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1人じゃないと生きていけない

体と心がリンクして体調不良なこの頃。

チャージができずに過ごした3連休、神経を使った平日の仕事、
重なるストレスを感じながら1人の時間を作ろうともがく。

ストレス値のボーダーすれすれになると警報がなって、
一気にどうでもいいスイッチが入る。
人の気持ちだとか、気遣いだとか、言葉遣いだとか、
全てに興味が失せて、より一層自分中心の生活になる。

恋人と3連休のうち2日一緒だった。
2日目は1人で過ごすはずで、回復期だったけど「一緒に勉強しよう」と言われ快諾した。ちなみにここから綴る文言に対して恋人に非はない。多分、ない。

恋人は季節の変わり目で体調が悪いらしく、喉が痛いと言っていた。
のど薬を飲んだ恋人はパン屋に行きたいと言うので一緒に行ってパンを購入。
お腹を満たした恋人は勉強を始める。その間わたしはすでに勉強のタスクは終わっていたので別の作業をしていた。その時から虚無感が襲っていたけれどまだ序の口。

勉強時間が終わりようやく2人の時間だと思っていた。が。
恋人「眠たいかも」と一言。
体調不良ということもあり(若干の微熱あり)横になりなよと促し、仮眠をとることにした恋人。

恋人が寝ている間、わたしは映画鑑賞。
この時のひとりは「独り」だったなあ。
なんだか寂しくてどうにもできない感情の処理に戸惑っていた。

体調不良なのは仕方がない、寝かせてあげたい
けど、それじゃ最初からお家にいた方がよかったのでは?と思ってしまった。
会わずにゆっくり家で休んでいたらよかったのでは?と。

わたしの回復時間を削って会った好意が報われないことに寂しさを覚えて
回復しきれなかった心の疲労が溜まっていった。

結局夕方過ぎには恋人は帰って行った
(その後も色々あったけど疲労感すごいから書かない)

会話した時間はパンを買いに行った時と
勉強終わりの数十分。何もしなかった、けど同じ空間にいた。それだけ。

恋人が帰るとき涙が出そうになるのを堪えて「お大事に」と絞り出した。
その後はもうただ一心不乱に1人になることだけを考えて、自分の回復時間をいかに巻き返すかだけ考えて過ごした。

20時には寝た。


世の中には「外向型」と「内向型」が存在しているらしい。
わたしは圧倒的な「内向型」で1人でないと回復できない。
人と一緒にいることにエネルギーを使ってしまって疲れてしまう。
恋人であっても、家族であっても、人と一定時間ずっとはいられないのだ。

恋人は「外向型」で、人と一緒にいることで回復するらしい。
にわかには信じ難いが、ちゃんと存在する。むしろ外向型が世の中では多いらしい。
驚きを隠せないが、外向型向けの社会の作りのおかげで(?)わたしはひどく疲れやすい。

きっと恋人からしたら体調が悪いからこそ会いたくて、
寝ているだけでもそばに感じる体温が癒しだったのかもしれない。
そう思うと少し、冷たい言葉をかけたなあとも思う。

ただ自分の回復しきれなかった回復できたはずの時間がなかったことの方が
わたしにとっては重要でわたしにとっては悲しいことだった。

すり合わせるのは難しいなあ。
会うまではこの結末になるなんて思っていないし、
わたしの感情の変化をわたしは予測できない。

月曜日からの仕事も憂鬱で、回復しきれないまま人と会話して愛想笑いを浮かべて。
お昼は食欲が沸かなくて、ただ外をぼーっと歩いていただけ。
風に当たって太陽を感じてゆっくり呼吸をして、ただそれだけがしたかった。

人の言葉癖が許せなくて、何往復もする無駄なラリーに呆れて、余計なストレスを抱え込んで退勤する。

はあ。


今週は何もできないし、何もしたくない。


1人でないと、生きていけない。
1人の時間がないと、死んでしまう。

社会にも適用できないし、対人にも適用できない。
いつから生きづらい生き方を選ぶようになったんだろう。

自分のストレス対象物と向き合わないこと
1人の時間は必須であることの周囲への理解(無理そう〜笑)
自分を自分が今以上に愛してあげること


きっとわたしの世界線がある。
わたしにあった世界線がある。

見つけるまで行動したらいい。

きっとある。はず。


はあ、今日もすぐ寝よう。


おやすみ。

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