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はるか遠きエチオピア

「よし!」

ターンテーブルからようやく出てきたバックパックを足元に置き、思いっきり伸びをした。

ここは、はるか遠きエチオピア。首都アジスアベバ近郊のボレ空港。成田を出発し、バンコクで1日足止めを食らい、2日以上かけてやっと到着したアフリカの国。初めて乗ったエチオピア航空の機体は日本の国内線のように小さく、長時間のフライトには決して向いているとは言いがたいものだった。

極めて簡素な関税検査を通り外に出た。時刻は午前7時。見事なまでの晴天だ。すでに眩しい太陽がじりじりと照りつけていたが標高のせいかカラッと乾いた心地よい風が吹いていた。アジスアベバ市街地に向かう路線バス乗り場に向かった。

当然、バス停のエチオピア語(アムハラ語)の標識は読めるはずもなく、英語表記もない、数字も読めない。とにかく人が一番多く並んでいる列がアジスアベバ行きのバス停だろうと推測し並ぶことにした。もちろんこの国の言葉も話せるわけもなく、「アジスアベバ?」と前にいた人に聞いてみた。何か答えてくれたが、当然のごとく分かるわけもない。すると、隣にいた若者が「イエス、イエス!」と教えてくれた。すると、それに続くように「イエス、イエス!イエス、イエス!」とリズミカルな輪唱が始まった。なんともプリミティブな踊りを踊るものまで現れた。ひとしきりイエス!の大合唱が続いたがバスが来たところで一段落した。礼を伝えるにもまたもや言葉が分からず、「サンキュー」というと、その若者が「アムセグナッロフだ」と教えてくれた。

「アムセグナッロフ」
初めて覚えたアムハラ語だった。

俺がまだ子供だったころ、親父がエチオピアに出張したことがあった。写真に写っていたのは、日本とまったく違った生活様式や建築物だった。その中でも岩をくり貫いて作ったという教会やその内部に書かれた宗教画はどれも独特な形と色合いで、ファンキーという言葉がぴったりだった。いつか、自分の目で確かめようと思っていた。


バスの窓から見える景色は、親父の写真で見た時代より遥かに近代的になっていた。自称セミプロを気取っていた親父の撮った写真のどこにも高層ビルや高級ホテルに外車なんて写っていなかったが、俺の目には結構な頻度で飛び込んでくる。どの国にも近代化は訪れる。海外資本の仰々しい建物の影から時折お国情緒溢れる建物が現れ俺を安心させた。観光客向けか英語表記の看板等はユーモアの溢れるネーミングが多かった。

まず空港から少し走ったところに、外資系銀行やナイトクラブ、カフェがあるエリアあり、英語表記の看板が溢れていた。その中でも「Denver Cafe」という小さなカフェの看板に目が釘付けになった。いきなりの先制パンチを食らった気分だ。アメリカのデンバーがなぜここに?デンバーなら行ったことがあった。姉が留学していたからだ。アメリカ中西部をドライブ旅行した時に拠点にしていたのがデンバーだった。どちらの街も標高が高いからか?とにかく、この街にいる間に行ってみよう、などと思っていると、今度は「Colorado」というレストランが見えはじめ、下車したバス停の前には「Denver Boutique Hotel」というホテルの看板にまた目が釘付けになった。

「なんだ?!やたらコロラドに取り憑かれたこの街は!」

この街で泊まる宿を決めていなかった俺は、エチオピアなのにアメリカの地名を持つこのホテルに吸い寄せられるように扉をくぐり、駄目もとで空き部屋を聞いてみた。「一番安い部屋だと200ブルだ。朝食抜きなら180で良い。どうする?」。だいたい1泊540円だ。この街ではもっと安いホテルもあるのだろうが、市内の訪れたいスポットは全て徒歩圏内で立地条件も良い。この値段なら申し分ない。1週間泊まることにした。

朝日が燦々と射す部屋につくと、長旅の疲れがどっと押し寄せてきた。とにかく疲れていた。風呂に入ってとにかく足を伸ばそう。散策はその後だ。恐ろしく水圧の高いシャワーを浴び、長旅の汚れを落としたところで、睡魔に襲われた。俺は落ちるように眠ってしまった。


この街で見かけるデンバーの謎を知るのはもう少し先のことである。。。


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