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第2話_ハウリング「でもわたしには旅人なイメージがあるんです」

写真を撮る活動(おしごと)に、もっと私が取り組もうとしていたタイミングで、その人は、でも、という言葉を使って私の印象を伝えてくれました。目の前の相手が味わったこと、感じたことを知ることができるのは、いまの私にとって、すごく、うれしくて。うれしかったなぁ、とジワジワしてきます。

旅人という言葉から私が思うのは、1人旅です。そこでは毎回、生きていることを私の何かが喜ぶような感覚が、あります。旅人という言葉に私がイメージするのは、それを味わい続けている人の姿です。その人は知らない町で、知らない人に会って、知らない物を食べて、知らない場所に泊まって、知らない時間を生きて、知らない価値観に触れます。

ずいぶんと、そうした1人旅には出ていません。

憧れた時期が、ありました。

そんな、いまの私から旅人をイメージしてくれたのが、タイトルの言葉をクチにしてくれた、その人です。作家、アーティスト活動をしている、その人の感覚は、私の思考や自分自身への先入観なんかよりも、きっと、ずっとずっと、私の本質を捉えている気がします。なぜか。好きな言葉が目の前、やや右上をかすめて通り抜けたからです。

感覚は欺かない、判断が欺くのだ

Johann Wolfgang von Goethe


その人の何が、私から旅人をイメージさせたのだろう。次に会うことが、できたら、ぜひとも聞いてみたいと思っています。

こころの旅には
ずっと
出ているけどけね

急にそう感じて、すぐに「だからなのかもしれない」と、勝手に腑に落ちたんです。

こころの旅に出ている私にとって、その旅は、つねに1人旅です。生きかたに悩んだり、パートナーシップに苦しんだり、両親との愛着関係で悶えたり。それは内省の旅路を意味しています。旅程には、ミニイベントがあって、そこで出会うのは内なる敵です。

やっと倒せた

そう思って先に進むと、またミニイベントです。

また、コイツか
まあでも
倒しかたを心得てる

歩みを進めると、再びミニイベントです。

コイツら
仲間を集めて
きやがったな

大勢相手に、だいぶ深手を負ったので、休むことに時間をとります。傷が癒え、休んでいた時間を挽回しようと先を急ぐわけですが、すぐに、ミニイベントです。

なんなんだ
この大群はよ…

さばききれず、戦いは長引き、ボロボロになりがらも、持久戦の末に勝利します。ホッと一息つきたいことろなのに、すぐに敵が現れます。

いい加減にしてくれ!!!!

次の瞬間には自分が地面に這いつくばっていて、顔を上げると敵の姿は、ありません。事態が呑み込めず、ひとり立ち上がると気が付きます。

ここ
この景色
見覚えがあるぞ

もしかして
おれは同じところを
ぐるぐるしているのか?

これを何度も何度も、私は内省の旅路で繰り返してきました。このループから抜け出す道は1つです(正確に言うと、私は1つだけ知っています)。

あの迂回路を行くしか
ないんだな

そうやって覚悟を決め、迂回路だと決めつけ、避けてきた道へ踏み出します。でも、やっぱり、すぐにミニイベントです。かなりの強敵であることは一目で、わかります。それでも向かっていくんですが、もう、ズタボロのぐちゃぐちゃの、めったんめったんに、やられます。これまでの心の旅で得てきた戦いの経験値、戦利品として集めてきた武器や防具では、まったく歯が立ちません。挙句、ベッドに寝かされ、あちこちを包帯でグルグル巻きにされ、天井を見つめていて――。

ボーっと、規則的な天井を見つめ、思い知るのは未熟な自分の限界です。にっちもさっちもいかなくなって、先人や人智を超えるような(大いなる)存在に、すがります。恥や見栄、エゴがチラつきながらも、武器や防具はおろか、着ている服さえも破れていて、もう体ひとつです。ここで、真の意味で私は必死になります。それは私の場合、ガイドや指南を頼むことでした。英気を養い、叡智に触れ、再び避けてきた道へ向かいます。すぐに、ミニイベントです。でも、やっぱり、ズタボロのぐちゃぐちゃの、めったんめったんにやられます。これは、いままでのやりかたが通じない、というサインです。大いなる存在に、かけあいます。

