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第6話_同じ状況で頑張ってる人がいる

インテグリティを貫いた相手である学生時代の友達から、ないと思っていた返事がありました。返事を読んで私が感じたことのポイントは、こうです。

  • 私は、バカにされたと感じる

  • 相手は、そうした(振る舞った)ことは1ミリもない

私の気持ちは、100%受け取られませんでした(そう感じた)。

  • セクハラされた

  • セクハラしているつもりは1ミリもない

あえて分断し、被害者と加害者の立場を用意すると、そういう主張が成り立ちます。

  • いじめられた、無視された

  • そのつもりは1ミリもない

きっと、そういうことなんだろうなぁと想像しながら、私は生き直してるんだなあとも思っています。

相手の立場に思いを巡らせて、自分の気持ちを後回しにする人生でした。

自分の傷つきを自分から無視して、事態の収拾を優先してきました。ケンカをする両親のあいだで幼い私が傷ついたとしても、事態の収拾に意識を向け続けていれば、傷ついた、その痛みを私が感じることはありません。傷口を見ないようにして、いつしか、傷を負っていることも、それが深手になっていることにも気が付かないようになって。自衛、防衛です。幼い私は、その痛みに耐えることが、できなかったんでしょうね。耐えることができないので、幼い私は、痛みや傷つきを存在しないことにする。そうやって、感じることや自分の気持ちを犠牲にし、幼い私は自分で自分を守ってきたんだろうと、いまは振り返っています。でも私は大人になりました。

大人になった私は、傷ついた自分を自分で癒すことができます。守ることも、大切に扱うこともできます。それは私にとって事態の収拾よりも優先される…というよりは、そうできなかった過去を生き直しているように感じるんです。

世界を分断せずに眺めると、私の気持ちを1ミリも受け取らない友達の配役は、私という個人体験における無神経な友人役などなかあ、なんて思っています。これを演じることができ、かつ、友達として私に、かかわってくれるのは彼を置いて他に、いません。そこには何があるんだろう。眺めていたら、幼い私の体験が呼び起こされました。

小学生のときの話です。

地域の非営利スポーツクラブで、私はサッカーをしていました。クラブがあったのは、水曜日と土曜日です。毎週、幼い私はバスに乗ってグラウンドに行きました。友達と一緒だったバスが、いつからか、ひとりに。帰りのバスでも、同じバスに乗っているのに、友達から無視される日が続きました。

中学生のときの話です。部活の試合中に手首を骨折しました。たしか、県大会か何かの大会の前の出来事です。私は試合を欠場し、鮮明に覚えているのは、練習前のウォーミングアップで、チームメイトが私を無視して走ったこと。それは部活を離れても続きました。以後、クラスでも、ひとりに。

何があったのか、いまでも理由が、わかりません。わかりませんが、その体験を味わい直している気がしたんです。今回の私という個人体験における無神経な友人役は、以前の未完了、やり残しを再体験しているように感じました。それを終え、新しい価値観を採用することを再び問われているというか。

それでも、お前は
この道を進むのか

前回同様に、明日は新月です。古い自分を手放していくタイミングや流れ、自然の摂理に、目には映らない、大いなる存在の働きや呼びかけを感じています。

文字にして発信する勇気。私には無い。ですが、きよしさんが発信してくれた先に同じ状況で頑張ってる人がいるんだと励みになりました

そうやって連絡をくれた知人がいました。

文字にして発信する勇気。ずっと私にも、なかったものでした。その人にも伝えたことですが、真の意味では、いまも私には、文字にして発信する勇気は、ないような気がしています。もし、あるとしたら、それは私のいのちや、私を通じて表現されたがっている何かが勇ましいに過ぎません。それは幼い私が諦めた、本当に叶えたかった生きかたなんじゃないだろうか。その衝動やエネルギーのようなものは、激しくてアグレッシブでパワフルで、飼いならすことができず、てなずけることもできない。そんな感覚があるのです。


その声を私は聴きます。耳を貸さずにいたのが、これまでの人生なら、その声に耳を傾けるのが、これからの人生です。これは、本当に叶えたかった生きかたを叶えにいくことの私の意思表示でもあります。


知人が連絡をくれたことで私は、自分の内側の声に耳を澄ますことができている、という実感が増しました。感謝しています。

もし、これを読む、あなたにも似たような同じような状況が、あるのなら、それは、あなただけでは、ありません。あなたは恐らく、これまで、ひとりで頑張ってきたはずです。でも同じように、ひとりで頑張ってきた人や、いまも頑張っている人は、少なくない数で存在しています。彼ら――彼らの魂、いのち、その衝動は隠れることを好みます。自分以外の人が同じような状況にあることを知ることが難しいのです。難しいだけで、同じ状況で頑張ってる人がいます。いま私は、その存在、彼ら彼女たちからの声、呼びかけも感じています。それは、これから起こる至福からのいざない、なのかもしれません。

付け加えたいのは、ここで、これを読んでいる、あなたは、すでに、これまでの人生という旅にはない違いを生み出しています、ということです。それは尊い。その選択をした自分を誇りに思ってほしい。それ以前と、それ以後は雲泥の差です。自信をたずさえてほしいし、この道を選んだ時点で、あなたは順調だし、大丈夫です。その意味で自分を誇りに思ってください。

あなたが生み出した違いとは、ひとりではないことを知ったということです。あなたには私(たち)が、います。もう、ひとりでは、ありません。

この道を私は進みます




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