬は柿を楽しむことができる。冬は柿を食べに来た鳥たちの声で目が覚めるし、夏には哲学堂公園のミンミンゼミの声が聞こえる。厳しい冬をこえる頃には、庭へハンモックで漕ぎ出るのにちょうどよくなる。シーシャを吸うことだってできるし、ジャグリングだってできる。洗濯物を干していると、気持ちのいい風が吹き抜けて、毎日やってくる家事の気だるさをまぎらわしてくれる。大家さんが餌を置いていた頃は猫がやって来ていたが、柿の季節にはハクビシンがやってくる。猫が敷地の中で餌を食べることがなくなっても、隣家の屋根、ブロック塀、我が家の庭は彼らの定番の散歩道らしい。

この家では秘密基地のような日々を過ごした。カーテンはマリメッコで布を買ってきて自作したものだし、やけにたくさんあるカーテンレールは洗濯物の格好の干場になった。クローゼットは玄関の対局にあるので、カーテンレールが実質のクローゼットとなる。極小キッチンでほぼ毎日3食自炊をし、海外の料理やスパイスカレー、名前のない家庭料理をよく作った。新しく増やした家具は「ジモティー」でもらって来たもので、東京のひとり暮らしをやめるときにはすべて譲るつもりだ。利用者の少ない公共交通機関を渡り歩いて家具を運ぶ体験は興味深かった。

「ステイホーム」と名付けられた家の外に出ない生活と、この家の相性は抜群だった。毎日の稼業とジャグリングのある生活をしているだけでも、生活の質感がしっかりと伴い、定型的な毎日に対する生活の圧倒的な質感は《潜在性のけもの》という作品にもつながった。
くさび
そんな我が家も、2020年の4月に取り壊される。当初の予定では2020年の6月末までに退去という話だったのだが、地上げ屋が売却益を元手に別の土地を買うため2020年3月末に退去するまであらゆる嫌がらせが行われた。
共用部の電気は止められ、洗濯機を回すことはできず、給湯器も壊され、湯船に入れず冷水で洗い物をする環境で冬の終わりを待たなければならなかった。そして毎日、地上げ屋が家やジャグリングを練習している公園に押しかけてくる始末だった。
給湯器が壊され、替えの給湯器も入手できないという状況で地上げ屋の代表から放たれた「3月末までに立ち退かないと何するかわからないよ」という脅迫が決め手となって3月末の退去が決まった。


地上げした土地を買い、それを担保に借金を

し、さらに高値の土地を地上げして買い、さらにそれも担保にしてまた借金するというスパイラルを、新自由主義において加速するため、4月~6月という庭遊びのオンシーズンを楽しむ機会は失われたのだ。

この物件の取り壊しについて、「広いお庭がなくなって、密な建売住宅になると寂しい」という声が聞かれるように、近隣の地域では建売住宅やアパート・マンションを増やす方向で再開発が行われている。

東京都政策企画局の「2060 年までの東京の推計」によると、東京の人口は、今後しばらくは増加を続けるが、2025 年のをピークに減少に転じる予測だ。

出生者数の減少と高齢者死亡数の増加は、自然増減、社会増減、どちらをとっても人口減少の材料としては十分だろう。
人口が減少することが予想される状況下で、敷地あたりの居住者数を大きくする方向で開発が行われ、その用地確保にかかる立ち退き要求の方法は迷惑行為に依拠しているという、様々なレイヤーにおける生活様式の破壊がそこにはある。

そして実際に人口が減少した街に住むことになるのは、近隣に空室や空き家があるのに狭い部屋での生活を強いられる人々だろう。
2階建ての家屋をいくつか接続したような「テラスハウス」では高齢者が2階に上がることができず、物件のキャパシティの半分の広さでの生活を強いられている。
状況に則さない無理な住宅開発が、生活の質の潜在性を大きく奪っている状況だ。人口減少を目前に、

最後の投資機会に駆け込むような狭小住宅の開発ラッシュのなか、この広々とした家と庭の余白のある敷地は更地になる。近隣で開発を免れていた貴重な場所のひとつであったことは確かだ。壊れつつある新自由主義の最後の焦燥が、我が家に入植してくる。ディアスポラがはじまる。


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