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第8話_木下にブルーシートを敷いて私から話を切り出しました
出かけたのは午前中です。
助手席に父を乗せ、車を走らせること20分、駐車場に車を停めます。父は歩くのが、ずいぶんと遅くなり、姿勢は前かがみです。少し、腰が折れるようになってきました。日によっては杖をついて出歩くそうです。
背が縮んだかな
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あの場所に着きました。
ブルーシートの上に、父と私の2人です。隣り合って座り、同じほうを向きます。
話し始めの30分間は、父が問題に感じることを父が一方的に話し(独り言に近い)、その解決方法を自ら語ろうとした、ように感じました。いつもの父です。家で、母と向かい合って話す父が、ここでも隣にいました。
そういうことを
話したくて
ここに
連れてきたわけじゃない
自分の気持ちが輪郭を帯びてきます。
結論と解決策を求める父の話に集中できません。私の意識は時計の針へ。「まだ10分」「20分は話したか」「35分か」「1時間たったら帰ろう」なんて思いながら私は父の話を聞いています。時間の経過が気にならなくなったのは、たぶん次のセリフあたりからだと思い返しています。
きよしは、お父さんとお母さんに、どうしてほしいんだ
暮らしている家の周りの、”騒音”がシンドイなあと思っている私は、日中の仕事を実家でしていました。これは避難です。防空壕という名の実家で、ひとりになりたかった私は、父と母に「話しかけないでほしい」「ひとりになりたいから」と伝えてあります。ひとりになりたい私が実家で感じるのは、監視されているという感覚でした。何かと声をかけ、チラチラと私の様子をうかがう母のかかわりは特に、うっとうしいと感じます。父と母が話していると私は居心地の悪さを感じるため、それを避ける意味でも、父と母が一緒にいる部屋を避けていました。その私の振る舞いのことを父は言いました。
言いたいことがあるなら、我慢しないで言えばいい。なんで言わない
そうできない子供時代を過ごしました。
そうすることが、いけないことだと無意識に幼い私は学んだようで。いや、聴かれた体験が、なかっただけかもしれません。「きよしは、どうしたい?」そうやって望みや願いを、”真剣に”尋ねてもらった記憶がありません。父と母の言葉は、いつも2人の価値観とジャッジでした。それが一方通行で、幼い私に向かってきます。自分の意見や気持ちを言える雰囲気では、なかったんです。きっと怖かったんでしょうね。「主張しては、いけない」そう思い込んだ幼い私は、いつしか自分の主張などないものとして生きてきました。父が特に押し付けるのは、正しさと一般論です。
それ(そうすること)が普通だろ
その言葉は、決まって母へ向かいます。
お前は、そんなことも、わからないのか
自分が知ることを母が知らないと、出番が来たぞとばかりに勢いよく、父は母をなじります。結婚してから働きに出たことがない母をまるで世間知らずのにようにバカにして。大人になった今の私からすると、世間が狭く、小さかったのは父のほうです。母をバカにして、正しさを押し付ける父の振る舞いが嫌いでした。今も嫌いです。その振る舞いは基本的に母へ向かいました。父は私には優しかった。どうして――。そう思っていた私には、ハッキリとした願望がありました。それは、今年の元旦にも父と母に伝えたことです。
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「今年の元旦にも伝えたことだけどさ。おれは、父さんには、おれに接するように母さんに接してほしい。それが願いです」
その問題が解決しない以上、お前は今後も一緒に暮らすことは考えてないんだな
「そうは言ってない。先のことなんか、わかんないよ。今ハッキリわかっているのは、父さんには、おれに接するように母さんに接してほしいってことです」
ということは、それが解決しない以上、お前は――
と、話が続きます。そのたびに言葉にします。
「いや、だから、そうは言ってないんだ。それは父さんのジャッジ、解釈でしょ。その願いを聞いた父さんが、どう考えて行動するかは父さんが決めることです。自分で選ぶことだよ。その判断に、おれは、クチだししない。それ以外の今後のことは今のおれには、わからないよ。ただ、ハッキリしているおれの願いは、何度も言うけど、父さんには、おれに接するように母さんに接してほしい、ということ。それが伝わってないと感じるよ」
じゃあ今後は、どうするつもりだ
「――そうじゃなくて」と、繰り返されます。
それを7、8回繰り返しました。自分が言ったことが父に受け取られていないと感じ続けていた私は、父に、自分が言ったことをオウム返ししてほしいと伝えます。
「おれの願いは何度も言うけど、今ハッキリしているのは1つしかない。それを解釈しないで、まずは受け取ってほしい。自分の話が父さんに伝わったと感じたいんだ。これから言う、おれのセリフをオウム返ししてもらえないかな? 繰り返してほしいんだ」
無言の返事。そう受け取り、私は話し続けます。
「おれ、きよしの願いは――」
きよしの願いは、
「父さんに、――」
お父さんに、
「きよしに接するように母さんに接してほしい」
きよしに接するようにお母さんに接しほしい
「それ、それだよ。おれの願いは、それ。そういう願いが自分に、あったことに最近になって気が付いたんだ。つい最近まで、ずっと、そういう願いが自分にあることに気が付かないで、生きてきた。そう感じていたことに大人になってから初めて、気が付いたんだ。だからずっと言えなかった。大人になった今のおれが、それを表現することは、おれにとって未完了の感情を完了させて、生き直すことなんだ。何度も言うけど先のことなんか、わかんないよ。でも今のおれの願いは、それだから」
このあと少し沈黙があって。いや、ずいぶんと沈黙したのかもしれません。そのあたりの記憶は不確かです。ブルーシートに体育座りをしていた私は、視線を空を浮かべ、ぼんやりしていました。その意識が再び父の話へ向かったのは、父が沈黙を破ったからです。
