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こわれる、一歩手前だ。

社会の”正解”の枠に、わたしは生涯収まらないだろう

心中に湧いてくる単語一つ一つを並べてもわたしの気持ちを表現するには不十分。
自身の混沌とグレー味がかった感傷に、誰が触ってくれるだろう。

「しょうがない」と思うたびに心のもやは深まっていく。
諦めなければ生きていけないのだと、突きつけられているように。
そして今日も「しょうがない」と浅くため息をつくことになる。

感情を殺していくと次第に持っていた感情が薄れていく。
感情に抑制なんて、しない方がいいに決まっている。

早く言葉を探さなくては、
あの子の眩しさに負けてしまう。

社会の箱に囚われてうまく笑えないのに笑う努力を虐げられる。
できやしないものにすがりながらそれでも憧れは消えないのだろう。
いっそ直接「無駄だよ」ってわたしを遠ざけて欲しい。

確かに過ごした記憶は、わたしを生きる方へ導いてくれる。
ただ、それらも色あせて横入りしてくる感情に持っていかれてしまう。

鮮やかな色を持った人を目で追いかけながら、
視界がぼやけていくのを覚えている。


ーー


付き合って3年を超えてくると、
好きな気持ちだけでは成り立たないことも増えてくる。

初々しい気持ちのまま時を過ごせるのなら、それが最良だけれど、
わたしは歳を重ねてしまうし人生観を相手以上に視野に入れて生きている。

他者との異なる個性を、恋人ということだけで許容範囲が狭くなる。
何度か出した答えにも疑問を持ち「本当にそうか?」と問い続ける。
脳内はいつも答えを知りたがりそれは終わることがないだろう。

繊細な直感は、考える議題の素である。

20代前半までは「孤独」がわたしらしさで一つの個性だった。
孤独な時間がわたしを作っていたのに。
年齢を重ねるたびにわたしの中の「孤独」が大きくなる。
隣に並んでいた「孤独」はいつの間にか進むべき道に立ち塞がっている。

「孤独」の存在が大きくなるにつれ悩むことも増えた。
少しずつ影が広がってわたしを包もうとしている。
その先にあるのはきっと幸せじゃないな。

抗おうとしても溢れてくる涙をどうすることもできない。
いつまでも満たされないのはなぜだろう。

彼に欲張るのはよくないだろうか。
もっとわたしの話を聞いてほしいというと望むのは面倒だろうか。
わたしにもっと興味を持ってほしいというのも面倒だろうか。
わたしの聞き役人生は、彼の前でもそうでなくてはいけなのだろうか。

誰が、わたしの話を聞いてくれるのだろう。
ここに吐き捨てることしかできない。

かろうじて形をとどめている心は、あと一寸の余裕もない。


ぐるぐる考えては涙を拭う日々、
疲弊したわたしは彼に「倦怠期なんだ。」と打ち明けた。
今度2人で話すときに、わたしは正常に向き合えるだろうか。

世の倦怠期はどうしているのだろう。
好きだからわかってほしいという感情は留めるべきだろうか。
伝えなくては伝わらない言葉があると、共有は難しいのだろうか。



はあ、

休養が必要だ。
外的ストレスと内的ストレスのダブルパンチで
あと一歩で崩れるのがわかる。

人生に休憩ポイントがあればいいのに。



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