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第4話_ニヤニヤが止まりません\(^o^)/

さっき。数カ月前に出会った人と、実家の近くで、バッタリ会いました。自転車に乗って先を急ぐ、その人を呼び止めたのは私です。

「また会えたね」

「元気にしてた?」

みたいな会話です。ありふれてて、会話は短く、気が利いたセリフも出てこない。もっと言うと、少しアガッている自分がいます。緊張ではなく、高揚のほうです。

「これからコンビニで書類を印刷するんだ」

「そうか、独立して会社を興すって話だったもんね」

「うん。きみは、何をしているところ?」

「私は家へ帰るところだよ」

何の変哲もない会話です。なのに、なんで私は、こんなにうれしいんだろう。相手の顔を見ると、その笑顔が、とても私を満たしてくれるんです。文字にしていると涙が出そう。どうして私は、こんなにうれしいんだろう。バッタリ会って、もう2時間が立っているのに、まだ私は、ニヤニヤしています。うれしい。喜びを感じる。

相変わらず、素敵な感受性をしていますね

とあるカウンセラーが以前、私にそう言ってくれたことがありました。そのときも久しぶりの再会でした。でも、再会は偶然じゃなく、予定を合わせて、予約して会いに行きました。だから、心の準備的なことも、できていただろうに。なのに、わけもわからず、なぜか涙が出てきて、そのときは10分ほど話し出すことができませんでした。そんな私に、カウンセラーは、ただ、寄り添ってくれたことがありました。


前回、人は観光地にストレスを捨てに来る、という文章に出合ったことを書きました。その文章を旅行へ向かう道中で目にした人がいたら、と、そう思って胸が痛みました。自分が旅の移動中に、その文章を目にしたら、悲しい気持ちになったり、残念に思ったりするかもしれない。記事にして読み直すことができる以上、今後も、そういう思いをする人は、いるかもしれない。目にしたくない物を突然、目の前に差し出されて、不快な思いをする人がいるかもしれない――。そう、改めて思った次第です。

そんな思いをする人がいたら、それは不本意で、ごめんねと言いたいです。加えて、もっと伝えたいのは、私に誰かを攻撃したい意図や、悪意は一切ありませんということです。注意を促したり、旅行先での振る舞いを諭すような、そうした意図もゼロです。それを一方的なコミュニケーションである記事みたいな伝達方法で表現することに、いまも、まだ、わずかですが迷いがあります。ありますが、迷いながら確かな意思を持って、この道を進むのには私なりの理由が2つ、あるからです。

かなり突発的に、何かに突き動かされるようにこの記事を書いています。それは私が大切にしている、その2つのことと関係している気がして。だから、その2つを表現してみます。

  • 私は、自分が感じたことを表現すると約束しました(誓った)

  • 私は、インテグリティを貫くことを大切にしています

こうして文字にしてみると、2つは、とても関係しているというか、同じことを表現しているようにも思えてきました。インテグリティを貫くことについては、私が生きかたを変える大きなきっかけとなった出来事です。もう1つ「自分が感じたことを表現すると約束しました」については「人は観光地に――」の文章のときのような、他者への影響を恐れ、それを回避できない自分を責め、その無能さを罰するような、自罰行為を止める生きかたを選んだので、誤解や勘違いを恐れずに表現しました。

私は、他人の感情に責任がない

ずっと、あると思って生きてきました。それは私の生きづらさの原因の1つです。父と母の不仲とも、結びついている価値観でした。でもそれを大切にしていたのは、古い私です。だから、他人の感情を引き受けないと決め、約束し、この道を進みます。謙虚さに意識を向けながら、自分という限られた存在を感じながら、でも卑屈になったり自分を罰したりすることをせず。

自分が感じたソレが、ポジティブであるように思えても、ネガティブであるように思えても、私は、自分が感じたことを表現すると(大いなる存在に)約束しました。

それぞれの詳しい話は、いつか、また。ひとまず、突き動かされる何かに従い、大切にしている2つのことを表現してみます。




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「いま、この人を伝えたい」を発信するメディア『THEY』
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