――思い当たることが、2つあるよ
そう言って父は、自分が私に接するようには、母に接しない理由を話し始めました。その発端や理由には見当がついていましたが、父から聞かされた話で私は、その答え合わせができたわけです。
やっぱり
それが
関係していたんだ
父の主張には、彼なりの思い(肯定的な意図)がありました。そういう、父なりの肯定的な意図から、父は私に接するようには、母に接しないのでした。それを私はジャッジせずに聴き、父が何を感じ、どう行動したのかをただただ聴きました。
それは、思いと行動を別にして受け取る行為です。
意図と振る舞いをわけます。私に接するようには、母に接しない父の振る舞いと、その振る舞いをする父なりの(肯定的な)意図を切り離すんです。切り離し、意図への評価や判断を返しません。それをせず、父の肯定的な意図に私の関心を向けます。
「そうだったんだね」
「そっか」
「父さんは、それが嫌だったんだ」
そうして私は、父の話をジャッジせず、私の価値観を含めずに聴きました。
*
結局、伸びた芝生の上にブルーシートを敷いて3時間くらいが、たちました。父と2人で私は3時間、話した、話せたのです。私の話を父が聞き、父の話を私が聴きました。そうやって言葉にすると今でも信じられません。
私が父に伝えたことの自分なりのポイントは、以下です。
父には、私に接するように母に接してほしい
父と母と一緒にいると私は居心地が悪い
幼い私は、2人のケンカの間に入りたくなかった(今も入りたくないと思っている)
自分には繊細な気質がある、父が思っている以上に敏感に何かを感じ取る。それは病気ではないことが、わかった。
不仲な父と母の間で幼い私が傷つき、トラウマを抱えることになったのは「そうしてやろう」「意地悪をしてやろう」と故意に父が振る舞ったことではないことを理解している。だからと言って、自分が負った傷つきをなかったことにはしない。そうして私は、自分が感じていた(感じている)ことを「何も感じていない」と処理し、生きてきたから。自分の傷つきに、大人になるまで気がつかなかった。それに気が付けた。感じることを取り戻した。母への父の無自覚で無意識な言動に幼い私は傷つき、苦しんでいたようだ。自分でも気が付かなかったけど。カウンセラーやセラピスト曰く、それは虐待らしい。そう聞くと、しっくりくる大人の自分がいる。子供らしさを犠牲にして、私は感情的に未熟な父と母の間に入って、2人の親役をしてきたと思っている。それが大人になった私にとって、生きづらさとなった。今そういう自分を育て直して、価値観が変わり、生きかたも変えた。その一環で私は自分が感じたことをちゃんと表現することを大切にしている。だから父にも自分の気持ちを伝えたかった。それをするためには自分が心地よいと感じる環境で話したかった。それでこの場所を見つけた。そんなタイミングで「お父さんとお母さんから話がある」と、母から声をかけてもらったので、ここに連れてくるタイミングは今なんだなって思った。だから今日、連れてきた。
父を家へ送り届けたあと、母をここに連れてきて2人で話す
父は話を勝手に、一方的に切り上げる人でした。実家で母と話していても、肝心な話題に踏み込んだところで逃げてしまうんです。
もう、わかったわかった
もう、いいよ
私や母に背中を向け、実家の和室、自分の部屋である奥の8畳間に父は去っていきます。その父が、この日は3時間、付き合ってくれました。それは彼なりの思い(それを愛と呼ぶんでしょうか)、私への何かがあったからなのかもしれません。何も解決していないし、何を望んで私は、この時間を持とうとしたのかも、わかりません。ただし、そうしたいと感じる自分がいたのは確かです。
何が起こるか
わからないけど
連れ出そう
そう思って父に声をかけ、車の助手席に乗るよう伝えたことをハッキリと覚えています。
芝生のブルーシートを片付け、私は父へ向かって両手を広げました。
「ちょっと、ハグしよう」
素直に歩み寄った年老いた父と大人になった私は、公園の遊歩道の脇に茂る芝生の上で、抱き合いました。チカラを入れて抱きしめると父の体を壊してしまいそうな気がして、私は優しく父の背中をさすります。
ありがとう、少しスッキリしたよ
父の声を私は、うれしそうだなあと感じます。そりゃ、そうです。私は自分がしてほしいように、ジャッジせず、父の話を聴いたから。じっくり。それが、相手の話を判断したり評価したりせずに聴くことなんだよと、そうやって受け取ってほしんだ、理解したり共感したり、できなくてもいいから、ただ私のことを受け取ってほしいと。それらは伝えていません。それを言葉で伝えたいとは思わなかったからです。
この日、私は息子ではなく、ひとりの人間として振る舞った気がします。それは父も同じなのかもしれません。彼も父ではなく、ひとりの人間として私に、かかわって(向き合ってかな)くれたような気がして。それは私自身の望みでもありました。肩書やラベルを超えて、目の前の人と、かかわりたい。私にとって大切な人であれば、あるほどに。その望みを思い出したのは、そうしてもらえなかった、このあとの母との時間があったから。そんな気がしています。
* *
父が母への振る舞いを変えるかどうか、それは父が自分で決めることです。そこにチカラを貸そうとする以前の(幼い)私は、もういません。腹の底から、そう思えて、その結果について、たいして関心がない自分もいます。改めて感じます。私は、自分が感じたことを表現したいのだと。でも「どうして、そうするの?」と尋ねられても、相手を納得させるだけの理由は、ないんです。
なんで、そんなことを?
1銭の得にも、ならないだろうに
理由は、わかりません。私以外の何かが、そうさせるんだと感じます。私の体を通じて表現されたがっている何かの存在です。それを私は自分の体の外、表に招きます。そうして大きくなるのは私の全体性です。
私は、より、私になります
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