見出し画像

第13話_アイデアの声を聴く【劇場版『動かない映画』予告編】



また腱鞘炎けんしょうえんの初期症状です。


私は、久しぶりの長編を仕込んでいました。

ああ
久しぶりの制作だぁ
やっぱり楽しい

そう、少し意気込んでいたんですが、どうやら、体は休息を求めているようです。違う声の存在にも意識が向かいます。



私が座っていたのは蕎麦屋のカウンターでした。

粉が「もういいって」言うまで

蕎麦粉を80度のお湯で毎朝こねると聞いて「どのくらいの時間、そうするんですか」と蕎麦屋の、おやっさんに私が尋ねたときの、おやっさんのセリフが、ソレでした。

おやっさんの、せがれが私の席に、せいろを運んできます。

ソレが私には、まだ、わからないんです

おやっさんのせがれは、50歳を過ぎているように見えます。細い目と四角い顔、ひたいには手ぬぐいです。せがれは、おやっさんから、蕎麦打ちの大事な作業の1つを任せてもらえないと話します。ソレが、まだ、わからないからです。

打てるようにはなったが、おやっさんのようには、まだ打てない。おやっさんよりも早く打てるのに、細く切ろうとすると蕎麦が崩れてしまう。太く切ろうとすると、1本1本の蕎麦の太さを揃えるのが難しい。

せがれの蕎麦打ちをおやっさんが、どう思っているのかが私は気になりました。尋ねると、次のように返ってきます。

粉に遊ばれてる



*   *



下書きで10万文字を超えた、たけちゃんの物語のときもそう

ベンチャー企業の経営者が考えるビジネス哲学を言語化したドキュメンタリー社内報を作ったときもそう

今、仕込んでいる長編制作の後編もそう

すべて「これから」「さあ、いくぞ」とギアを1段階あげて、心血を注ごうとするタイミングで、体が悲鳴を上げます。ずっとそうやって動かしてきた私の腕や肘や手首や指は、気が付いたら、耐久性の低い部位になっていたのです。整形外科のドクターに、そう言われました。10時間、12時間と没頭してしまう私の気質の副作用です。これまでの人生で、その恩恵を受けてきました。ベースにもしていました。でも今、その価値観、信念はオプションです。今の私が採用し続けると、不都合が生まれます。それを教えてくれるのは私の体です。

休め
その価値観は
古い
やりかただ

おやっさんに言わせるなら私は、粉の声を聴くことが、できていない気も、しました。私が耳を傾けていたのは、エゴの声であるように思えたんです。エゴに振り回され「アイデア(という粉)に遊ばれている」のでは、とも思いました。一緒に遊んでいたつもりが、いつしか、遊ばれていたのかも、しれません。

作品の下書きを120度の熱量で毎日こね、どのくらいの時間、そうすればいいのか私には、まだ、わかっていない。エゴは「まだやれ」「もっと、こうしろ」「まだ一緒に遊ぼう」と、ささやいてくる。エゴに、手のひらがあるなら、その上で私は、知らないうちに転がされ、踊らされ、アチコチを連れまわされていたのだろうか。「おやっさんのせがれも似たような声に耳を傾けているんじゃないだろうか」なんて思ったりして。



*   *   *


私の記事、作品をテレビやネットで公開されるドラマ、アニメのレギュラー放送にたとえるなら、私が仕込んでいた長編は劇場公開版です。劇場版には、エゴの声をそうだとわかりながら、向き合って取り組みたい思いがあります。エゴの声も私です。それをなかったことにも、ないことにも、しません。新しい価値観に連れて行きます。必要なとき、そうしたいときに自らの意志で、その声を聴く。それは思いのほかアグレッシブでエネルギッシュで、わけもなく私を突き動かす。一定の間隔で熱い湯や水蒸気を噴き上げる、温泉のように。その声に耳を貸すことはベースではなく、オプションです。今の私にとっては新しい価値観の一部です。

ここでいうオプションとは、私の体の状態からして、劇場版の後編に取り組むことを少し休んで、レギュラー放送に意識を向ける、という選択を指します。慣れ親しんだやりかた(エゴの声に耳を傾け続ける)から離れ、レギュラー放送で大切にしたいのは作品、アイデア、私の体を通じて表現されたがっている声を聴くことです。

その声を少しは聴くことができているから、こうしてレギュラー放送の公開が続いているんじゃないかと、おやっさんに教わった思いです。そう思うと、少しずつ少しずつ、新しい右側の価値観を採用する自分を誇らしくも思えます。


言っただろ。慣れ親しんだやりかたから離れるというのは簡単なことではない


お前は、すでに、これまでの旅、戦いにはない違いを生み出しているんだ。それは尊い。その選択をした自分を誇りに思ってほしい。それ以前と、それ以後は雲泥の差だ。自信を持て。この道を選んだ時点で、お前は順調だし、大丈夫だ。そういう意味で安心していい

お前には私がいる
もう、お前は
ひとりじゃないんだ



次回、久しぶりの長編制作を公開します。

それは2年前の秋のことでした。場所は、群馬県みなかみ・藤原という地域です。決して忘れることができない3日間を過ごした、その出来事の前編を公開します。総文字数 1万4,725 字、総使用写真 82 枚の長編です。

その作品に込めた思いを隠さず、憧れと敬意を詰め込んで言葉にするなら、それは文字と写真だけの、動かない映画です。




いいなと思ったら応援しよう!

「いま、この人を伝えたい」を発信するメディア『THEY』
もし、この物語から、あなたが何かを受け取ったと感じたら、その気持ちをぜひ、ご支援いただけるとうれしいです。