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第3話_「環境によって、だいぶコンディションが変わる人ですね」パックになる
その人に、そう言われて以来、かなり意識するようになりました。
その人は、生きかたを変えた私が、自分のパートナーを紹介したいと、初めて思えた人でした。
その人のことを私が知ったのは、2年くらい前。コミュニケーションは、お互いに文字のやり取りが多い関係です。仕事というか、公(オンライン)の場で知り合いました。プライベートで初めて会ったのは、2、3か月前です。なのに会うと、会って話すと、お風呂でもないのに、裸で入ることができる場所が、その人の内側にあるように思えます。その人が私を表してくれた、その言葉は、いまの自分を自分が知っていくうえで、とても大切な言葉になっています。
母を連れ出して
2人で話をしてみよう
自分が心地よいと感じる場所なら
自分のコンディションを
整えることは、できるはずだ
そこなら
もしかしたら母の話を私は
聴くことが
できるかもしれない
実家で母と話すのは私にとって、居心地が悪いのです。かといって外出先(街中)で話すような内容では、ありません。というよりは、カフェや喫茶店で話したくない自分がいます。そう思って行き先を想像したとき、地元、慣れ親しんだ土地に、自分が心地よいと感じることができる場所を想像することが私には、できませんでした。要因の1つに、私にとっての人の多さがあります。
私が住む場所は、観光地として名が知れたところです。にぎやかで活気もあって、人が集まります。外国人観光客の姿を見ない日はないし、なんなら電車のなかに日本人は私だけという日も多いです。
「人は観光地にストレスを捨てに来る」
そういう文章に出合いました。自分も例外ではないよなあと思いながら、毎日、観光地の駅で電車の乗り降りをしていると、その文章の実感が湧いてきて。繊細な気質を持つ自分にとって、単純に人が多い、という事情に加え、そこがストレスの集会場のようになっているのなら、心地よいと感じるほうが不自然です。慣れ親しんだココは、自分にとって何かが違う場所なのかもしれません。
なに言っちゃってんだよ。お前がさ、ただ知らないだけで、静かに話せて、日差しを避けられて、人目も気にならないような場所、あるだろ
恒例の自罰の声です。
そうして私は、自分が人より劣っていると決めつけ、それを自分で責めてきました。みんなが好きな場所、時間を私は、同じように楽しむことができない。むしろ居心地が悪いと感じることのほうが多いからです。それは私の劣等感に、つながっていきます。そうして責めている自分に、ずいぶんと気づかなかったんです。いまは少しずつ、リアルタイムに気が付けるように、なってきました。
話を戻します。
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そもそも、故郷のよさを私は感じています。私を守ってくれた土地、慣れ親しんだ場所は、土地勘があるという意味において、私にとって安全です。海外旅行から戻ってきたときの安心感を思い出すことも、できます。でも私にとっての至福は、ここには、ないのかもしれません。いや、あるのかもしれないし、わからない。わかっているのは、いまは、それを求め――。その至福に、ついていきたいということです。
外の基準で自分を測って、基準からハミ出る自分を自分で罰するのは、もう止めにします。
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環境によってコンディションが変わる自分が「心地よい」そう感じる場所は、どこだろうと、そう考えると浮かぶ場所が、あります。それは、ここ数か月に出会った人たちが、言葉にし尽くしがたい体験を通じて、私に教えてくれている場所。彼の地を至福と言い換えてもいい。それに、ついていきます。
ついていくことで私は、本当は、最初から自分が歩むはずだった道を進むようになるような、そうした感覚が、あります。そして、どういうわけか、自分が送るべき人生を送るようになる。その世界にいる人たちと出会うようになると、その人たちは私のために扉を開けてもくれる。だから、恐れずに至福を――至福に、ついていきます。
*
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――自分が心地よいと感じることができる場所。これを頭の片隅に置いて過ごしていたら、気になる風景が浮かんだんです。そこを訪ねてみると、ありました。地元に、私が心地よいと感じることができる場所が、です。
連休の初日に訪れると人は、まばらでした。私の感覚からして、ほとんど人は、いない、という感じ。時間帯は午後です。風が出ていました。いまは9月中旬で、日中の日差しが強い。それもあって、出歩く人が少ないのかもしれません。しれませんが、心地よかった。歩くと30分程度の遊歩道です。風がなければ、体感はもっと気持ちが良い、ソレだった気もします。この時間をもっと大切にしようと思いました。
似た感覚に
なることができる場所
もしかしたら
もっと
あるかもしれない
同時に、こう思いました。
もし
母を連れ出すなら
ここでも
いいかもしれない
日陰にブルーシートを敷いて私から話を切り出すんです。
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