「教わった通りに戦ったけどな」

「知っているからといって、それができるとは限らない」

「なんだそれ」

「習慣だ。慣れ親しんだ、やりかたから離れるというのは簡単なことではない。それは万人に共通する。いま、お前が戦っているのは、そういう類の敵だ」

「なんだそれ、意味わからん」

「その通りだ。お前は、まだ何も、わかっていない」

「はぁ? ふざけんなよ。わかるように説明しろ」

「それは難しいことだ。わかる、というのは、知り、それを行動に移す、ということの積み重ねよって、知る前と知った後で、何かが変わっている、というこだ。知り、それを行動に移していないお前が、わかる、ということはない。つまり、意味わからん、というお前の認知は正しい。さらに言えば、知り、それを行動に移さず、できるかどうかを判断してきたこと自体が、お前にとって慣れ親しんだ習慣では、ないのか」

「あげあしとんな。わかるように教えろ」

「お前が戦っている相手は、普通の敵か?」

「フツーじゃねえよ、ラスボスって感じだ」

「これまでの戦いかたが、通じなかった敵だな?」

「まあ、そうだ」

「どうにも、こうにも、ならなかった。そうだな?」

「だから仕方なく――」

「私のところに来たんだ、そうだ。これまでの道へ引き返すと、それはループしていて、ずっと同じ道だ。それに気が付いたんだ、お前は。そうして、これまで見て見ぬフリをしてきた道を選んだ。その行動は尊い」

「…なんだよ、急に」

「お前がとった行動の意味を伝える。それは――

――いままでのやりかたや信念が、大人になった、いまのお前の人生には通じないというサインだ」

「それをお前は、いま受け取ったんだ。数年前でも数年後でもなく、もっと以前の過去でも、ずっと先の未来でもない。いまだ、それが重要だ。これまでの敵は、これまでの信念を基本にして戦っていれば、倒せた相手だ。戦いかたをわかっていて、勝ちかたも心得ている。でも、それは安全が約束された世界での話だ。その道はループしていて、どこからはじめても、もとの地点に戻ることになる。出会う敵の対処法も知っていて、基本的に安全だが、お前が心の底から求めるものはない。それがあるのは、これから進もうとしている道にしかない。いや、進んでいるとも言える。それをお前は選んだ、ということだ。その道は誰にとっても険しい。お前は今後そのラスボスばかりと戦うハメになるはずだ。おいそれと勝てやしないぞ。それを覚えておけ」

「だったらよ… はじめから、そう言えよ! 」

「言ってどうなる」

「言ってくれたら――」

「くれたら?」

「そりゃ…」

「そりゃ、なんだ。続きを聴きたい」

「もっと、うまくさ」

「うまく、ほう」

「ダメージを減らしたり、効率よくさ、戦えただろ」

「それが、お前の習慣というやつだ」

「フツーだろ」

「そうかもしれない。だが、お前が、いま戦っているのは――」

「――フツーじゃねえよ… ラスボスみてえなヤツだ」

「そうだ。そのフツーが通じない敵だ。フツーの敵にしていた、お前の習慣が一切、通じないラスボスだ。1つだけ、その習慣を変えるための、ヒントをやる。それは、お前が恐れていることにある。そう問われて何が浮かぶ? お前は、何を恐れているんだ」

「恐れてることなんか、ねーよ。さっきも戦ってきたんだ。そんなもんねぇ」

「そうか。では、ダメージを減らしたり、効率よく戦えただろ、という訴えの背後にある思いを聴きたい」

「訴え? そんなもんねぇ! みんな、そう思うだろうが!!」

「では代わりに言おう。お前の訴えの背後には、傷ついたり失敗したり、恥をかいたり悔しい思いをしたり、泣いたり叫んだりムカついたり負けたり、ひとりぼっちになったり、掴んだものを失ったり、誰かから見捨てられたり、実際に命の危険にさらされたり、したくないと。そういう思いがあるんじゃないか?」

「偉そうに。お前に何が、わかんだよ。おれのこと何にも知らないくせに」

「お前が持つ習慣について少し知っているが、それ以外のほとんどを知らない。だが私には、あの道をどうやって通ればいいかが、わかっている。お前が戦っているのは、これまでの習慣のままでは、かなわない敵だ」

「じゃあよ。あんたは、おれが倒せないって知ってて、倒しかたを教えたのか。性根がよ、クソねじ曲がってねえか、おい」

「それは誤解だ。目の前の敵を倒せるか倒せないかは誰にも、わからない。やってみないと、わからないのだ。万人に共通する。例外は、ない」

「あんたもか」

「何がだ?」

「あんたは通ったのかよ。偉そうなこと言ってよ、自分はどうなんだ?」

「通ったさ。何度も挑んで、戦った。いまの、お前のように私もフツーじゃない敵を倒せずにいた。安全が約束された世界で、ループを味わった。それがいつしか、うまくいかなくなった。そうして、あの道へ進んだ。お前が通ろうとして出くわしたラスボスみたいなヤツと、私も戦った。繰り返しな。そして倒し、通った」

「おれは、これ以上は無理。あんなの、倒せる気がしない」

「初めは、みんなそう思う。だから私がいるんだ」

「ふざけんな。目の前の敵を倒せるか倒せないかは誰にも、わからないって。やってみないと、わからないってさ。それで倒しかたを教えて、習慣がうんたら、知るとわかるがどうだとか、恐れがとか、めんどくせーよ。おれはさ、さっさと先へ進みたいんだ。あんたが、いる意味ねーよ」

「初めは、みんなそう思う。同じだ。安心しろ」

「またそれか… いい加減にしてくれ」

「意味があるかないかは、お前次第だ。言っただろ。慣れ親しんだやりかたから離れるというのは簡単なことではない」

「それは、もう、わかったよ…」

「わかっていない。お前は、すでに、これまでの旅、戦いにはない違いを生み出しているんだ。それは尊い。その選択をした自分を誇りに思ってほしい。それ以前と、それ以後は雲泥の差だ。自信を持て。この道を選んだ時点で、お前は順調だし、大丈夫だ。そういう意味で安心していい」

「――違いを生み出しているって…なんだよ。教えろよ」

「お前には私がいる。もう、お前は、ひとりじゃないんだ」


うえの2者のやりとりは私の人生で起きたこと、体験したことを物語化し、エッセンスを抽象化した比喩です。もっと具体的で、人間臭いリアルな物語は、もう少し先で詳しく語ります。いま、ここで伝えたかったのは「私は内省の旅路を歩んでいます」ということです。いまも、その旅の最中です。それは1人旅ですが、ひとりじゃないとも言えます。内省という旅を通じて出会った、顔と名前の一致するリアルな仲間とかかわったり、先人の叡智に触れたり、必要ならカウンセラーという専門家の手を借りたりして、その1人旅を進んでいるからです。そのプロセスで私は、忘れていた自分や、ないことにしていた自分、本当に叶えたかった生きかたなどに気づき、思い出し、声をかけ、呼び戻し、寄り添って、育て直しています。決して知らなかったわけじゃない。ただ忘れていただけです。そして、いまは、こころの旅に出て初めて、自分の内側が喜びや豊かさで満ちるような感覚が、あります。その意味で私は旅人なのかもしれない。

こんな話を聴いて、冒頭に紹介した作家、アーティスト活動をしている、あの人は、どう思うだろうか。何を感じるだろうか。それを次に会うことができたら、やっぱり尋ねてみたいです。

目の前で起こる現実から何かに気づき、そうして自分の体に湧き上がり(舞い降りて)、そのまま体の内側を駆け巡る流れがあるなら、ただただ、それを私は体の外へ表現したい。そうして自分の人生という物語(プロセス)を動かしていきます。その1つが語ること。そうして、目の前の人の人生が動き、それに共振するかのように私の人生も動く。そんな体験をいま積み重ねています。これは、1つのいのちが私という体を通じて表現されたがっている物語です。そのどこをどんな順番で語っていくか。それを考えて二の足を踏むのが以前の私でした。その習慣が変わります。



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「いま、この人を伝えたい」を発信するメディア『THEY』
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